第17話 なまなり
暗闇の中に、声が聞こえる。
悶絶しているような、泣いているような、あるいは誰かを呼んでいるような。
いずれにしても好ましくない響きの声が、か細く、でも確かにわたし達の鼓膜を騒めかせた。
「聞~いちゃった。やばい?」
ここにきて初めてオージェのわずかな焦りを感じた。
ウラヌスが光の明度を上げていく。……何もいない。けれど聞こえる。程近くから。
見たくないのにわたしの視線は開けた空間を忙しなく彷徨い、そして天井の光と闇の境界、その狭間に何かが動いたのを捉える。まるで光を避けるように引っ込んだ何か。
無言で目を凝らしたわたしの目の前で、突然強い光に照らされたそれが全貌を現す。
ひょろりと細長い、人に酷似した軀に白い仮面。その頭部からぼさぼさの髪のような毛が腰まで生えている。腹から伸びた幾つもの白い腕を使い、天井にしがみ付くその姿。
不自然にこちらを向く首がくるりと一回りした。
「アザー……か?」
ウラヌスの戸惑う声の直後、奴が闇を吐いた。
「不味い!」
光が呑まれていく。わたしとガーネットはウラヌスに抱えられてその場から飛び退いた。彼の光は消え、オージェの灯す光だけが灯台のように煌めく。
すかさずもう一度光が生み出されて、でも急拵えのせいかその明度は低く、光は小さく。闇の中、蝋燭の炎一つでいるような心地になった。
「だー!!」
ルジーの喚く声にオージェがそちらを照らせば、いつの間にかルジーのもとへ移動していたアザーが、彼の脚を掴んでいた。ほっそりとした腕の先、骨みたいな手が絡み付いている。
「白くて華奢な手だね~」
駆けつけたオージェが剣を振るとアザーは闇に逃げ込んだ。
「おれかオージェが照明役に徹した方が良さそうだ」
「ウラヌス頼んだ! ほどほどで頼むよ。あんま明るかったらどっか逃げそ~じゃね」
「そうなると厄介だ。まだ先はあるからな」
ウラヌスの照らす中、オージェは構える。その後ろでルジーも剣を抜いた。
緊迫感が漂う空間に、ボリボリと噛み砕くような音が鳴る。オージェの頭上に何か粉らしき物が降って。
「そこか!」
斬り掛からんと跳んだ彼の剣はから振った。
い、いない。
パッと明かりがわたし達の頭上に焦点を当てる。そこには骨らしき物をわし掴み、咀嚼する奴の姿があった。
「ひッ……人の骨を食べてる!?」
ガーネットが怯えて震え上がる。続いてルジーが狼狽えた声で叫んだ。
「じゃあ声を聞いたら最後って、喰われるって事かよ!? オレ達……!!」
「動揺すンなってぇ。喰われる前に倒せば良いっしょ」
「あじ、味見されたら……!!」
「脳か心臓を一口でいかれない限りは、大体治せるから安心しろよなぁ。ウラヌスが治癒術得意だからさぁ」
「即死以外は治してやる。安心して戦え、ルジー」
「頭おかしいだろ!!」
物騒な会話を交わしながらオージェは果敢に斬り込んで行く。でも素早い虫のような動きで走り回るアザーに一撃を与えられないでいた。ルジーの剣も全く当たらない。
あんなに速いのでは、星術を当てるのもきっと難しい。
そこにウラヌスが声を張り上げる。
「光の範囲を狭める! 奴の方から近付かせるんだ」
「了解~」
グッと、光が小さくなる。まるでわたし達は舞台でスポットライトを浴びるみたいに、円の中に取り残された。
「いいかルジー。来たら挟み討ちだ。どこでも良い、お前が斬り掛かった反対からオレは斬る」
「わ、分かった」
またあの咀嚼音が響く。カラン、と、わたし達の目の前に一本の骨が落下した。
「今だ!!」
暗闇の中にオージェとルジーが跳んで行った。鈍い音が聞こえて、パッと明かりがそこを映す。両側から二人の剣が深く食い込み、拘束されたアザーがいた。
逃げようとたくさんの脚がもがき出す。
「ガーネット!!」
