ジョッショの友達ナナ1
<1部>
親猫はみすぼらし顔の小さな貧相な、いかにも人間に嫌われそうな猫だった。栗も灰もその親の子としては品もよく、近所の子供たちの人気者だった。「にゃんにゃん」などと呼ばれて屋根の上で寝そべっている様子は威風堂々としたものだった。どこの年寄か知らないが、いつもドッグフードを私の家の庭に置いていったので、ひもじい思いはしていないようだったが、どうもフードが口に合わないのか私の顔を見ると「ニャー」などと言って餌をねだった。私は、猫はあまり好きではないがここで育った以上親近感がないわけでもなかった。そこでたまにはガラスの灰皿に食べ残りを置いて縁側に置くことにしていた。奴らはお礼一つ言うでなく完食していた。
考えてみると犬は人間に縛られて散歩する。奴らが公道で腰をかがめてフンをする姿を見ると、いかにもみっともない。よくあんな格好で平然とできるものである。主人はといえば、用を足すのをじっと眺めている。わきで見ている私は思わずため息をついてしまう。
それぞれ一生懸命生きているのはわかるのだが、どうもテンションの上がらない光景である。その点猫は偉い。人前ではあまり用を足さない。一部の無神経な猫を除いては・・。その無神経な猫が、家に住み着いた猫である。所かまわずフンをしている。さすがにその光景を見たことはない。子供たちが「猫ちゃん」なんて言っているイメージを壊したくないものである。
私の家の前に新しい住人が引っ越してきた。家族に2人の小さな子供がいる。私たち夫婦にとって彼らがあたりでうろうろするのを見るのが楽しみになった。中でも2歳ぐらいの下の男の子は、私のうちをうろうろする猫どもに関心があるらしく、よく庭に出ては当家の荒れた庭で猫を見つけては「にゃんにゃん」などと言って母親と会話をしている。何を言っているかはっきりわからないが、その光景はすこぶるほほえましい。私は一度予備校からいつものように自転車で家に帰って、我家の扉を開けようとしたとき、いつものように向かいの家の男の子がガレージの上にねそべる灰をじっと見ていた。挨拶する気もないのに,その姿があまりにあどけなかったのでわたしは彼に手を振ってやった。彼は素早く不審なオヤジの動作を確認すると、一目散に家のほうへ駈け込んでいった。私はその姿をじっと見ながら、ふとため息が出た。
「俺はあの灰より子供にとって胡散臭いのか.」
そう思うとなんだかやるせなく灰が羨ましくもなった。
「前の家のおじちゃんがね。僕に手を振るの。」
そう言ってその男の子は母親に打ち明けた。母親はやさしい笑顔でその子に微笑みかけて、
「いいじゃない。「こんにちは・・」って言ってあげたら。」
そう言って男の子の手を取っ、て家のドアを開けた。ジョッショは母親が一番好きだった。まあ、10人幼児がいたら9人までは母親が一番だろう。
「父さんが好き。」などと言う子供は珍しい。ところがジョッショの兄ちゃんは父親も大好きなようだ。いつも「お父さん」と呼び掛けている。言い忘れたが、なぜ2歳ぐらいの男の子がジョッショと呼ばれているかはわからない。ただ、彼の兄ちゃんはいつも弟のことを「ジョッショ」と呼んでいる。そこで我家では彼のことを話すときはいつもジョッショと呼んでいる。ところでうちの妻は、ジョッショが両親と引っ越してきたとき、挨拶に我家を訪れた彼と対面している。
なんでも「こんにちは」と言って妻が手をジョッショにかざしたら手を合わせてくれたそうだ。その時の笑顔がよほどかわいかったのだろう。彼女はいっぺんにジョッショのファンになってしまったらしい。そんな訳で我が家ではジョッショが現れたら必ず彼の話題で盛り上がる。
「きっとお母さんが帰ってきたので、迎えに出てきたのよ。」
そんなことを言ってはたわいない会話でほっこりするのである。
ある日ジョッショの父親は、来年小学一年生になるジョッショの兄ちゃん、ちなみに私は彼を「マルコメ兄ちゃん」と呼んでいる。なぜなら、ある日突然彼は自分の意志で頭を丸刈りにしたのである。どういう心境の変化が、彼に起こったのか知る由もない。ただよく似合っていた。最近、うちの妻などは兄ちゃんが手を振ったら返してくれたなどと大はしゃぎをしている。おめでたい限りである。
その兄ちゃんのために,父親がエアコンを部屋に設置し、もうすぐ小学生になる彼に子供部屋を割り当てる計画を家族のみんなに宣言した。もちろん兄ちゃんにとっては嬉しい話題である。
「いつ来るのかな、ぼくのエアコン。」
兄ちゃんはそう言いながら自分の洋服やおもちゃなどを自分の部屋に持ち込み始めた。面白くないのはジョッショである。彼はその日から一日一回泣きをかますことにした。特に保育所に行く前の大泣きは父親にはよほどこたえたらしい。とうとう彼は将来のジョッショの部屋にもエアコンをつけることにした。母親は大いに反対したが、父親のお小遣いを毎月減らすことで決着がついた。その日からジョッショに笑顔が戻ってきた。
