第59話 仮面の下
「冗談だろ……」
そうこぼしたのは誰だったか。だけど間違いなく、みんなの心の代弁だった。
「エイコ、視た記憶はこれで合っているか?」
「うん……」
わたしが頷くとウラヌスは再び檻へ向いた。暗闇に呑まれてしまいそうな背に、滅びの時が重なる。
わたしの視たものは現実に在った。エレヅ城で星詠みが部屋の鍵を開けてくれた時のように。つまりこれまで頭に流れ込んできたものは、妄想でも幻覚でもなく、正しく星の記憶であると証明された。
それは、近い未来エステレアが滅びウラヌスが失われる証明でもある。
「いやに大人しい……。通常、人を見れば怨敵とばかりに襲ってくるアザーが我々に目もくれないとは」
ノーヴの言う通りアザー達は不安になる声を上げるばかりで、わたし達への敵意が見られない。うろうろと檻の中を彷徨き、しゃがみ込み、あるいは宙を見て、まるで自分の世界に入ってしまっているように。
「でも一つ、賑やかなお部屋もあるようですわね」
シゼルが指すものは訊くまでもない。ここから少し先……異質な声と固い物を打ち付けるような音が響いてくる。物は固いけど、多分軽い。そう例えばーー仮面みたいな。
「見に行こう。念の為、シゼルとルジーはここで待機していてくれるか。エイコもだ。何かあれば氷術と地術で援護を。どうにもならない時は速やかに逃げてくれ」
「えっ……」
「承りましたわ」
「は? ウラヌス達はどうすンだよ! こんな何されるか分かんねー場所でーー」
「大きな声はおやめになって。人気がないからといって、油断は大敵ですわ」
わたしとルジーはシゼルの腕に遮られて、その場に留められる。一方三人は際立つ声のもとへ静かに向かった。
見守るわたしの不安を煽る声は大きさを増し、より鮮明になっていく。
(この声、アザーっぽくない。なんだろ……)
記憶を探って対象を探す。それに至ったのはすぐだった。
(あ、そうだ)
ーー人の声に、近い。
気付いてしまったそれに肌が粟立つ。わたしの視た記憶にはアザーの仮面の他に何が現れた?
強張った身体。不安と恐怖で、視線が見たくもない檻をなぞっていく。ふいに聞こえた固い音に、瞬時に発生源と思しき真横の檻へ固定してしまう。
アザーの姿はない。けれど、鉄格子の奥は見えない。虚無のような闇が本能的な恐怖を煽った。
次の瞬間、全ての声が途絶える。人でも稀にある現象だ。
「ううぅ……あぁ〜……」
無音の空間へーーふいに呻き声が溶けた。
似たような声がそこかしこから聞こえてきて、徐々に声量は増していく。そこに枯れたような声が混じり始めた。
ぬ、と。並ぶ鉄の隙間から白過ぎる仮面が浮かぶ。
その真横、何もなかった闇の中からーー人の手が、格子を掴んだ。吐息が掛かりそうな距離で初めて、奴らに呼吸がないことを知る。
「ばぁ」
人の声だった。もう一つの手が仮面を外して、わたしは隠されしものを目の当たりにしてしまう。
そこから何も分からなくなった。
明日は特別な日だ。
「えっと……まず青藍で追加の食材と装飾を買って、エテルノで記念品、ヒュドールでお花を受け取って、ボヌールのケーキとフルーツ盛り合わせは明日……と」
口にして今日の予定を確認する。
両親の結婚■■周年記念日。
例年は外食でディナーだったけれど、たまには家でのんびりも良いという話になって。わたしが日頃の感謝の気持ちを込めてディナーパーティーを企画することにした。
事前に買える物はもう準備済み。今日はその不足分と、前日でも良い物を受け取りに行く。おろしたてのワンピースを着て、明日に向けて気合いを入れるんだ。
(新しい服は気分が上がるなぁ。明日は二人がプレゼントしてくれたワンピ!)
全身鏡で最終身だしなみチェック。ベージュのタイトなワンピースは上品さと色気が上手く溶け合って、洗練された雰囲気を醸し出してくれる。バッグは初夏を意識して透け感のある素材の物を選んだ。耳たぶを揺らすアクセサリーはお気に入り。
「ねぇエイコ、やっぱり私も手伝うわ。一人じゃ大変でしょう」
「大丈夫! 楽しみに待ってて」
階段を降りるとそこにいたお母さんが振り返り、心配そうに頬へ手を当てて言った。母は家事が得意で、協力を頼めば準備は楽になるだろう。でも今回はわたしが一人で頑張りたかった。二人のために。
「そう…? もちろん楽しみだけれど、無理のない範囲で良いからね」
いつもわたしを安心させてくれる微笑みが浮かぶ。その後ろからお父さんもやって来た。
「結婚記念日にエイコがパーティーを開いてくれるとは。あんなに小さかったお前が……。ちなみに、何料理なんだ?」
「秘密だよー。お母さんありがとう。明日はご馳走だから、お父さんも楽しみにしててね。じゃあ、そろそろ行くね」
「ああ、行ってらっしゃい」
手を振ってくれたお父さんに振り返して、ドアを開ける。門まで見送りに出てくれたお母さんへも元気に声を張った。
「行ってきます!」
今日は快晴。暖かい陽射しと母の優しいかんばせに気分はますます浮き立つ。
「気をつけるのよ。遅くなるなら連絡してね!」
頷いて手を振った。朝の静閑な住宅街を青藍へ向けて歩き出す。
明日はきっと素敵な日になるだろう。思い浮かべた二人の喜ぶ顔に、頬が緩んだ。
(楽しみだな)
両親の記念日だけど、二人の大切な日はわたしにとっても特別。弾みそうな程に軽い足取りで、わたしは家族と別れたのだった。