ルジーの叫びに我を取り戻した様子で、ガーネットが矢を放った。至近距離からのそれは強い威力でアザーの仮面を砕き、そこでわたしはまたウラヌスに抱えられて場所を移った。
一瞬消えた光が二箇所で点く。ウラヌスとオージェ、二人が照らす照明の下にはうつ伏せで事切れたアザーの姿が在った。
「…アザーなの? これ。九割方アザーだろうけどさぁ」
「確かに妙な気配だったな。噂の正体がこいつだったなら、じきに噂も消えるだろう」
<先に進むか>。
ウラヌスのその一言でわたし達はその場を後にする。
みんなについて行きながらわたしは、何となく先程の声が脳裏にチラついていた。
悶絶しているような、泣いているような、あるいは誰かを呼んでいるような……。
どうしてあんな声だったんだろう。わたしにアザーの気配は分からないけど、声だけなら他のアザーと違った気がする。
(アザーって何なのかな。どうやって生まれるんだろう)
アザーがどうやって生まれるかは誰も知らないらしい。人を襲う謎の生き物。でも襲う理由は分からない。謎に包まれた生命体と人は共存している。
(どうして人を襲うの)
やがて遠くに出口の明かりが見えたことでわたしの疑問は思考の奥へ消えていく。
安心が胸を満たして、一歩を踏み出したその時。
暗闇の奥深く、またあの声が聞こえた気がしたーー。
「やっと出られたわ~! 外の空気って素敵! 空って最高!」
清々しさに身体を伸ばすガーネット。その隣でルジーが残念そうにぼやいた。
「あ~あ。でもマオいなかったなぁ。残念だぜ」
「また探しましょ」
そんな彼にガーネットはにこりと笑う。その横顔を見ていると、彼女はルジーが好きなのかも……と感じた。そんな彼女の反対側からオージェがルジーの肩を叩く。
「良かった、ね! 誰も味見されなくてさ」
「全くだ!」
オージェの揶揄いにウラヌスがからりと笑った。
「本当にありがとう。貴方達がいなかったらあそこで死んでたかもしれないわ。ほら、ルジーもお礼言いなさい!」
「わーってるっつの! …助かったよ。ありがとう」
「ごめんなさい。お兄様達との差に妬んでるのよ」
「ガーネットお前! 余計な事、言うんじゃねーよ!」
「ふふふ。言わなくたって分かりやすいのよー!」
ルジーの剣幕もガーネットには効いていないようだった。この世界に来て、友達とも会えなくなったわたしは二人の仲の良さが少し羨ましくなる。
そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。わたしの肩をウラヌスが抱いて、励ますように微笑んでくれた。
「じゃあな、エイコ! 旅を楽しんでくれよ!」
元気なルジーの声。そうしてわたし達は手を触り合って、二人は去って行く。その背中が遠く陽の光に溶けていった頃、ウラヌスとオージェがわたしを見ていることに気付いた。
「……な、なぁに?」
「お、ようやく声が聞けた。ずっと黙っていたが、どうした?」
「どっか調子悪いの? だいじょぶ?」
……わたし、いつからか話してなかったっけ。
全然自覚がなくて驚いた。
「あ、あれ……そうだっけ。無意識だった……」
無意識に黙ってただけなのに心配されて、恥ずかしくて顔が熱くなる。そんなわたしに二人は気が抜けたように、でも温かく微笑った。
「心配するから、適度に声を聞かせてくれよ。何だって良い。用がないなら名前だけを呼んでくれたって良いんだ」
ーーなんだかその言葉は、すごくわたしを受け入れてくれてるようで。胸が不思議な心地になる。
わたしは成り行きで面倒を見てもらってるだけなのに。大切に想ってくれているみたいな、そんな気持ちに。
「……うん。ありがとう。ウラヌス、オージェ」
わたし、もう少し二人の事を知りたい。
でもそれは出来ない。だってわたしは何も話せないから。
優しくて甘くて親切で。
そんな二人に本当の事を黙っているのが、今までで一番苦しくなった。