私、はいつの日からかジョッショが庭でうろうろするのを楽しみにするようになった。別に何をするではなく家の周りを往復したり、かがみこんでは何かをいじっている。自宅の庭に植えられた草花をじっと見ている姿を、私は帰宅の際に目撃したことがある。その時、ベランダからジョッショを眺めていた父親と目があった。私はいささか不意を突かれたように慌てて会釈をした。向こうも慌てていたのか急いで頭を下げて返してくれた。
「いい天気で。」
私は何も考えずに言葉を発した。その日はかなり曇っていたが、気まずい間を繕うとっさの会話であった。
「いや本当に。」
ジョッショの父親も何の疑問もはさまず、私の会話に同調した。次の瞬間ドアが開きマルコメ兄ちゃんが顔を出した。
兄ちゃんは私が立っているのに気が付くと、慌ててドアの後ろに隠れて、また顔をドアから出して私の方を窺った。私はとっさに妻が兄ちゃんに手を振ったことを嬉しそうに喋ったのを思い出し、不自然とは思ったが自分の右手を左右に振った。手は振ってはくれなかったが、兄ちゃんはにやりと笑って、安心したように再度ドアを開けると、ジョッショの方へと合流した。私は兄ちゃんのおかげで恥をかくことなく安心したように我が家の扉を開けることができた。後ろからは小さな子供の笑い声が屈託なく響き渡った。
次の日も同じようにジョッショは一人庭に出てショベルで土を掘っている。彼は人が近くを通ろうがお構いなしで自分の作業を楽しむのである。両親には家の外に出ないことを注意されていると見えて、必ず自分の家の庭を出ることはない。そんな彼が一度だけ我家の庭に入ってじっとたたずんでいるのを見たことがある。
「どうしたの。」と聞いてみると、
「にゃんにゃん。」と言って、またじっと周辺を見渡しているのである。
少し変わった子だな・・と、私は初めてジョッショに評価を下した。その後母親が、彼に戻るように、玄関から手招きした。ジョッショはそれに応えるように自分の家の方へ駆けて行った。ジョッショはやはり母親が一番好きらしい。
また次の日、いつものようにジョッショが、自宅の庭でしゃがみこんでいる。傍らで女の子が遊んでいた。いや、遊んでいるというよりその女の子はジョッショのやることをじっと眺めているだけのようであった。ジョッショは相変わらず、女の子にあまり気を使うこともなく黙々を自分のショベルで穴を掘っている。よく見るとその女の子は日本人ではなさそうであった。近頃この界隈も外国人が増えている。一番多いのはベトナム人や中国人など東洋人が多いのだが、その女の子は中東系の顔をしていた。
「へえ、珍しい光景だな。」
私はひとり呟くと、いつものように我が家の扉を開けたので、二人の視野から外れることになった。
「隣のジョッショに友達ができたんだね。二人一緒に庭にいるよ。」
そう言って私は食卓でテレビを見ていた妻に声をかけた。
「そんな子いたかしら。」
怪訝そうに妻は呟いたが、見ている番組がよほど面白かったのだろう。それ以上何も言わなかった。それにしてもどうして彼女は私より早く帰宅し、テレビを見ているのだろうか。最近では彼女のほうが断然忙しそうである。学校で主任になったとかで、連日帰宅は8時過ぎである。私はというと、相変わらず生徒がまばらな予備校通いである。いずれ倒産するといわれ続けているが何とか持っている。
「倒産したらまた塾でもやるか。」
そう言うのが私と妻の何度となく交わされる会話であるが、本当に塾を経営できるのか自分にも自信がない。要するに何となく生きている初老の夫婦である。子供たちはすでに成人し、何とかやっている。別段これ以上貪欲な金銭欲もなく、それでも先祖が残してくれた土地財産にすがりながら、特に貧困にあえぐでもなく何とかやっていけるのである。若い頃には、こんな生活考えもしなかったことだが、この年になると高い志も、望みもなくなってくるのである。要するにそういうものなのである。そんな生活を送る夫婦の環境にジョッショとマルコメ兄ちゃんが現れたのである。夫婦にとって格好の関心事になったとしても不思議ではない。ただ、ジョッショの家族にとっては、迷惑以外何物でもないのだが。
NHKの番組で「牡丹灯篭」という近頃見ない傾向の内容の時代物が放映されていた。夜な夜な現れる美人の幽霊は一夜を恋しい男と過ごすのであるが、途中骸骨に変わるのである。
そのシ−ンが出ると、
「うわあ〜」と叫んで、妻がその場を盛り上げる声を上げながら、隣の部屋に逃げ込んだ。私はというと怖かった。ただ、妻の手前そんな素振りも見せられない。
「何を怖がっているんだ、これぐらいのことで・・。」
そう言って隣の部屋に向かって笑ってやった。
