第18話 ビエンド渓谷と勇壮なる剣
「お、来たか」
早朝の川辺。瀬音と風の涼しさが心地良い場に鳥の鳴き声が響いた。
ウラヌスが見上げる空には一羽の白い鳥が飛ぶ。彼が手を差し出すと鳥は待っていたかのように留まり、その脚には小さな紙が二通括り付けられていた。
「もしかして、お手紙を運んで来てくれたの?」
「そうだ。エステレアからの物だ。おそらく君の迎えを頼んだ件だろう。よーしよし。よく来たな」
「良い子だね~。羽艶が素晴らしいね~」
鳥を褒め、くるくると手紙を開き目を通すウラヌスとオージェ。
「どうやらエレヅの港に着いたらしい。こことの中間地点に学術都市ゾビアがあるから、そこで待ち合わせることになった。まずは渓谷を越えなければならないがな」
「……帝都からして渓谷や森の向こうに港があるなんて、不便じゃないの?」
「意図的さ。ソイル王朝時代からエステレア皇室は水面下で敵視されている。表向きこそ仲良くしているが、エレヅの交易の主は陸続きの国の方だ」
「え! 陸続きの国があったんだ」
「ああ。土壌が良く、実り豊かな国だ。干ばつ問題を抱えるエレヅにとって最も大事な友好国だろう」
わたしに説明してくれながら彼はオージェが差し出した二通目を開く。それにも目を通し、そして……黙り込んでしまった。
その表情は固くて、戸惑っているようにも見える。
何が書かれていたんだろう。おそるおそるわたしは聞いた。
「……ウラヌス? 何か、良くない事だった?」
「いや……問題ない」
そんな顔じゃないのに。ウラヌスは手紙を丁寧に畳むと懐にしまい込んだ。
「そろそろ出発しよう。陽のある内に少しでも進みたい」
顔色が良くない気がする。彼が何を見たのか気になったけれど、わたしにそれ以上訊く勇気はなくて。資格もなくて。
大人しく出発の号令に従った。
ビエンド渓谷。エレヅ内では珍しい、ソイル時代から変わらぬ川が流れる涼しい場所。透度の高い美しい水に国内外から避暑地として人気で、一部では渓流下りのアトラクションが行われている。
ただし、その一部を除けば人の手はほとんど入っていなくて、アザーの棲処と化している。今回わたし達が通るのはもちろん、アザーの棲処の方だ。
「綺麗……」
涼しい気温と清爽な水音が心を澄ませていく。
足を踏み入れたそこは緑が濃く、木々の葉が川の陰となってまさに避暑地に相応しい景色だった。川の所々から飛び出した岩は苔むし、その側を魚が泳いでいる。
「心が洗われるよねぇ。でも水の中にもアザーはいるから気を付けて」
「水の中にもいるの!? 飛んでるのもいるし、もしかして地中にもいたり……?」
「エイコかしこーい! 基本どこにでもいるよ。今もほら、草葉の陰から……」
「もー! またそうやって脅して!」
ウラヌスといいオージェといい、最近こうやって意地悪を言う時がある。わたしを揶揄って楽しんで……ぶすくれると前を歩くウラヌスの肩が小さく揺れてるのに気付いた。
ムッとして、その腕に絡んで抗議する。
「庇ってくれないの…?」
そんなわたしをウラヌスは目を細めて見下ろした。
「すまない。……エイコが可愛いのがいけない。そんなに反応しては、つけ上がらせるだけだ」
そっと片耳に髪を掛けられて、優しく諭されて、思わぬ反応に顔がほてる。不自然にならないよう努めて顔を逸らし、腕を離した。
「……ウラヌスって女の子の扱い方慣れてるよね。ウラヌスが好きって娘、いっぱいいるでしょ」
わたし何言ってるんだろ。
こんな恋愛ドラマみたいな台詞を自分が言う日が来るなんて思わなかった。
「おや……気にしてくれるのかい?」
返ってきた反応に何だか胸が痛くなる。また揶揄われてる気分になった。でもウラヌスの言葉には続きがあった。
