蟲人
私と千佳は、とりあえず床よりもマシだろうと切り株に座る。最初に建物で見た時のハクは、何かピリピリした感じだったけれど、今のハクは穏やかな感じがするので話しかけやすい。
「正直、まだ何もかも分からないことだらけなんだけど。最初会った時に聞いたことも、まだ何も答えてもらっていない気がするし」
「そうだっけ? 今なら時間もあるし、分かる範囲で何でも答えるよ」
「まず、この世界は何なの? 私たちは、自分たちの教室で実験をしていただけなのに、気がついたら別世界に来ていたのよ」
「うーん、ここは裏の地球って言えばいいのかな? 私もそんなに詳しくは知らないんだけど、カミカクシや、何かの拍子に開いた時空に入るとこの世界に来るらしいよ。ここには別の言語は存在しないから、別世界だけど意思疎通はできる。ちなみに、私はずっと中国語でしゃべってるんだよね」
「え、そうなの? ずっと日本語が通じる世界だとばかり……。あ、一番気になることを聞きたい。蟲人って何なの? ニーナさんも、最初は大丈夫だろうって言ってたのに、識別の門にはじかれたとたんに排除しようとしたし」
「一番楽なのは、そういうものって思ってくれればいいんだけど、それじゃ納得しないよね? それにはまず、虫について説明するよ。虫はもともとこの世界に居なかった生物なんだけど、ある時、一匹の虫がこの世界に迷い込んだ。最悪な事は、その虫が他の生物を使って増殖するタイプの生物だったって事かな。私も、人づてに聞いた話だから詳しくは知らないんだけど、それ以来ずっと虫と人が戦ってきたらしい。ちなみに、最初の虫は自己複製もできるらしくて、この世界のどこかにまだ生きてるって言われてるよ」
「そんなの、すぐに人類なんて絶滅するんじゃないですか? どう考えても、普通の人が戦って勝てる相手じゃなさそうだし」
「確かにね。虫には個体差があって、弱いやつほど寄生先での増殖が早く、強い奴ほどゆっくりなんだ。そのルールから言ったら、あれだけ早く寄生したあのトンボは、最弱もいいところね。でもね、実は虫すべてが人類を使って増えるわけじゃないし、寿命の長い奴はあんまり寄生しない。それに、人類が絶滅したらあいつらも困るから、虫同士でも寄生先の取り合いなんかで戦ったりしてるみたい」
「虫についてはだいたいわかりました。じゃあ、蟲人って何ですか?」
「蟲人は、虫に寄生されても自我が残った人たちの事だよ。この世界に最初から住んでいる人類は、ほぼ100%寄生されたら虫になる。でも、表の方の地球から来た私達みたいな転移者は、完全な虫になる前に、薬さえ飲めばほぼ虫にならないの」
「私たちは薬を飲みましたよね? なのに、なんで騎士たちに攻撃されなきゃならないんですか? 意識も人間のままです」
「虫にならなかった転移者は、それはそれで厄介な存在になるのよ。程度の差はあるけれど、虫と同じような技というか、魔法みたいなものを使えるようになるんだ。人の知能を持った虫って、生身の人間からしたら、ただの虫よりも脅威に感じるでしょうね。私は蟲人だから、さすがにここの人類の擁護まではしないけど」
「魔法……あの火でトンボを焼いたやつですか?」
「そうそう、見てたのね。そっちの子なら何か使えるんじゃない? 見た目が変化してるみたいだし」
そう言われて千佳の方を見ると、千佳は少し悲しそうな顔をした。実際、先ほど言った通り、すでに虫と蟲人の区別がつくという、普通の人間に無い能力が備わってしまったからだ。それで、自分が蟲人だと実感してしまったのだろう。
「そうですね、今も背中が少しかゆいですが、確認するのが怖くて触れられません。それに、今なら分かる事もあります。何かこう、空中に感じるものがあります」
「センサーまである蟲人だと、もっとはっきりと分かるらしいんだけど、私の感覚だと、その空気を集める感じというか、テニスボールをラケットで1秒くらい受け止めてる感じというか」
「空気を……集める……うわっ」
千佳が両手で空気を集めるしぐさをすると、空気の塊が目に見えるようになり、それが草刈り機のチップソーの様に回転して、ハクの方へ飛んでいく。それをハクはとっさにジャンプで躱したが、後ろの壁にスッパリと切れ目が入る。
「ちょっと! 危ないじゃない!」
「ご、ごめんなさい! 飛ばすつもりなんて無かったんだけど……」
「千佳、すごい……」
確かに、これが人間に当たれば、真っ二つになってしまうかもしれない。こんな魔法が蟲人全員使えるのなら、脅威と見られても仕方がないかもしれない。
「でも、私には全く空気が感じられないんだけど」
「うーん、なんでだろ? 識別の門に弾かれたんだから、すでに人間じゃないと思うんだけど……。分からない事は置いておいて、あなた達の名前を先に聞かせてもらえるかな?」
「あっ、ごめんなさい!」
私と千佳は、ハクに自己紹介をし、話疲れたので休憩する事にした。