その晩、妻はその番組のせいで寝られないと言ってしきりにぼやいていた。考えてみると死後の世界というのは、あの幽霊が墓から現れるような恐ろしい世界なのだろうか。そう考えると死ぬというのはいささか得体も知れず恐ろしい世界であるように思えてくる。だいたい自分が生きていること自体不思議な話で、私は時折自分がこうして生きていること自体理解できなくなる。もっとも、それが理解できれば、キリストさまもお釈迦さまも超越できるのかもしれないが・・。
しかし、だからと言ってそんなことを考えて夜眠れなくなることは一度だってなかったのだが・・。ところがどうだろう、私は何十年かぶりに不眠症になった。
遠い昔、学生時代にデ−トの約束をしたことが有る。あの時は確か早朝まで眠れなかったような記憶がある。それ以来である。それも前の晩見た怪談番組が原因のようである。この年になると自分の死を時折考えるようになる。しかし、今日見たようなおどろおどろしい死の世界を想像しながら、自分の死のことを考え続けるのは、いかにもむなしい気がするのである。もちろん怪談には誰しも一度は想像する死の原風景が、織り込まれているのは確かである。
しかし一方で、自分の終焉を生まれる前の原点回帰としてとらえたなら、それはそれなりに、そんなにウェットでない死の世界も想像できるのではないのだろうか。それがどんな世界なのか具体的に説いて聞かせられるほど優秀な想像力を持つ人間ではないので、私は決して宗教関係には向いてないのだろうが・・。
私は暗闇の中でふと目を開けて、隣で寝る妻の様子を窺ってみた。彼女はすうすうといびきをかきながら、時々「へへ」と笑っていた。よほど楽しい夢でも見ているのだろう。ふと、不遜ながら彼女の寝顔を見て、よく掛け軸に描かれるダルマ太子のことが思い浮かんだ。あのかっと見開いた眼は意志の強さを象徴しているのかもしれないが、私には彼の顔の何とも言えない邪気のない表情が、それより先に印象として飛び込んでくるのである。ひょっとすると家のかみさんは悟りを開いたのかもしれない。私はふとそう思った。それがどんな悟りなのか。それは私には分らない。
「まあいいか。」
いつもの口癖を呟くと私はもう一度眠りにつくべく目を閉じた。
背中に何やら気配を感じた。気候は20度前後の澄み切った秋の空、夕日が私の家の小さな庭に差し込んで、名も知らぬ小さな黄色い花を鮮やかに照らし出している。
「しゃがんで自宅の花を見る私かな。」
これでも俳句のつもりである。自作の俳句に喜んでいる。なかなかそんな人間いるものではない。そんな自分が誇らしくなるのだから、よほどおめでたい。
私は一人ほくそ笑んでいると、背後に気配を感じた。私がふと振り返ると、隣のジョッショとよく遊んでいる外国の女の子が、じっと私を見つめていた。
「おじさんのこと知ってるよ。」彼女はくせのない日本語をしゃべっている。
「そう。お嬢ちゃんの名前なんて言うの。」
私はそう尋ねて、少女に微笑みかけた。
「ナナ。シリアのアレッポで生まれた娘よ。」
そう言うと、両手を頭の後ろに回し、ジョッショがよくする動作をまねて、きゃっきゃと笑っている。私は何の疑いもなく彼女の存在を認めている。どうしてかわからないが彼女が自分のそばに立っている状況を深く考える気持ちにはなれないのである。それは秋の気持ちのいい夕暮れが何となくすべてを受け入れる雰囲気を醸し出しているからかもしれない。それとも何かの偶然的な運命性が導いたのか・・・。とにかく私は彼女が私のそばでたたずんでいたことに、不思議なことに疑いを抱かなかったのである。
しばらくすると再び彼女が話し出した。
「おじちゃんカズマっていう名前でしょう。」
「そうだよ。」
「私のじいちゃん、よくおじさんのこと話してくれたよ。いいやつだって・・。」
そう言って彼女は再びやさしく私に微笑みかけたのだった。その時私は初めてこれは夢の世界なのだと理解した。
私は彼女が薄暗くなった暗闇に去って行くのをじっと見つめていた後、しばらく何を思うでもなく、その場でじっと辺りに視点を合わせることなく、ただぼーっとたたずんでいた。彼女が去って数十分がたっただろうか。夕日が落ちて暗闇が少しずつ心を不安にする頃に、私は周りのさみしさから吸い込まれそうになって、自分の孤独から逃れるように、自分が自分であろうとする自我の意識を取り戻そうとし始めた。私は’普段の自分である’自分に舞い戻り、再び自分であることを当然の事実として疑うことのない環境へと戻っていった・・。
私ははっとしたかのように改めて薄暗くなった辺りを見渡した。次の瞬間、初めて私は体中に電気が走るような戦慄を覚えた。
「さっき会った女の子との会話は夢でなかったのか?」
私は何度も自問していた。それが異次元の出来事だとしても、NHKで見た怪談のような恐怖ではなかった。秋の心地よい環境の中をすっと通り過ぎた少女との会話は、私の日常生活の因果関係を勘定に入れず、まるで私の心の中の楽しかった若い頃の日々をくすぐっていったような、過去の淡い記憶に触れたような、この世の物ともあの世の物とも判別がつかない空想の世界に迷い込んだような気分に誘ったのである。
