第9話 エレヅ皇室の事情
近年、アザーの暴走が頻発している。一つ一つの規模は大した事はなく、地方駐在の騎士団によって鎮圧可能な範囲だった。この現象は大エレヅ帝国に限ったことではない。世界各国が同じ悩みを抱えていた。
そもそも<アザーは人を襲うもの>という以外は判明していない生き物であった。伝承によれば人の誕生の後に生まれたとされているが、真実を識る者はいない。
ただ、人は襲っても大群を成すことはなかった。この近年のアザーは異常である。
そんな情勢の中、ここにきて、帝都より程近い森にて大規模なアザーの暴走が発生した。これはエレヅだけではない、世界にとっても異常事態である。
大エレヅ帝国第一皇子、ローダーはアザー鎮圧のみならず、治安安定の為とあらば自ら国内を飛び回り、若き国一番の勇士として民から敬愛されていた。
緋い飛竜に跨り颯爽と青空を行く見目麗しき青年。分かりやすい英雄像にエレヅ内の皇子人気は高い。
そんな彼が帝国付近で発生した大規模なアザー暴走の鎮圧に出陣し、無事帝都の平和を守り抜いた。
それは帝都民を激しく湧き上がらせた。
「ローダー殿下万歳! エレヅ皇室万歳!」
エレヅ帝国騎士団の凱旋を迎えるのは道を埋める程に集まった民達。彼等の歓声に応えるべく、ローダーはあえて愛騎アドゥムと共に地上を行く。飛竜は他国にも在れど、緋竜はエレヅにしか棲息しない。どの竜よりも飛行力があり、血の気が多い戦いに向いた竜。
この存在がその昔に起きたエレヅ領土拡大戦争の決め手となったのだった。
(此度の戦い、一般国民の被害は一つもなかった。民がいなければ国は成り立たない。私は皇子として、この者達の暮らしを保証してやる責務がある。これからも、国と為とあらばどんな事でも……)
アドゥムと共になら何処へでも行ける。何処へでも行く。ローダーはそう決めていた。
先日呼び出された異界の娘の事も。
たった独り異界に来たあどけない娘を哀れに思わないこともないが、エレヅ繁栄の為には必要な存在で。働いてもらわねばならない。それに、娘にとってもこれは誉れであるはず。
ローダーにとって己を育みし大エレヅ帝国こそ至高で、世界の頂点に立つべき存在と考えている。故にその実現に貢献出来るというのは、幸福そのものであった。
(戻ったら久しぶりに顔でも見に行ってやろう)
いい加減、己の役割を認識し励んでいるに違いない。そうしたら少しくらい褒めてやっても良いだろう。
エイコの姿を思い出し、ローダーは無自覚ながら恋しく思っていた。彼は彼女の容姿に、亡き母の面影を見出していた。
手柄を引っ提げて揚々と帰還するローダーが知るまであと少し。そのエイコが城を抜け出し、行方不明となって、猛る皇帝によって皇室内に嵐が吹き荒れていることをーー。
「あれの存在が外に漏れたら終わりだ! 我が国は世界各国から誹りを受ける! それより腹立たしきは、憎きエステレアに益々地上の主として振る舞う大義を与えることだ!!」
城の奥。皇族と限られた側近しか近付くことすら許されぬ一室にて、皇帝は怒りに震えていた。その剣幕と起きてしまった取り返しのつかない事態に臣下達は揃って閉口している。
召喚された<異界の星詠み>。それは皇室内部でも極々一部の者しか知らされていない極秘の存在であった。
「リビウス! 星詠み達の様子はどうだ。何か詠ったか!?」
「今のところ何も……締め上げても吐きません。何も授かっていないようでございますな」
「肝心な時に役に立たぬとは……何の為に危険を冒してまで連れて来たと思っておるのだ」
「関係した者達も尋問しましたが、鍵は確かに閉まっていたと」
「……何者かが脱走の手引きをしたと?」
「ですな。何者か……が」
そんな存在がいるとすれば、一つしかない。
星聖エステレア皇国。
世界で唯一、星詠みの生まれる地。星信仰は世界中に蔓延しているといえど、危険を承知で星詠みの保護に乗り出すのはエステレアしかないだろう。それがこの場に集う一同の推測だった。
「しかし、彼の国には<紛い物>が着いているはず。異界の者に変わりはありませぬから、早々発覚するとは考えにくいですが。密偵からもエステレア皇室の異変は報告されておりませぬ。紛い物は今も城の奥深くで、皇子を始めとする重鎮らにそれは大切にされていると」
父の咆哮と、事の成り行きを黙って見守っていたローダーが口を開く。
「父上。私がエイコの保護に向かいましょう」
場に圧倒されることなく、凛然と響いた声に皆の注目が集まる。ローダーは高い自尊心からくる自信に満ちた物言いで志願してみせた。
「皇子のお前がか」
「エイコの存在は極秘。下手な者には任せられません。アザーの暴走を逆手に取るのです。治安維持の為と皇子たる私が各地を回れば、民の皇室への忠誠はますます高まることでしょう」
「そして裏でエイコを探す、ということか。……なるほど、一石二鳥だな」
「どうぞご命令を。必ずや、連れ戻してみせます」
恭しくこうべを垂れるローダーに皇帝はようやく平静を取り戻した様子だった。
「よくぞ頼もしく育った、我が息子よ。良いだろう。あの娘の保護を命ずる。必要な工作はリビウスに任せよ。リビウス、これよりはローダーの手足となってよく仕えるのだ。死者が出れば揉み消してやろう」
「ローダーが拝命いたしました。お任せを、偉大なるエレヅの父、皇帝陛下の望むままに」
「謹み拝命いたします」
ローダーには二つの想いがあった。一つはエイコがこれ以上ない名誉を踏み躙り出て行った怒り。もう一つは、エイコが己の側から離れていった怒り。
連れて行かれたのか、望み出て行ったのか、確定はしていない。しかしローダーにとって理由はさほど重要ではなく、今ここにエイコがいない。その事実が無性に腹立たしかった。
そういえば彼女がまともに話すところをほとんど見ていない。思い至ったローダーはまた一つ、胸のつかえが増える。
早くエイコを取り戻し、エレヅの威光を世界に知らしめて、地上の君主として全世界を統べる必要がある。星信仰などという古いものは捨てさせ、人こそが主たる存在と目覚めさせなければならない。
それがエレヅの皇子として生まれた己の役割なのだ。それがローダーの矜持であった。
(待っていろ、エイコ。疾く迎えに行ってやろう。私のアドゥムに乗って)
彼の持つエレヅへの忠誠心を話してやれば、流石の彼女も目を覚ますであろう。ローダーの尊大ともいえる矜持はそんな考えを容易に浮かべる。
熱い眼差しが、彼方の何処にいるとも知れぬ存在へ注がれる。
異界の星詠み。それは、星聖エステレア皇国が呼び出した、彼の国にとっての救いの存在であった。