第26話 手を離す
「エイコ、待たせたな!」
中庭の出来事から程なくして、部屋に戻ったわたしのもとへウラヌスは約束通り来てくれた。
彼にしては珍しく息を切らし気味で、頬をわずかに紅潮させている。きっと急いで来てくれたんだろう。そんな彼と入れ替わりにミーヌ達は退室した。
「オージェとシゼルは来ないの?」
「ああ……彼等には彼等の仕事がある。何、そのうち会えるように調整してやるさ」
「そっか…」
出来るなら会いたかった。寂しさに目線を流したわたしの腰をウラヌスは抱いて、ソファに誘われる。隣合って腰掛けると彼の腕は肩に移動した。
手を取られて、やけに近い距離で彼はわたしを見下ろす。
「怪我の具合はどうだ。少しでも痛みはあるかい」
「大丈夫だよ。ウラヌスが治してくれたおかげで、すっかり元気。本当にありがとう」
「礼を言うのはこちらの方だ。でも、もう二度と……あんな事はやめてくれ。心配でどうにかなりそうだ」
「ご、ごめんね……」
あんまり見つめられるから、居心地悪く感じて距離を置こうとする。でも彼の腕はグッとわたしを引いて、離れられなかった。
驚いて。ウラヌスを見る。相変わらず彼はわたしを強過ぎる眼差しで見ていた。口元だけで笑っている。
…なんだろう。心が、騒めく。焦れていく。誤魔化そうと必死に話題を探した。
「そ…そういえば、星術ってすごく痛いんだね。いつもウラヌス達はしっかり立ってたどころか、戦ってまでいたのに。わたし軟弱過ぎてびっくりしたよ」
「……星術が使えない者は、星術への耐性もない。だから余計に痛むんだ」
「そうなんだ…気を、付けるね」
気まずい。
「ところで、ウラヌスが皇子様だったなんて。でもウラヌスはすごく格好良いから、すごく納得した。オージェとシゼルもお城の人だったんだね」
「オージェはおれの乳兄弟、シゼルは騎士だ。皇子の身分は、迂闊には明かせなかった。黙っていて本当にすまない」
「そんなの…いいよ。当然だよ」
わたしは未だ、明かさずにいるのに。
本当は皇子様に逢えたら全部話すつもりだったけど。もう、無意味だ。きっと彼を悪戯に困らせるだけ。
口を閉じたわたしへ今度はウラヌスが振ってきた話題に、身体が強張った。
「さて、君の話に戻りたい」
わたしの話……。
彼が一度口を開こうとして、閉じる。まるで躊躇っているような素振りだ。もしくは、切り出し方を考えているような。
時間にしたらほんの一瞬だったと思う。でもわたしはいやに長く感じて、焦れて、気付いた時には焦燥が歪な形で口から転がり出ていた。
「わたし、もう出て行くから。今まで本当にありがとう」
唐突過ぎたと察した時にはもう遅い。
「……は?」
聞いたことのない程に低い声が、わたしに向けられた。反射的に口を噤んだわたしに彼は言葉を続ける。その声色はもう、普段の彼に戻っていたけれど。どこか……不穏な響きを感じる。
「どういう事だ?」
「だ……だってエステレアに着いたから。ここからはわたし、自分で頑張らなきゃ。頼ってばかりだった。ごめんなさい」
「待ってくれ。急にどうした。何故、そうなるんだ」
「わたし、ここにいても仕方ないし。そもそも一般市民がいるべきじゃないし」
ウラヌスの様子にますます焦って上手い言い回しが出てこない。そんなわたしに彼の声は、再び温度を失くしていく。
「…では、どうするというんだ。エステレアに着いたからって、それで君に何が分かる? 何が出来る?」
ーーつまり、わたしは何も期待されていなかった。
あの女の子と違って。
『私、この国に呼ばれたの。この国とウラヌス皇子をお助けする為に。皇子はずっと、私を求めていらしたのですって』
彼の探し人ではなかった。ずっと支えにしてきたものは、儚い幻だった。
「落ち着けエイコ。おれはーー」
「ーーもういい! ここまで十分助けてもらったもの。わたし…っ、わたし! 一人でやってくから」
「おい!?」
彼の腕を振り払い、立ち上がる。そのまま窓の方へ駆けようとすると、腕を掴まれた。
「エイコ!? どこへ行くんだ!」
「エステレアを旅するの。わたしの居場所を見つけるの!」
「戦えない君がか!? 居場所だと? 君の居場所はここだ。おれの傍だ!」
「違う! ちがう……!!」
わっと目が潤んで、一筋流れるともう駄目だった。大粒の涙がこぼれてとまらない。でも何が悲しいのか分からないくらいに、わたしの中はぐちゃぐちゃだ。
「痛い!」
嘘の悲鳴に彼の力が緩む。その隙を突いて一気に窓へ駆け抜けた。
鍵へ手を掛けようとした時、硝子が割れるんじゃないかって程の力で彼が鍵を押さえる。そのあまりの剣幕に怯むと、今度はわたしが隙を突かれてウラヌスの方を向かされた。強く掴まれた肩は、拘束されている。
「ーー行くな」
まるで、わたしにここへいて欲しいみたい。
でもそうじゃない。
「……恩返し、出来なくてごめんなさい。でもきっと、何か返すから。一生掛かってもお返しするから」
「行かせないからな。何処へも。非力な君がおれに敵うものか」
「ううん、行く。わたし、行くの……!!」
絶対に出て行く。わたしの願いを、叶える。その想いに反応するように、突如眩く青い光が溢れた。
「ぐッ……!?」
ウラヌスが吹き飛ばされて、ソファにぶつかる。思わず彼を案じたけれど、打ったのは背中みたいだから気持ちを振り切って鍵を開く。
「エイコーー!!」
最後だと、ウラヌスの呼ぶ声に振り向いた。彼に呼んでもらうのは好きだった。
「さようなら、ウラヌス」
精一杯穏やかに微笑んで別れを告げる。
わたしを見る大好きな姿を目に焼き付けて、窓に足を掛けた。ーーそこでわたしの意識は途切れる。
次に目蓋を開いた時にはーーわたしは、全く知らない景色の中で、横たわっていたのだった。




