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病院

掲載日:2025/04/03

 二人の男女が、男の持つアパートの一室で時間を過ごしていた。それは特別な時間というわけでもなく、かといって早送りしていいわけでもない、ただカレンダーを人差し指で順に追って辿り着くような、そしてただ、ふと時計を見れば二本の針が偶然重なっているような、ありふれた日のありふれた正午だった。


 ソウイチロウは、それを、海辺で綺麗な貝殻を見つけた、というような調子で言った。


「絶対に癌にも、心臓病にもならない方法を思いついた」


 ミヨはフライパンを洗いながら、「そう。私じゃなく、町医者にでも教えてあげなさいな」と言った。それは、大体の女にとって、海辺で見つけた綺麗な貝殻は、ただ綺麗な貝殻という以上の意味を持たないのだということを暗に物語っていた。とくにフライパンを洗っている最中には、である。


 ソウイチロウは続ける。


「町医者にこれを教えちゃ、詐欺師に絶対に騙されない方法を教えるようなもんだ。医者は癌と心臓病で金を稼いでるんだから。 つまりはな、こういうことだ。絶対に、病院に行かなけりゃ、癌にも心臓病にもならない」 


「どういうこと?」


「癌だとか、心臓病だとかを診断するのは医者だ。 そして医者が診断書を書いて初めて、それは癌にもなり、心臓病にもなる」


 ミヨは洗う手を止めた。「つまりあなたは、診断さえされなければどんな病気もただの体調不良だと言いたいのね?」

 彼女はそう確認したが、そのときの表情に浮かんだ呆れ具合といったら、茶道の師範も茶室の障子を音を立てて閉める程だ。


「まさしくその通り」


 ミヨはこれ以上は溜められないといったような溜息をついた。「そういえばあなた体調不良が好きだったわね。ちょっと都合が悪くなるとすぐ体調不良。私との三度目のデートのときも、体調不良でドタキャンしたわ。そのうち体調不良で死んでも私泣かないわよ」


「いや、それは確か七度目のデートだ。 三度目のときは本当に体調不良だったんだ」


「七度目の体調不良はなんだったというの……??」



✕ ✕ ✕



 そういうわけで月日は流れたが、ある日ミヨが残業から帰ると、ソウイチロウが居間に倒れているのを見つけた。


「……はぁ、夢ね、これ。大体、残業なんかがあるからこんな夢見るのよ。犬も猫も家に帰る時間に、わざわざ人間様だけ残らきゃいけないなんて理屈に合わないじゃないの。 ソウイチロウ、起きて。 ソウイチロウ。 ……そうちゃん、おきてってば」


 ソウイチロウは動かない。うつ伏せで、ただ部屋に置かれた家具類の一つであるかのように、物音一つ立てない。


「倒れたフリして、脅かそうったって無理よ。大体考えが幼稚なのよ。いい大人なんだからそういうのは卒業して。普通は中学校と一緒に、遅くとも童貞と一緒に卒業するものでしょう?」


 しかしソウイチロウは微動だにしない。そうすると次第に、ミヨの脳裏には想像したくもない恐ろしい予感が生まれて、彼女は思わず声を大きくして叫んだ。


「そうちゃんってば! 起きてよ。 そうちゃん! 」


 彼はピクリとも動かない。

 そして、ついにミヨの声に嗚咽のようなものが混じる。


「そうちゃん、起きて……。 ごめんなさい、私が良くなかったの。 ね、ごめんなさい。気に入らなかったよね。 私が悪かったの。 私のこと叱って? 心を入れ替えて、反省するから。 私に何してもいいんだよ? 私、そうちゃんのモノだから。 そうちゃん起きて、お願い」


 ソウイチロウが起きることは無かった。

 ミヨはその夜、眠らなかった。ソウイチロウがいない世界では、明日を迎える意味もさして見いだせなかったのである……

 


「……というような具合で、ドッキリ企画で、ミヨの心の本当のところを探ってみようと思ったんだ。まさか帰宅後3秒で見破られるとは思わなかった」


 ミヨは大きく息を吸い、この間ついた溜息も吸い直してから、これ以上溜められないといったような溜息をついた。


「呆れた。頭の病気ね。病院行ったら?」


 彼は返した。「うーん、ちょっと体調不良でさ。病院休むよ」

 

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