<2部>
フランスに来たのは私が26歳の時だった。ただ単にジャンポールサルトルの「存在と無」という哲学書にあこがれて、哲学を原語で勉強してみたい・・。そんな単純な目的だったのである。
フランスでは予想通り大いに苦労した。日本で稼いだ乏しい資金はあっという間に底をつき、必要最小限の生活費を実家へ「将来への投資」だと言って前借した。前借りと言えば聞こえはいいが要するに無心である。それでも日々の生活は困窮を極めた。私にはフランスでいたころの写真が一枚もない。写真を撮るような、フランス生活を記憶に残したいなどと思う心のゆとりは、もてなかったのである。フランスでいる間にフランス語で論文をまとめる。そうすれば日本の大学で認めてもらえるのではないか。少なくとも大学院ぐらいは入れるのではないか。そんな何の可能性も保証されない僅かな夢を抱いてフランスの地にやってきたのである。結果からいうと、わが国の哲学ではフランス語で書かれた論文など、日本の教授にはいささかの興味すらなかったのである。あの頃私はドン・キホーテに憧れていた。結果として、私は見果てぬ夢を持つドン・キホーテそのものだったのかもしれない。
「聞いたか今日の校長の招待の言葉。」
ファティがポツリと言った。私もその言葉には引っ掛かっていた。
「皆さん、明後日は、フランス語クラス全員を当大学の交流パーティーに招待します。
日本人やアラブ人でも(meme les japones et les arabes)かまいません。」
思わず絶句しそうな言葉である。そう言うと奴はにやにや笑いながら教室を出た。
「許せない。」
私は一瞬立ち去ろうとする校長に大声で呼び止めようかと思った。だが意外なことに、その言葉を聞いていた生徒たちは大半がにやにや笑っていたのである。特に日本の生徒はクラスのみんなにつられるように笑っていた。
「阿呆が・・。」
私は心の中で吐き捨てた。
そうは言っても、私は人種差別にはあまり敏感ではなかった。特に日本人は自分を白人と勘違いしている馬鹿がいる。日本にいるとそれほど、人種問題は縁遠い問題なのである(同胞同士の差別はあるが・・)。人種差別という偏見の問題は、日本でも形態を変えて、同じような感情構造で当たり前のように蔓延しているのである。
私は、フランスでカフェに入るのはいまだにいやである。東洋人だという理由で、ウェイターが注文を取りに来なかった後、すごすご店を出るみじめさは経験したものでないと分からない。ファティも同じような経験は受けたに違いない。ましてやユーゴスラビア人のミルコはずっとドイツで暮らしていたので、人種問題には相当の根深い感情があるに違いない。ちなみにミルコは白人である。しかし、白人といえども人種差別をする輩は、その感情を外に出すという衝動を我慢しないものらしい。異国でいる悲哀は、ひょっとすると日本人にも理解できる感情かもしれない。日本で働くベトナム人やフィリピン人は同じ黄色人種である。それでも彼らへの偏見は歴然と日本の社会に根付いているのである。最後に言っておきたいのだが、すべてのフランス人が人種差別支持者ではない。とびっきりあったかくて人種差別の不条理を理解している人間もいっぱいいるのである。そうでないとこの国で何年も暮らせるはずがない。
「ボイコットしなくちゃな。」
そうフャティに同調して提案を切り出したのはミルコである。
「我々だけじゃだめだ。できるだけ参加予定者を欠席させなくちゃ。そのためにも何とか全クラスの連中を説得しなくては・・。」
ミルコの語気は強まった。
ファティの寮の部屋はジダンという紙たばこの煙で充満していた。彼はこのタバコを気に入っているのか、部屋に入るといつもこのたばこの煙で充満していた。夕方になると我々三人は、誰かの部屋に集合する。私の部屋は二階にありミルコも廊下を挟んで向かいに部屋がある。ファティだけが三階にあり、どういうわけかミルコと私はファティの部屋に向かう頻度が多くなる。登るという行動は下るという行動より心地がいいのかもしれない。
部屋にはトイレと洗面はあるが、畳三畳ほどの小さな空間で正面は全面ガラス張り、小さなテラスはあるが人が出られるほど広くはなかった。冷蔵庫のない寮生にとってはせいぜい腐らない食べ物を置いておくほどのスペースしかなかった。シャワーは共同のシャワールームがある。日本人は湯舟を好むがとんでもない話である(その頃は・・)。それでも寮は快適だった。なぜなら門限もなく誰に制約されるでもなく自由に出入りできた。寮生以外でも誰でも行き来できたのである。
