第52話 待ち人未だ来ず
「まぁ、いらっしゃいませ。こんな場所へようこそお越しくださいました」
件の屋敷でわたし達を出迎えたのは思ったより若い女性で、彼女は久しぶりのお客様だと笑顔で受け入れてくれた。
「ノーヴさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。ネメシア。突然の訪問で申し訳ない」
「何を言うんですか。ヤイロも喜びますよ。さ、皆さまもどうぞお入りください。雨で寒かったでしょう。今、温かいお茶を淹れますね」
そう言って布巾をたくさん持ってきてくれた彼女へウラヌスが礼を告げる。
「かたじけない、ネメシア殿」
「ふふふ。良いんですよ」
玄関先で外套を脱ぎ、上がらせていただく。通された客間で窓を叩く雨粒を眺めていると、湯気の立つお茶と焼き菓子が出てきた。
そしてノーヴが一人の男性を連れてくる。車椅子に座り、暖かそうな膝掛けをした彼は虚ろな様子で、宙を眺めていた。
「彼が私の友人、ヤイロです。……ヤイロ、こちらが先程話した方々だ。今日は少し、話をさせて欲しい」
「……」
ノーヴからは聞いたことのない柔らかな声だった。何も返さないヤイロさんへ彼は何を思うのか。それを読み取らせない表情でネメシアさんへ視線を移す。
「ネメシアもご一緒に構いませんか?」
「もちろんです」
快く頷いてくれた彼女に、わたし達はヤイロさんへ挨拶していく。ノーヴも席へ着いた。
それからお茶を一口。温かさにほっと息を吐いたところで、ノーヴが世間話から入った。
「最近はいかがですか」
「うーん、ヤイロは相変わらずですね。会話出来たり、出来なかったり。だからせっかくお越しいただいたけれど、大してお話出来ないかもしれません。すみません」
「とんでもない。急に押し掛けたのはこちらの方……こうして迎えていただき、本当に感謝している」
ウラヌスの返しにネメシアさんはほんのり頬を染めて微笑った。
「冒険者さんなのに……品があって、まるで王子様みたいですね」
<誰か話題を逸らせ>。
オージェの小声にシゼルが話題を提供してくれた。
「貴方お一人で彼のお世話をしていらっしゃるの?」
「基本的にはそうですね。どうしても力が足りないので、入浴なんかは手伝いが来てくれます。でもご覧になった通り、毒沼の先だから……あんまり来られないですけど」
「そうでした、生活に必要な物を持てるだけ持ってきたのです。お役立てください」
「まあ! ありがとうございます」
ノーヴの言葉にわたし達も思い出して、男性陣が荷物から手土産を取り出す。ジューク港は物流が盛んで色々な物が取り揃えられ、とても都合が良かった。
ひとまず品物を一纏めにテーブル脇辺りへ置いて、オージェが運搬を申し出た。
「後で置き場所教えてよ。持ってくからさ。運ぶの、大変でしょ?」
「それは助かりますわ。ヤイロ、良かったですね」
彼女に語り掛けられても、ヤイロさんの視線は定まらない。それでもネメシアさんは優しい眼差しで彼を見ていた。
(……どういうご関係なのかな)
疑問だけど人の勝手だから、聞く気にはなれない。
その時ヤイロさんが身じろいで膝掛けがずれた。あらわになった半身に……ノーヴの話がまた一つ、事実だったと思い知る。
ネメシアさんがそっと掛け直してあげた。それから座り直し再び彼を見る彼女は、静けさを纏っていて。
「泥人形……ようやく二日前に作り終えたところだったんですけど」
そして視線は窓へ移る。長方形の枠。その向こうでは降りしきる雨が、世界を鈍色に染めていた。
「……もう溶けちゃいましたよね……」
ぽつりと、小さな呟き。誰の返事も求めていなかった。その瞳に刹那だけ、哀愁が過ぎって消えるのを捉える。
「あのひとがた、怖かったでしょう?」
……い、今のは……。
次の瞬間には何事もなかったかのようにネメシアさんは問い掛けてきて。ルジーが熱の込もる様子で答えた。
「初めは驚いたけど、見事なモンだぜ! 場所もポーズも全然違うのに、目の色は全部同じだったところにこだわりを感じた!」
目の色? 一緒だったかな。
ルジーの言葉に泥人形を思い返してみると、そういえば同色だったかもしれない。
(ルジーはよく見てたんだなぁ。確実に覚えてる色は確か……あれ?)
そして気付いてしまう。硝子玉とヤイロさんの瞳の色がーー同じだという事実に。
ネメシアさんは朗らかに話を続ける。
「彼、待ってるんです。……ね、ヤイロ?」
彼女に問われて初めて、ずっと虚ろだったヤイロさんが口をパクパクと開け閉めした。そして何事かを呟き出す。
「……め……め……」
場が静まり返り、耳を傾けるも何も判らない。ウラヌスが慎重な声色ながらも本題へ切り込んだ。
「彼は何を待っているか、訊いても良いだろうか」
「あ…すみません。実を言うと、それは私も知らないんです」
「では、なぜあの人形を作るのかは? ……もしもこうなる前の彼をご存知なら、話をお聞かせ願いたい」
考えるように少し黙り込んだネメシアさん。でもやがて彼女は記憶を辿るような眼差しで、話し始めてくれた。
「……私とヤイロが出会ったのは、彼がバハルに来てから初めての里帰りの少し前なんです。エレヅで何があったのか、バハルへ戻って来てからの彼は突然アザー崇拝教について調べ出しました」
「エレヅでの事、もしくは……アザー崇拝教については何か話していなかったか」
「いいえ、その時は何も。ただ……」
そこまで言い掛けてネメシアさんは<何でもない>と首を振る。明らかに何かあるけれど、やっぱりアザー崇拝教のこととなると口が固くなるようだった。
そんな彼女へウラヌスは安心させるように語り掛ける。
「貴方がたの不都合になるようにはしない。決して。……奴らは恐ろしいことを企てている可能性があるんだ。些細なことでも良い。どうか、話してはもらえないか」
彼女は迷っていた。多分話そうとしてくれていて、でも踏ん切りがつかない様子に、わたしはその手を取る。
「……ネメシアさん、ヤイロさんはズェリーザ廃坑のこと、言っていましたか?」
「どうしてそれを…!!」
当たりみたいだ。驚いた顔がわたしを見た。
こちらがすでに何らかの情報を掴んでいると察したようで、躊躇いながらも口が開かれる。
「……たまたま聞いてしまったんです。ズェリーザ廃坑が怪しいって呟いてるのを。それから……」
「はい」
「ーーメイグーン研究所の名前も、出てたような……」
…… メイグーン研究所?
みんなで顔を見合わせた。だってそれは、あまりに予想外の言葉だったから。
メイグーン研究所はエレヅの学術都市に在った、エステレアへ行く直前に訪れた場所だ。色々と展示していてウラヌスとオージェから熱の入った解説を受けたのが懐かしい。
「その後ヤイロはもう一度エレヅへ行って、帰ってきた時には……」
「この状態でしたな」
途切れた言葉はノーヴが継いだ。
「泥人形を作る時は少し、彼が戻ってくるの。でも一心不乱だから会話は出来ないけど……。ただ<待ってる>と言っていました」
「……ヤイロにも話を聞いてみましょうか」
ノーヴの視線がヤイロさんへ向く。未だぼんやり座るだけの彼に本当に話が聞けるのだろうか。
何とも言えない空気が流れる中、ふいに彼が呻き始めた。そしてわたし達はアザー崇拝教と関わる危険性を目の当たりにする。




