序章「エル・オルレアン」
かつて、世界を焼いた金竜がいた。
その咆哮の中で、すべてを失った少年は、
“エル・オルレアン”という名を選び、もう一度生き始める。
滅びの中で目覚める少年と、星の力をめぐる物語――
ここから幕を開けます。
※この序章は導入として全5節を含みます。少し長めですが、読後に主人公の姿がしっかり立ち上がる構成になっております。どうぞお付き合いください。
西方世界歴五九六年一月七日――
その日、世界の地図が一つ、塗り替えられた。
七日間にわたる災厄の終着点として、人々は後にこの出来事を“滅国の七日間”と呼ぶようになる。
かつて西方世界の覇権を握った大国――ガレオン皇国。
およそ六百年にわたる歴史と、かつてこの世界を救った英雄の血脈を誇ったその国は、ただ一体の竜によって、あっけなく滅び去った。
『金竜 エルドラド』――それは、空から現れた。
ただ、突然に。
雲が裂け、陽光よりも眩い輝きが天を覆った。
金色の鱗が風を切り裂き、その咆哮が時を貫いたとき――帝都ロワイヤルの空からは、音が失われた。
都は焼け落ち、塔は崩れ、街路は消滅した。
魔術の障壁も、聖印の加護も、軍の誇りも、その圧倒的な力の前には、まるで意味をなさなかった。
人々はそれを“神罰”と呼び、あるいは“審判”と恐れた。
だが、名を与えたのは、誰でもなかった。
黄金に染まったその竜の姿を目にした語り部たちは、ただ一言だけを残した。
『金竜 エルドラド』――神話の時代の怪物。
黄金の楽園。
そして、最悪の災厄。
灰燼と化した帝都の空には、いまなおその名だけが、焼き付いている。
* * *
燃え盛る帝都ロワイヤルの片隅――先ほどまで皇族の離宮があったその場所は、瓦礫と灰の山と化していた。
その崩落の中に、ひとつの命が、まだ息づいていた。
少年だった。
少年と呼ぶには、やや大人びた体躯。
熱と塵に焼かれた息遣いだけが、そこに残されていた。
彼は、瓦礫の重みによって、地に臥すように倒れていた。
その身体は、今なお――崩れかけた“誰か”の腕に、抱かれていた。
焦げついた衣。
崩れかけた表情。
それでも、その腕だけは、最期まで彼を包むように――まるで、祈るように――彼を抱きしめていた。
何かを呟いた声が、炎の揺らぎに掻き消された。
名を呼んだのか、それとも祈りだったのか。
最早、彼には分からなかった。
ただ、薄れゆく意識の中で――暖かな光が、自分を包んでいくことだけは、感じていた。
その光は、彼の傷を癒したのではなかった。
けれど確かに、心を。魂を。
深く、静かに震わせた。
まるで、「生きろ」と命じるように。
まるで、「行きなさい」と送り出すように。
彼は、叫ぶことも、泣くこともできなかった。
崩れ落ちた天井の隙間から差し込む光が、彼の視界を、真っ白に染めたとき――その身の奥底で、「何か」が、目を覚ました。
言葉にはできない、熱くて、澄みきった力。
焼けるような疼きが、胸を走る。
そして、世界が息を殺したかのような、唐突な静けさが訪れた。
――それが、彼にとっての“はじまり”だった。
* * *
炎は、いつしか静まっていた。
『金竜 エルドラド』の咆哮も、いまはただ、焼け焦げた余韻を残すのみ。
かつて帝都ロワイヤルと呼ばれた場所に、風が吹く。
黒煙が揺らぎ、崩れた尖塔の影が、ひしゃげた陽を裂いた。
その静寂のなかを、一人の女が歩いていた。
赤い髪。深紅の外套。
焼け跡に降り立ったその姿は、異物であり――同時に、異様なほどこの光景に馴染んでいた。
「……見る影もねぇな」
ぶっきらぼうに、そう呟いた。
かつての帝都。
栄華を極めたはずの都の、無残な変わり果てた姿を前にしても、彼女の瞳は揺れない。
だが、確かに“感じていた”。
この瓦礫の向こうに、ひときわ強い“何か”の気配があることを。
彼女は崩れた石を踏み越え、ゆっくりと歩を進める。
視線は、まっすぐに。
かつての離宮の一角を、貫くように向けられていた。
そこにあったのは――残された“光”。
それは攻撃的でもなければ、防御的でもない。
ただ一つの“意志”に、貫かれていた。
――「守る」。
誰かが、最期まで誰かを守ろうとした。
その祈りにも似た魔力が、焼けた空気のなかに、淡く残されている。
彼女は足を止め、その場にしゃがみこむ。
「……すごいじゃん、あんた」
その腕の中で、一人の少年が倒れていた。