私はフレッドを説得することになった。いざ決起はしたものの、どうやって自分たちの所属する学部の語学生を説得すればいいか・・。どういう風に頼むのか・・。意外と難しいものだった。ファティはクラスのアラブ人に、ミルコはドイツ人をそれぞれ自分たちの言語で説得すればいいのである。ところが私だけは、クラスで一番多いメンバーであるアメリカ人を説得することになった。私がよくフレッドと話しているのを知っているミルコが、私にアメリカ人担当に命じたのである。実は、フレッドは私の持っているウォークマンに関心があったのである。そのせいで私がウォークマンを聞いていると、いきなり近づいてきて、しきりと聞かせろとせがむのである。アメリカ人にはこういうタイプの人間はかなりいるのかもしれない。要するに人と接する時に、警戒心という垣根を作らない。いや、垣根を作らないふりをしているのかもしれない。
「どうだ、俺はこんなにもオープンなんだ。誰と話しても警戒する必要もない。」などと主張したいのかもしれない。興味があれば、屈託なく寄ってくるのである。言っておくが、みんなこんなアメリカ人ではない。もう一人、授業なのにサングラスをかけているアメリカ人の青年がいる。私は彼とは話したことがない。彼の方も私と話そうなどと考えてもいない様子であった。私はそんな彼が嫌いではない。フレッドのように誰にでもへらへら近づいてくる男はどうも信用ができないのである。忘れていたが、日本人への説得は私の分担ではないのかと思うかもしれない。その通りである。しかし、心配することはないのである。彼らはボイコットの方針がクラスの体制になれば、ほっといてもパーティーに参加などしないのである。みんながボイコットしないなら、彼らもそうする。だからまずアメリカ人なのである。
「明日のパーティー出ないでほしいんだけど・・。」
私は何も説明せずフレッドにそう切り出した。彼にとっては、めんどうくさい私の主張など通じないと思ったのである。
「どうして・・。おもしろそうだけどなあ。」
フレッドは理由を知りたかったのだろうか。少し不審そうに私の顔を覗き込んだ。私は少し彼の性格を見誤ったかと、一瞬どういって説明しようかと眉間にしわを寄せてフランス語の語彙を頭の中で並べ始めた。すると、
「わかった。そんな難しい顔するなよ。僕は出ない。よかったらケビンにも出ないように言っておくよ。その代わりウォークマン数日貸してくれないかな。」
私は貸し出すことを快諾した。やはりフレッドはフレッドだった。
その夜ケビンが私の部屋にやってきた。彼は寮の一階に住んでいる。いつだったかアメリカ人が、寮の廊下で酒を飲んで大騒ぎをした事があった。あまりにもうるさく眠れなかった私は一階へ降りていき、いきなり、
「BE QUIETE!」と彼らに向かって叫んでやった。
一瞬彼らの視線が私に集中した。
「まずい。」
私は一瞬恐怖心をいだいた。その時ケビンがいきなり
「SORRY。」と言って私に謝ってくれたのである。
彼はアメリカ人の中ではリーダーのような存在なのかもしれない。辺りの空気はサッとやわらぎ、何事もなかったかのようにアメリカ人たちは部屋に戻ったのである。
「話はフレッドから聞いた。多分校長のあの言葉が理由なんだろう。」
ケビンは具体的に校長の言葉を指摘しなかった。私は、彼なりのやさしさのような気がした。
「そう。協力感謝するよ。」
私は、ただそれだけ言うと。彼は、にやっと笑って私の部屋の扉を閉じて帰っていった。これで校長は2日後に語学クラスの生徒に謝罪文を出すことになったのである。
フャティとミルコと私はただ年齢が同じで、たまたま同じ大学のクラスであったため寮も同じだった。それだけの理由でいつも一緒に行動していた。それが今回のパーティー招待事件で、一層きずなが強くなったような気がしていた。そして何よりも、お互いにフランス語でしか会話が通じないために、相手の微妙な言葉のニュアンスを読み取る必要がないので、相手の気持ちをおもんばかる面倒があまり多くなかった。おかげで、彼らと一緒にいることが空気のように自然な時間の過ごし方となった。時折、私は我に返って、自分の環境を振り返ったとき、1年前ならこんな異国人と学食で会話を交わしているなど想像もしなかっただろうなと思うのであった。
いつものように、三人で学食にいた時、
「日本人ですか。」
一人のフランス人が我々のテーブルに近づいてくるといきなり声をかけてきた。彼は以前から私の存在について食堂で気にかけていたのかもしれない。その日は意を決したかのようにかなり緊張して、私に声をかけてきたように思われた。
「はい。」
彼の緊張が伝わった私は、そう答えるしかなかった。
「どう、ここに座ったら。」
ミルコが素早くその少年を促した。
彼もプレートを持っていた。ミルコは同じヨーロッパ人とあって、その少年も安心したのかもしれない。促されるままにミルコの隣、私の正面に座った。
「何か用なの。」
ミルコが引き続き対応する。
