第41話 偽物
<星詠いの儀>という星の記憶を授かる儀式に失敗してからはや数日。わたしから異界の星詠みとして欠けたものを求め、考えを巡らせるも意味のないまま、ただ時が過ぎていた。
こうしている間にもエステレアは滅亡に向かっているっていうのに、何も出来ない自分が歯痒い。焦れる心が暴れ出しそうになるわたしを引き留めていたのは、日々の忙しさだった。
意図して詠えないのに何をする事があるのか? それは文字の勉強に始まり、歴史や一般教養等の座学。マナー、所作、ダンス、音楽……早い話が皇妃教育を詰め込まれていた。
「星詠みさま、この字とこの字はとても似ていますが別物です。見分け方は……」
「ランパ芋は星話にも出てくる食物です。太古の時代、地上が飢饉に苦しんだ時、星が地上に……」
「そうです! 常に微笑みは絶やさず、厳かな雰囲気を保ち……」
「三拍子でございますよ。はい、いち、に、さん! リズムに乗って! でも優雅に!」
「発音が違いますわ。もっと口を窄めて。ついでに音程も……」
「この字は少しお転婆が過ぎますな。もう少しお上品に……」
「……と、アザーの仮面の下を見た者は、気が触れる、非業の死を遂げるといった……」
これでもかと詰め込まれていた。
「……」
つらい。
勝手にぽろぽろと涙が流れて、先生がぎょっとした。
「ほ、星詠みさま……!」
口元に手を当てて青ざめている。侍女達が心配げに声を掛けてくれて、ハンカチで涙を拭う。
わたし、なんでこんな事してるんだろ? 星詠みとしては頑張るって言ったけど、皇妃になるとは言ってない。そう思いながら教科書をぼんやり眺めていたら、ふと見覚えのある記述だったと思い当たる。
(これ……学術都市の研究所でウラヌスとオージェから聞いたやつだ……)
ぱらぱらと頁を捲ると、また見覚えがあった。
(そういえばこれ、エレヅの村で聞いたなぁ)
……すでに皇妃教育は始まっていた?
そんなまさか。いや、そういえば研究所じゃ、やけにわたしへ知識を植え込もうとしていたような。でも、その前からウラヌスは色々と教えてくれて。
(……いつから? いつから始まってたの)
わたしの考え過ぎなのかな。疑念を持ちながらも本の頁を戻す。出来ることから始めるって、マーヴスネットで決めたから。
「すみませんでした。続けてください、先生」
「だ……大丈夫ですか? ご休憩になさいましょう」
「大丈夫です!」
「はひ……でもぉ……ぉぅ…が……」
「え? 何とおっしゃったのですか」
「い、いいえ! ではもう少しだけ進んだら、休憩になさいましょう!」
「はい」
すぐ弱音を吐きたくなる自分に喝を入れて、教科書と向き直った。
そうだ。みんながわたしへ向けてくれる期待に、恥じない人間になりたいとも思ったんだから。与えられるものをただ享受するんじゃなくて、その待遇に値する人間になりたい。
(頑張ろう)
頑張らなくちゃ。
「すぐにお食事をお持ちします。どうぞお休みくださいませ」
午前の勉学を終えて、休憩のために自室に戻って来たのはいつもより少し早い時間。泣いてしまったわたしに先生がお気を遣ってくださったからだった。
侍女達にも下がってもらい、一人でベッドに身を沈める。脳も精神もいっぱい使ってとても疲れた。
「ウラヌス……」
逢いたい。逢って、あの優しい微笑みと声でわたしの心を包んで欲しい。それから温かい手で背を撫でて欲しい。
でも彼は今も政務をこなしているはずだから、そんな我儘は叶わない。
(旅をしていた頃だったら、いつでも一緒だったのに……)
いつでも手の届く距離にいてくれたのに。
もう気軽に彼を呼ぶことさえ出来ない。オージェと遊ぶことだって、出来ない。シゼルもルジーもノーヴもここにいない。
(寂しい……)
じんわり、また涙が出てきた。