「おれは恋なんてしたことはないよ」
思ってもみなかった返答につい彼を見た。いつも通り優しくて、でも何だか少し違うような……そんな瞳がわたしを見つめていた。
心臓が跳ねて、周りの音が消える。きっと一瞬の出来事なのに、長く感じた。
我に返ったのはオージェのぼやく声によって。
「オレもいるからね……」
図ったようにアザーもやって来て、不思議な時間は何でもなかったかのように流れていく。
「また来た……」
渓谷を進むことしばらく。オージェの辟易した声も仕方なかった。
アザーの襲来がとても多い。
行く先々に待ち受けて、始めは倒していたけれど、あまりの頻度に走って撒くことが増えてきた頃。またしても前方からアザーの群れがわたし達を目にするなり向かって来ていた。
「ここは見通しが良く撒くのは難しいだろう。やるぞ、オージェ」
「承知!」
アザーの周囲を紫の光が取り巻く。開幕一番にド派手な音を立てて、ウラヌスの放つ雷がアザーに落ちた。
その後ろから別のアザーが現れる。
「げ~。蛆虫みたいに湧く……ん? 嘘だろ!?」
何かに気付いた様子のオージェに、彼が見た方向…わたしの後ろを振り返った。
なんとそこにもアザーの群れの姿が。
「エイコ!」
オージェが後ろに来てくれて、二人がわたしを囲む陣形になった。たくさんのアザーに思わず両手を握り締める。深い夜色の生き物達が、迫る。
ふいにその光景が、似て非なるものへと移った。
おびただしいアザーの群勢が地を、空を駆ける。嵐のような砂埃が空を覆っていた。奴らの進む先に在る木々や岩、川や花、どんな物も意に介さず平等に、無慈悲に踏みつけてアザーは走る。
森が見えた。白い幹から青い葉が枝垂れる、幻想的な樹々の森。
アザーが向かうのは、その場所ーー。
「エイコ! どうした!?」
目の前を、青い煌めきが消え去った。その向こうに戦うウラヌスの姿がある。急速に理解した。
(わたし今、ここじゃない景色を見てた!)
こんな危険な時にわたしは何を見ていたんだろう。二人がわたしを守ってくれているのに、ぼんやり立ち尽くしたりして。
自分の不甲斐なさにやるせない思いが湧いた時、川の向こうからすごく大きな声が響いてきた。
「助太刀致す!!」
恵まれた体格の男性が大剣を手にこちらへ駆けて来て、道中のアザーを一撃のもとに斬り捨てる。
遅れて彼の後ろから三人の人々が現れると、男と同じようにアザーを相手取り戦い始めた。
「いずこの方か存ぜぬが、感謝する!」
「任せろ! アザー狩りは専門分野よ!!」
「アザー狩りが専門? もしかして……」
オージェは何か勘付いた様子だった。
「憎きアザー! 一体でも減らしてやる! みんな燃えろ!」
炎の星術でアザーを忌々しげに屠るのは、なんと子供の女の子。その側には少女の討ち漏らしたアザーを粛々と片付けていく男の人がいて、背中側には様々な星術を扱う思春期ぐらいの少年がいた。
「ピピン、術の扱い方が雑だから討ち漏らしが多いのだ。もっと全体に気を配りなさい」
「師匠…ッ、ごめんなさい。もう一度!」
少女ーーピピンに師匠と呼ばれた人の物言いはピシリと背筋が伸びるようなものだった。
「貫け! 轟け!」
少年の声で大地が隆起し、亀裂が走り、為すすべもなくアザーは倒されていく。次に少年は天に手を掲げて白い光を収束させた。
「全部照らせ!!」
振り下ろされた手。アザーの上空から光の柱が現れて、範囲内の奴らを塵一つ残さず焼き払ってしまった。
彼の扱う星術の威力はすさまじい。一目見て分かる。
多勢に無勢とはいえ一人一人の戦力が高く、流石のアザーも歯が立たないようだった。
そうして、あっという間にアザーの群勢は片付けられ、わたし達は無事窮地を切り抜けたのだった。