if end 箱庭の幸福
「……失敗です。異界の星詠みの力は、全てあちらに、流れてしまいました」
橙の明かりに鈍く照らされる、窓が一つもない空間。落ち着いた深い色味で厳かな様式の床に、わたしはただへたり込んでいた。
「何だと……? ではこの娘は、ただの役立たずに成り下がったということか!?」
先程から声を荒げているのは、ゆったりと重厚そうな長いローブに身を包み、身や衣装のあちこちを金の装飾で彩る壮年の男性。わたしを囲む、紅と深いブラウンの衣装に身を包んだ年齢も性別もバラバラの人達は、彼の罵声に怯えていた。
「何のために貴様等を用いたと思っている! 危険を冒してまで連れて来てやったのだ。この大エレヅの力とならせてやろうと! このーー役立たず共が!!」
この人が怒っている原因はわたしにあると、何となく分かる。怒鳴られている人達がなんとも言えない表情で、時折わたしを見るから。
多分だけど……わたしが期待外れだったのだと思う。
「次の手を考えるぞ!! リビウス!!」
「承知いたしました、陛下」
陛下と呼ばれた男と年老いた男は、兵士達を何人か引き連れて去って行こうとする。そこに陛下と良く似た男の人が声を掛けた。
「この娘はいかがいたしますか」
よく通る声。だけど冷たい。鮮やかな赤髪も、真っ直ぐ見据える翡翠の瞳も、燃えるように熱く感じるのに。
「任せる。外にさえ漏れなければ良い」
「承知いたしました」
彼は恭しくこうべを垂れて、男は今度こそ重い扉の向こうへ消えていった。
残されたのは物々しく警戒する兵士達と、糾弾され震える人達。それから赤髪の彼だけ。
「……憐れなものだな」
手が、わたしの頬に近付く。思わず身構えたけれど、構わず触れられた。ーー熱い。
「大人しく出来るならば、居場所くらいは与えてやろう」
良い人じゃ、ない。今聞いたばかりの話からして、わたしをここへ喚んだのは彼の父親だ。そして彼もそれを受け入れていた。
今だって上から物を言っているもの。どうせ行き場なんてないだろうって、憐れんで。恵んでやるって。
(居場所から引き摺り込んだのは、そっちなのに)
ここはどこなの。詰ってやりたいのに、怖くて何も言えない。情けなくて悔しかった。
「私はローダーだ。そなた、名は」
大嫌いだって、そう思っていたのに。
「エイコ」
香り高い、赤い花が咲き誇る庭園。蜜を吸いにきた蝶々を眺めていたわたしに、穏やかな声が掛かった。
「ーー殿下!」
パッと気分が上がる。胸が高鳴って、頬が熱くなるのが自分でも分かった。
「久しぶりだな。すまない……寂しい思いをさせただろう」
「こうして逢いに来てくださいました。それだけで、わたしは幸せでございます」
「私もだ。ーー逢いたかった」
人目も憚らずに抱き締め合って、離れていた時を埋めようと擦り寄る。とても温かくて、力強くて、わたしを安心させてくれた。もうこわいものなんて、ないけれど。
「そなたは今日も可憐だな。この間の薄紅も良かったが、やはり真紅が一番似合う」
「本当ですか? 嬉しい……」
贅沢なドレスも宝石も、豪華な食事も、居心地の良い部屋も豊かな庭も、何不自由ない生活を……彼は与えてくれる。堅牢な城と、厳重な警備と、殿下の愛に守られてどこまでも穏やかな日々を過ごしている。
出逢ったばかりの頃はあんなに憎らしく思っていたのに。気付けばこんなに恋しく想っていた。
(役立たずの小娘でしかないわたしは、正妃にはなれなかったけれど。良いの。わたし、幸せだもの)
愛する人に、嫁ぐことが出来た。
それに殿下はまだ正妃を娶られていない。今はまだ、わたしだけの殿下だ。
「さぁ、しばらく時間がある。何をしたい? 何でも叶えてやろう」
<この城の中で出来ることであれば>。それは暗黙の了解。外は情勢が不安定で、危ないらしい。何でも海を隔てた隣国が荒れているとか。そのせいで殿下もお忙しそうだけれど、帝国のためには必要なことらしい。
「ではずっと傍にいて、お話を聞かせてください。何でも良いんです。ただ、お声が聞きたい……」
「……欲がないな」
苦笑しながらも、殿下は聞いてくださる。手を引かれ陰のある場所までゆっくりと歩き出す。もうずっと殿下はただただお優しくて、出逢ったばかりの頃の苛烈さを、見ていない。
外での殿下は知らない。この世界に来てからお城の外に出たことがないから。
優しくて甘いものばかりに囲まれて過ごす日々。変わり映えがないといえばそうかもしれないけど、それでも良い。もうわたしは、居場所を失いたくないから。
唯一の変わったことといえば、時折見る夢かな。
誰かがわたしに語り掛けてくるけれど……不明瞭でよく分からないの。殿下は気にするなっておっしゃったから、そうすることにしてる。
『……コ……イコ……めなさ……』
そうしたら最近は声もいっそう薄れてきたし、見る頻度も減ってきた。多分異世界に来たストレスが原因だったんだと思う。
晴れやかな気持ちで空を見た。
(……あれ? こんな色だったっけ?)
なんだか少し、おかしいような……。
「どうした? エイコ」
殿下がわたしを甘く呼ぶ。すると心の中は彼でいっぱいになって、多幸感が満ち溢れた。
「いいえ。なんでもありません」
これからもこの穏やかで幸福な日々が、続いていくのだろう。ここにさえいられたら、彼さえいてくれたら、わたしはもうーーそれで良い。