彼の名はステファン。どうやら数週間前、この学食で私を見つけ、いつか話してみたいと様子を窺っていたらしい。白人とアラブ人と日本人という組み合わせで学食に現れることはかなり奇妙に映ったのかもしれない。おそらく日本人ばかりだと彼も声をかけられなかっただろう。
「柔道に興味ありますか。」
彼はどうやら落ち着いたらしく、皿のスープを啜ってからおもむろに私に尋ねた。
「はい、高校まで柔道部に所属していたから。」
私は高校の部室の着替え室を思わず思い浮かべた。私は小さいころから野球が好きだった。しかし、野球部はいつも部員希望者が大勢いた。そこで仕方なく参加したのが柔道部だった。ところが、このスポーツ、意外と面白い。内またで人を投げる瞬間は、バットでボールを打つような爽快感があった。それでも、クラブにはすごい選手がいて、時々個人戦で全国大会に出場していた。私はというと、そんな才能はないので、いつも片隅でコーチの言われるままに練習をし、このスポーツで秀でたいなどとは思ったこともなかった。
私の返答にステファンは大いに喜んだ。
「失礼ですが、黒帯ですか。」と彼が尋ねる。
失礼でも何でもない。そのころ日本では黒帯を取得するのはそれほど難しくはなかった。認定試験では、見よう見まね似の型の実演と、3人の選手と試合を行い2勝1分け以上で黒帯が認められた。幸運にも、私の相手はさほど強くなかった。後で知ったのだが、この地フランスでは、黒帯を取得すためには、かなり難しい条件がいるらしい。ステファンもまだ茶帯で、黒帯までもう一歩らしい。黒帯という言葉を聞いて、それまであまり興味を示していなかったフャティが初めて私の顔を見た。
「お前、黒帯なのか。」
びっくりしたように聞いてきた。そして、喧嘩をしている相手を攻撃するようにボクシングの構えを作っておどけて見せた。普段あまり冗談も言わないフャティだけど、いきなりおどけることがある。そんな時、やっぱり他のアラブ人と似ているところがあるな・・と思うのである。
私はティファというイラン人と時々クラスで話をすることがあったし、ティファを通じて何人かのアラブ人とも一緒にアラブ料理を食べたこともあった。ティファは二十代の青年であったが、頭が剥げていた。しかし、女の子に必ず声をかけるほど女好きだった。おかげでその頃は、小太りのフランス人とねんごろになっていた。あくまで私見であるが、フランス人の彼女は、フランス人の若い女性にしては美人でなかった(私にとってフランスの女の子は世界レベルで見ても3本の指に入るぐらい(ほかの指は知らないが・・)美人であった)。そんな訳で、ティファの彼女は例外中の例外であったように私には思われた。何が言いたいのか自分でもわからなくなったが、要するに、恋を成就するには努力を惜しまないことなのかもしれない。
「ぜひ、今度道場に来てください。いつでも案内しますから。ぼくはほとんどこの昼間は学生食堂でいるので、気が向いたら声をかけてください。」
ステファンはそう言うとミルコ、ファティ、私と、順番に顔の表情を確認した。
柔道の道場はロワール川にかかった橋を渡ったすぐのところにあるらしい。毎夜柔道愛好家が集まり、旧映画館を道場に直して練習を行い。カルティニという元高校のドイツ語教師が、指導員兼マネージャーとしてその道場を運営しているらしい。
「それじゃあ、ミルコも経営者とドイツ語で会話できるね。」
私がそう言うと、ステファンはミルコも熱心に誘った。ついでにバランスを欠いてはいけないと思ったのか、ファティにも声をかけた。すると、ファティが即答した。
「わかった。必ず行くよ。」
以外にも一番興味を示したのはファティだった。本来シリア人は格闘には興味があるのかもしれない。外国では柔道はボクシングと同じ格闘技なのである。
秋が近づき、私たち三人はそれぞれの目標のために、生活の環境を変えた。一緒にいる時間は柔道の道場が、主な集合場所になった。たまにはファティの寮で、コーヒーを一緒に飲みながらそれぞれの近況を報告するのだが、新しい生活が1か月も過ぎると、すでに変化もなくなり他人に話すこともなくなっているというのが本音である。私は大学には所属していたが、ただ、大学の一般クラスに一回出席しただけで、後は学校の図書館にこもるだけになった。私のクラスは、私を除き全員黒人だった。私はというと、一般クラスでついていけるほどの語学力はなかったが、学生証、特に学生食堂での利用券が必要だった。私にとって、学食での食事は生活の生命線だった。学食がなかったら、とっくに日本へ帰っていなくてはならなかったと思う。フランスの学生食堂は同じシステムで国中にあり、安い値段で食事がとれた。今考えても、日本の保険制度が異常なほどに安価な医療を提供してくれるのに匹敵するぐらい、学生たちの生活を支えてくれた制度だと思う。ミルコは、一応のフランス語を身に着けると、物理学の研究に戻り、コウモリの出す音波の周波数の研究を続けているらしい。