第5話 思い知る
「あ、あの…! エステレアって、どこにあるんですか!?」
なけなしの勇気を振り絞って問うた。
唐突だったからか、二人は目を見合わせた後、白銀髪の人がわたしの手を振り払うことなく反応してくれた。
「エステレアに行きたいのか?」
「そう、そうです」
「エステレアは〜、海を挟んだ先の隣国だよ。何かあるの?」
浅葱色の髪の人も近付いて来る。もう怖くはなかったけれど、ただ、彼の問いに対する上手い言葉が咄嗟に見つからない。
「小鹿ちゃん、エステレア人……って感じでもないよね」
「……て、帝都に行きたいんです!」
早く答えなきゃ不審に思われる。焦りながら絞り出した言葉だった。
でも、これが墓穴を掘ってしまう。二人は少しの間の後、言葉を選んでいる様子で言った。
「エステレアにあるのは、皇都だ」
(しまった…!!)
ここが大エレヅ帝国と呼ばれていたから、ついエステレアも帝国だと勘違いしていた。きっとこの世界の常識に照らせばあり得ない無知だ。
さっきまで安心出来ていたはずの二人の眼差しが、急に怖くなる。絶対に怪しまれた。ひょっとしたら、不審者だって兵士に突き出されてしまうかもしれない。
「あ……わ、わたし、無知で……」
そろりと手を離し、後退る。また背中が壁に密着した。わたしの様子が逆戻りしたからか、白銀髪の人は慌ててまた笑みを浮かべた。
「ああ、すまない。責めている訳じゃない。……だが、皇都を知らないのに何故行きたいんだ? せっかく会った縁だ。それくらい訊いても良いかい」
「それはっ……」
エステレアの皇子殿下のもとをーー。
「会いたい人が、いるからです」
これは本当のことだ。でも皇子様に会いたいなんて言ったら、確実にもっと怪しまれると思ったからそれ以上は言えないと感じた。
「エステレアの皇都に……そうか……。失礼だが、見たところ君はこの帝都の救済地区民のようだがーーー」
「サラーサ……?」
「……違うのか。どこの出身だ?」
「……!」
不味い。どうしてそんな事を訊くんだろう。エステレアとエレヅ以外の言葉なんて何も知らない。あと知っているとすれば、星詠みっていうものだけ。でもこれは絶対に地名じゃない。
「……き、記憶がないん、です」
「まじー!? 記憶喪失なの! それで、エステレアの会いたい人の事だけ覚えてる感じ?」
「ううん、会いたい人が、いたような…それだけ……」
なんて行き当たりばったりな嘘なんだろう。自分でそう思うけれど、わたしの頭じゃ上手い理由が思いつかない。
また顔を見合わせた二人に、お腹の前で思わず両手を組む。不安な時はこうすると何とか立っていられる。
「小鹿ちゃんさ、服は痛んでるのに身体は全然汚れてないよね。手ぇ見せもらっても、い?」
「は、はい」
「……綺麗だね」
探るような眼差しがわたしを覗く。その瞳を見ているも、本当はわたしの嘘なんて全部バレてるんじゃないかって気持ちになった。
そろそろと手を引っ込めるわたしに今度は白銀髪の人が問い掛けてきた。
「最後の記憶があるのはいつだ?」
「……な、ないです。気付いたらここに……」
「ここにねぇ……」
浅葱色の髪の人の、含みのある声。その言葉に周囲を見渡すと、随分と景観が整っていることにようやく気付く。ごみ一つない舗装された道、丁寧に世話されているのがうかがえる街路樹や花、点々と建ち並ぶクラシックな洋館。
まるで……まるで異国の貴族が住んでいそうな。
でも人気はない。
「人がいない……」
「知らないのか。アザーの暴走が起きたらしい。アザーは分かるか?」
「分かりません……」
「人とは別種の、人を襲う生き物だ。警戒線を引いているから通常街には入って来ないが、今回は規模が大きいらしくてな……貴族はもちろん、皇族まで出陣したのさ。残った貴族は屋敷にでも籠っているんだろう。それで、提案なんだが」
白銀髪の人が話を区切る。彼の形の良い唇から次に飛び出した言葉に、混乱してばかりだったわたしはさらに驚くことになる。
「しばらく一緒にいないか。おれ達はエステレア人だ。所用でしばらくエレヅに留まらなければならないが……エステレアの知り合いに君の迎えを頼もう」
エステレア人、まさか二人が……。
関係あるのかは分からないけど、確かにお城にいた人達とは全然色が違う。
「いいの……?」
「困ってる女の子一人、ほっとけないっしょ」
「それが良い。良し、決まりだな!」
まだ答えていないけれど、待たずして二人は話を決めてしまった。でもその強引さは多分優しさからくるもので、嫌じゃなかった。
初めて懐っこさを帯びた顔がわたしを見る。
「おれはウラヌス。君、名前は覚えているかい?」
「……エイコです」
今さら気付いた。ウラヌスは、まるで物語の皇子様みたいに綺麗だ。腰に差している剣がいっそう雰囲気を増している。
「オレはオージェだよ。君のことバッチリ守るから、よろしくね〜。エイコ!」
「よ、よろしくお願いします」
「硬いな〜。オレ達の仲に敬語なんていらないでしょ」
オージェは少し軟派なところがあるようだ。でも優しい語り口はわたしの警戒心を溶いてくれる。
彼も剣士のようでウラヌスとは形の違う鞘を腰に差している。
「おいで、エイコ」
ウラヌスの、深い色味の手袋を嵌めた手が差し伸べられる。緊張しながら取ると、ぎゅっと思いの外強い力で握り返された。
彼を見上げると見つめ返してくれる。何となく気恥ずかしくて目線を逸らすと、そこで、わたしは彼の頭上に広がる遮る物が一つもない、広大な青空を目に映した。
その青はわたしの知る空より少し深くて。
やっぱりここは、わたしの生まれた世界じゃないんだと思い知った。