光はまだ、彼の周囲に漂っている。
母と思しき者の“加護”が、命を繋いでいた。
赤い髪の女――オリヴィア・スカーレットは、その光にそっと手を伸ばす。
手を触れるでもなく、ただ――包むように。
そのときだった。
“鼓動”のようなものが、彼女の掌を打った。
最初は気のせいかと思ったが、すぐに確信へと変わる。
それは、今この瞬間――少年の内から湧き上がった、もうひとつの強い魔力。
どこかで覚えのある、あの脈動。
それは、彼女自身が辿ってきた歩みと――どこかで、重なるような。
「……なるほど。こいつと出会ったのは、そういうことか」
炎の海の果てで、運命がまたひとつ、静かに動き出していた。
* * *
闇が降りた帝都ロワイヤルは、ただ静かだった。
燃え尽きた都には、もはや叫びもなく――ただ風だけが、過去をさらっていく。
赤い髪の女――オリヴィア・スカーレットは、その腕にひとりの少年を抱えながら、静かに歩いていた。
彼の身体は軽かった。
けれど、その中に宿った“力”だけが、異様なほどの熱を帯びていた。
「……これからきっと面倒なことになるぜ、お前」
そう、小さく呟いたその声は――彼女自身に向けられたものだったのかもしれない。
星が、瞬いた。
雲ひとつない夜空の奥で、わずかに揺らいだその光は、彼女に一つの方向を指し示す。
「あそこだな……まだ生きてるなら、きっと気づいてるはず」
アトラス。
その名を、彼女は心の内でだけ呼んだ。
そして、誰にも聞かれないように。
風に紛れて、もう一度だけ呟いた。
「……まだ死ぬなよ」
赤い影が、夜の瓦礫を抜けていく。
星の下を、まっすぐに――導かれるように。
けれど、それはきっと――彼女自身が選んだ、たったひとつの道だった。
* * *
静寂の中で、星々が流れていた。
円天井に刻まれた銀の軌道。
そのすべてが、遥かな天を模した、精緻な機械の一部だった。
石の寝台に横たわっていた少年が、ゆっくりと目を開ける。
まばゆさはない。
ただ――その奥に残る熱と、胸の奥に灯った“何か”が、彼を現実へと引き戻していく。
「……ここは?」
掠れた声でそう呟くと、静寂を破って老いた声が応えた。
「ここは【天文台】、星を見守るための場所じゃよ」
白銀の装束に身を包んだ老人は、少年を覗き込むように微笑んだ。
「わしの名はアトラスという。さて――獅子宮の子よ、名は?」
「……ししきゅう……?」
少年の唇が、わずかに震えた。
聞き慣れぬ響きに、一瞬戸惑いを見せながらも、
彼は慎重に、まるで自分の内側にある答えを探すように、言葉を紡いだ。
「……エルキュール……エルキュール・オルレアン」
それは、彼とその母に忠義を尽くし、命を落とした従者の姓だった。
せめて名だけでも――少年の心に、そう願う想いが、残っていたのかもしれない。
アトラスの眼差しが、ほんのわずかに揺れた。
「ふうん」
そう言ったのは、オリヴィア・スカーレットだった。
腕を組み、壁にもたれかかりながら、口の端を僅かに上げて言った。
「……長い。エル、でいいだろ」
そう言いかけた彼女だったが、少年の目の奥に宿るものを見て、言葉を一拍置いた。
「……まあ、エル・オルレアンでも悪くないか」
少年は、瞬きをした。
その目には、はじめて自分の名を自分で選んだ者の、それらしい戸惑いと決意が混ざっていた。
アトラスは、何も言わない。
だがその瞳はすでに、全てを見透かしており――それでも何一つ口にせず、ただ静かに頷いた。
「エル・オルレアン」
少年はもう一度、その名を口にした。
まるで、言葉にすることで、それが“自分になる”ことを確かめるかのように。
かつて帝都ロワイヤルにいた皇子は、もはやどこにもいない。
ここにいるのは、滅びの中から星と共に目覚めた者――エル・オルレアン、その人だった。
はじめまして!
そして、最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この序章では、滅びと目覚め、そして“名を選ぶ”という最初の選択が描かれました。
物語はここから、少年エル・オルレアンの旅と成長を軸に進んでいきます。
次回第1章 第1節は、**6月3日(月)**に投稿予定です。
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