「はぁ、だめだだめだ……泣いてばっかり。頑張れ、わたし」
気を取り直そうとベッドから降りて、窓辺に向かう。金属板がバッテン状に嵌め込まれて外が見えにくいけれど、隙間から美しく整えられた花園が見える。
「……なにこれ?」
ふと窓枠に小さな紙が挟まっているのに気付く。どこかぼんやりした頭でそれを取り開くと、あまりに久しぶりに見た文字に一瞬、疑問符が湧いた。
<元の世界の事でお話したいです。聞かれては困るので、西の青い花園近くの城壁へお越しくださいませ。時間は午前休憩の時に。ーーレンーー>
「……元の世界……」
そういえばあの子、異世界人なのは分かるけど、わたしと同じ世界から来たのかな。
午前休憩の時に、西の青い花園へ……午前休憩って今だな。
のろのろと歩いて、おもむろに扉を開く。すると警備の騎士達が折り目正しくわたしへ向いた。
「いかがなされましたか」
「……少し、外の空気を吸いに行ってきます」
「てはお供いたします」
「大丈夫、少し一人になりたいんです」
「なりません。星詠みさーー!」
騎士の驚いた顔に首を傾げる。視界がぼやけていると気付いて、目元に手をやるとまた勝手に涙が溢れていた。
みっともないと騎士達へ背を向けて歩き出す。もう何も言われなかった。
でもしばらく歩いてからそこはかとなく感じる。少し一人になりたいって泣いたら、わたし、かなり深刻な状態みたいじゃなかった?
(まずかったかな……)
騒ぎになるのは本意じゃないから、これ以上は泣き顔を晒さないよう、その辺の開いていた窓からこっそり屋外へ出る。エレヅ城でそうしたみたいに造園の陰を行くと、案外見つからずに目的地へ到着した。
「ごきげんよう、エイコ。来てくださったのね。嬉しいわ」
声の方へ振り向くと目当ての姿が在った。彼女は花が綻ぶように微笑んで、わたしをさらなる陰へ手招く。
「この辺り、あまり人目がなくてお気に入りの場所ですの。深く息を吐けますわ」
「あ……そうですよね。ずっと誰かに囲まれて、ありがたいけど、少し疲れる時ってありますよね……」
「もっと楽に話してくださって構いませんのよ。エイコ。私達、同じ異界人でしょう」
温かい言葉に少し、頬が緩んだ。そういえば彼女に敵視されていたはずだったけど、今のレンは全然違う。本人が言った通り、あの時は少し普通じゃなかったんだ。
それは案外わたしと同じような理由なのかも……。慣れない環境じゃ誰だって多少なりとも疲れるよね。
「ありがとう。わたし、野々咲エイコ。今さらだけど……よろしくね」
「改めて、私はレンよ」
……彼女には苗字がないのかな。疑問に口を開きかけた時、身体に衝撃が走る。
「ーーえ?」
背中を何かに強く打ち付けて、体勢を崩した脚を軸にぐるりと身体が回る。
一瞬にして目の前のものがレンから樹林に変わる。膝から崩れ落ちた身体が在ったのは……城壁の外だった。
「レ……レン?」
「ごめんなさい! こんな事をして……。でも、分かってくださる? 貴方がいる限り、私とウラヌス様は結ばれないの」
「!」
「お願い、どこかへ去ってください。私達はーー愛し合っていますの!」
ガン! と心臓を、撃たれた錯覚がした。
遅れて、まず唇が震え出す。それから手、肩……全身。
可憐な声が懸命に訴えを続けた。
「必要ならこっそり援助いたします。だからどうか……星詠いのことも、任せてくださいまし」
「まっ……」
「さようなら、野々咲エイコさん。私は……星乃レンは、きっと貴方の分まで立派に務めを果たします」
縋り付いた壁はもう微動だにしない。始めからただの壁であったかのように、沈黙を貫いている。
「さようなら。私のーー<偽物>さん」
無慈悲に足音が去っていく。もうどんなに呼び掛けても返事が返ってくることは、なかった。