ファティは相変わらず寮にとどまり語学学校に通っている。そうそう、ミルコと私は市内の中心部にある安宿に住居を変更した。私の部屋は屋根裏部屋で、天井は斜めに切れていて、明り取りの窓が一つあるだけである。ベッドのスプリングはすでに弾力性を失い。シャワーはファティの住む寮まで行って、こっそり浴びて自宅へ帰る毎日だった。今考えるとすさまじい生活だったが、あの頃は、何の苦痛もなかった。原書で哲学の現象学を読むことに、「どうしてこんなことを・・・。」などと考えることもなかった。フランス生活が進むにつれて不安が募るようになったのは事実だが・・。ミルコはそれほどみじめな部屋ではなかったが、かといって貧乏学生には、ふさわしい住居であった。
「たまにはカフェでも行って、街並みでもゆっくり見ながら、バカ話で大笑いなんかしたいものだな。」
ミルコが背をベンチに、背をもたせ掛け、両手を後ろに回し呟いた。
柔道の練習の後、いつも3人は道場のある建物を少し離れ、ロワールの川沿いにあるベンチに一緒に並んで座り、一休みするのである。
「俺はこのベンチで十分・・。練習の後は本当に気持ちがいい。」
ファティが言う。私はファティに同調した。
「やっぱりここか。」
ステファンが後ろから声をかけた。
妹のナタリーも一緒だった。彼女を確認すると、3人は一斉にベンチから立ち上がり、同じように彼女に向って笑顔を見せた。ステファンは不思議そうに三人の反応を見ていた。
彼女は、その反応が面白かったのだろう。
「ふふ」と笑って笑顔を見せた。
「はいこれ。」
彼女が、小瓶のハイネケンビールを3人に差し出した。
ステファンはずっと笑っている。最近、私は最後の柔道の乱取りはいつもステファンだった。彼は決して強くはなかった。私は、道場にナタリーがいないときは、ステファンに彼の技を掛けさせてやった。。彼は私に勝つと本当にうれしそうにした。ただ、ナタリーが見物に来ていると、必ず私は本気でステファンを投げた。しかし、ステファンはまだ乱取りの勝負でのナタリーの法則に気づいていないようである。
「カルティニが、カズマは支えつり込み足から内またへの連続技がうまくなったと感心してたわ。道場じゃみんな連続技がにがてだもの・・。」
私は、自分がいつの間にか高笑いをしていることに気づかなかった。
「どうして、後ろへ手をまわして笑ってるんだ。みっともない!」
ミルコは本当に憎しみを抱いているように私をにらみつけた。
「ファティ、みんながあなたのこと「牛殺し」と噂してるの知ってる。怪力だから。」
ナタリーが続けてファティをほめる。ファティも私と同じように後ろに手をまわし、高笑いを始めた。
ステファンは優しい男である。ミルコの顔を見て、
「ミルコもうまくなったよな。大外刈り、さまになってきたよな。やはり身長が高いから。」
なぜかしら、ミルコだけはその言葉にも笑顔が見られなかった。
私はフランスでいる間、ナタリーより美人に会ったことはない。最近アリゼとかいう人気歌手がフランスで人気らしいが、彼女にも負けないぐらい優しい顔立ちの美人であった。
ちなみに今の私が、人生で出会ったいろいろな女性を思い浮かべるのだが、彼女ほど美人はいなかったように思う。あそうそう、わが女房を除いて・・・。
「いいよな。」
ステファンとナタリーが去った後ファティが呟いた。残った二人も頭を、上下に振って異議なしを伝えた。
(私の生活)
朝から夕方まで昼間の学食を除いて、一日中原書を読んでいると自分は何者なんだろうと不思議に思うことがある。それでも飽きずにせっせと読書に時間を過ごす。今思っても「自分は不思議な人間だなあ。」と感心させられる。ところがこの図書館にはもう一人、私と同じように図書館が開館すると同時に定位置に座り、夕方閉館になるまで昼食を除いてじっと本と向き合っている学生がいる。最初のころは、お互い気にならなかったが、一か月もすると相手が少しでもいなくなると気になるようになるものである。私には勤勉は、美徳などという考えはさらさらない。例えば、数学の偉人たちには変わった人がたくさんいる。彼らは他人の努力を偉いなどとは思わなかったのではないか・・。なぜなら、一生かかっても、彼らのような才能のない人間が努力しても、天才数学者が1年間で出す成果には、到底、いや、天文学的能力の差で及びもしないのである。そうそう、フランスにも、あまたの才能の持ち主が排出している。中でも群論の創始者であるガロワは20歳位で亡くなっている。なんと、決闘によって撃たれたそうだ。その前には監獄にも入っている。それでも数学史、いや学問の進展を早めるような偉業をなしている。
私は長時間の勉強のせいか、本に集中することができず、そんなことを考えていると、閉館のチャイムが鳴った。もう一人の図書館の虫が席を立つ、続くように私も消灯で薄暗くなり始めた図書館を後にした。
