第7話 アザー
帝都を出発してほどなく。初めてわたしは<アザー>という生き物に遭遇していた。
「エイコは隠れてろ!」
そうわたしに言いつけて、ウラヌスとオージェは抜き身の剣を手にアザーの両側から群れを引き離すように駆けて行く。
二人の間には真夜中の空のような色の、大熊ぐらいある体躯の生き物がいる。毛の間から伸びる乳白色の四つ脚は骨みたいな質感に見えた。足先になる程に細くアンバランスで、見た目通り動きがぎこちない。
そして顔に、白い仮面を被っている。
何の表情もうかがえない、人の顔をした仮面を。
気味の悪い生き物だった。でも二人には少しも怯んだ様子がなく、果敢にアザーへ斬り込んでいく。
「うへぇ、どこのアザーも不気味だな~!」
文句を言いながらもオージェの手は止まらない。
ウラヌスも一体ずつ着々と片付けていたけれど、突進や脚を蹴り上げる攻撃を繰り返していたアザーの内、一体がふいにその場に留まる。そして振り子のように首を振り始めると、軀の周囲を緑の光が風のように吹き荒んだ。
(何をする気なの…!?)
岩場に隠れていても気が気じゃなくて、緊張に生唾を飲む。
揺れる首がカチリと嵌るように停止する。次の瞬間、数多の刃のような風がウラヌスを襲った。
「ウラヌス!」
彼が頭を剣で庇う。そして今度はウラヌスが剣を握らない手をアザーに差し出した。
力むようにわずかに震える手先。その周りの空気が、紫の光と共にパチリと弾けたかと思うと、その衝撃は次々と連鎖しながら規模を増していく。
あれは、電撃だ。紫の光が彼を覆い、衣服を、髪を、逆立てていく。
「落ちろ!」
響き渡る彼の一声の直後、手が振り下ろされると共に落ちた紫電が、大きな破裂音を伴ってアザーを焼いた。
「やるなら言ってちょーだいよ。タイミング合わせたのに」
「すまん、もういいかと思った」
「自信家~」
オージェの気怠げに囃し立てる独特な物言い。アザーの半分を倒し、自分のノルマは終わったとばかりに戦いをやめたウラヌスを尻目に、今度は彼が手に力を込め始めた。
薄青の光と共に、無からこぼれ出したような勢いで水の塊が現れる。見えない球体があるように、一定の形を保ちながらたゆんと揺れるそれは渦巻いていく。
「そぉれ、呑まれろ!」
急激に水量を増した水が、アザーの周囲に移った。まるで渦潮だ。
(魔法!? この世界ってやっぱり魔法があるの!?)
わたしを癒してくれた力も不思議だった。元の世界じゃありえない現象に目を見開く。
そうしてあっという間にアザーを制圧してしまった二人は、何食わぬ顔で納刀した。
「怪我はないな? エイコ」
「う、うん」
もう倒されてるって分かっていても不安で、警戒しつつウラヌス達のもとへ戻る。
アザー達の無機質な仮面の下が気になったけれど……見るのは怖くて目を背けた。そしてウラヌスの側に寄って腕に寄り添う。
「今の力は? 電撃や水が出た。痛いのを治してくれたのも……」
「星術だ。人とアザーなら基本的に誰でも使える。威力や属性の得て不得手はそれぞれだがな」
「ウラヌスは雷が、オージェは水が得意なの?」
「そうだ。だが、エステレア人は大体そうだな。エレヅ人なら炎と風が得意な者が多い。エイコも使えるか試してみるか?」
「え…! 使えるかもしれないの!?」
「どうかな。やってごらん」
彼がわたしの手を取って、手のひらを上に向けさせる。
異世界から来たわたしがあんな力を扱えるのかな。疑問に思ったけれど、もしかしたらってどうしても期待してしまう。
「手に集中して。何でも良い、何かエネルギーが生まれる想像をするんだ」
「エイコ頑張れ~!」
言われたように手に意識を集中する。さっき二人がしてみせたように何か生まれないかとイメージを膨らませた。
けれど、どれだけ願っても小さな光一つ現れない。
「込み上げてくる感覚はあるか?」
「……ない」
「何か違和感は、どーお?」
「ない……」
「……そうか」
ウラヌスの静かな返しに不安になる。これは、異常な事なのかな。
「星術が使えないって、おかしい? だめ?」
か細い問い掛けに彼は優しく微笑って、わたしの頭を一撫でした。
「いいや。基本的にって言っただろう? 少数だが使えない者はいる。ただ……使えない事は誰にも言ってはいけないよ。いいかい?」
「……どうして?」
「珍しい者は目立つ。君の安全の為だ」
わたしが目立つことで起きる、何を危惧しているのかな。ウラヌスはわたしが逃げて来たことを知らないのに。
気になったけれど黙って頷く。彼がそう言うならそうなのだろうと思って。
まだ一緒にいた時間はそれ程じゃないのに、この世界に来た最初が酷かったせいか、ウラヌスの事はもうすっかり信用してしまっていた。
「分かった。言わない」
我ながら無防備な雛鳥みたいに<与えられるもの>を全て受け入れていると思ったけど。今はただ、独りで心細かったところに王子様みたいに現れた彼に見放されたくなくて必死だった。
「エイコ、素直過ぎてオレ心配……」
でも、オージェにそう言われて少しだけ恥ずかしかった。