再び柔道場で・・
「カズマ、彼とやってみろ。」
カルティニが私に乱取りの相手を指名した。その相手は軍隊の教練所で徴兵されたフランスの青年たちを指導している教官だった。カルティニの言葉が道場に響いた瞬間、あたりがシーンと静まり返り、みんなの視線が私の方に集中した。教官はたまに乱取りの相手をする。しかしそれは、この道場に招かれたプロの柔道家であった。そんな中には日本人もたまに招かれていた。
名前は忘れたが、天理大学柔道部で全国大会のメンバーになったという人が道場に来たことがある。結構気さくな人で、私がどうしてフランスで指導しているのかと聞いたら、「成り行き、成り行き。」と結構いい加減な返事が返ってきた。要するに楽しいからやめられないのである。講師代もびっくりするような厚遇とか・・。彼によると、パリにはフランスにきて20年にもなる柔道家がいるらしい。彼の話では、その大御所はいまだにフランス語がほとんど喋れず、引け、投げろ、掴めなどの指導用語だけでちゃんと暮らしが成り立っているらしい。私はその人を題材にした小説を書けば、結構売れるんじゃないかと思ったぐらいである。
相手の教官は強かった。しかし、相手は私をなめていた。私は高校時代全国大会に個人で出場した部員とよく練習の相手をした。一度、彼にどうして私を練習の相手に選ぶのかと聞いたことがある。彼が言うには、私は倒そうとする気がない。その分守りに徹する。だから勝負をつけにくいそうである。そう聞いてから、彼と練習をするときは徹底的に守りに徹することにした。それもまた面白いものなのである。柔道の深さをのぞかせてもらったような気がしたものだ。教官はそんな私の過去を知らなかった。試合は彼の一本が取れないまま最終盤に入った。見学していた道場の連中の間から驚きのざわめきが起こり始めた。私は彼がプライドのために、控えておいた得意技の巴投げをかける瞬間が近づいていることを意識し始めた。彼の顔に真剣さがのぞき始めた瞬間、彼は巴投げをかけてきた。私はその瞬間を見逃さなかった。私の体が半分宙に舞ったとき、私は激しく両足をばたつかせた。その振動にバランスを失った教官は、途中で技を掛けた片足を支えられなくなり、思わず私の体を横に放り出した。私はすかさず立ち上がると、寝技を決めようと彼の上に覆いかぶさろうとした。ナタリーが「頑張って。」と声をかけた。その声が私の優勢を逆転させた。彼はなんと半分転がったまま、再び片足を私の腹にかけると、勢いよく今度は見事に私の体を半回転させたのである。ナタリーの声は、私を一瞬ヒーローに祭り上げたのであるが、所詮は防御のスペシャリストに過ぎなかったのである。私がマットに沈んだ後、私の意識は戻らなかった。
(病院で・・)
「カズマ。」
ナタリーの呼びかけに私は目を覚ました。
「どうしたの。ぼろぼろ涙なんか流して。」
彼女は不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。おそら私は悪夢にさいなまれていたのだろう。
「まあ、よかったよ。幸い骨折はしたけど、そう深刻じゃないらしいから・・。」
ステファンの声である。教官に投げられた後、私はどうやら気を失ったようである。
教官とステファンとナタリーが車で病院まで運んできてくれたらしい。
「教官が、今、病院の手続きをしているから。心配しなくていいよ。彼が治療費すべて払うから。」
ステファンがそういうのを聞いて安心したのだろうか、私は再び眠りに落ちた。しかし、今度はガロワの夢は見なかったようである。
「目を覚ましたよ。」ミルコの声がした。
「ここはどこだ。」
私は確かめるようにミルコに問いかけた。私はナタリーとステファンを見た後、麻酔をかけられ腕の手術をうけたらしい。あれからすでに1日が経過していたようだ。
「もうすぐ正午になる。早く病院を出なくては・・。これ以上寝ていると追加料金を請求されるから・・。」
ファティは私の顔を覗き込んで、私の健康状態を確かめているようだった。
私の腕はギブスで固められ、いつの間にか道場へ行った時の服装に戻っていた。おそらく二人のうちどちらかが、無意識になって寝ている私の体を無理やり動かして着替えさせたのだろう。
「大丈夫かファティ。」
ミルコの声である。
ファティは軽く頷くと、私を背中に背負い病院の出口に向かった。
「迷惑かけるな。」
私はファティの背中に負われた状態で何度もつぶやいた。
「もう今度言ったら、放り出すぞ。」
ファティはそう言って、小さな声を出して笑った。
「そうだ、日本人は遠慮深いが気を使いすぎだ。」
そう言って私の持ち物を詰めたバッグを肩に背負ったミルコがファティに同調した。
その日の午後、私は二人に助けられ学食で夕食を済ませた。どろどろに溶かしたほうれん草、マッシュポテト、豆入トマトスープ、メインは鶏のモモ肉だった。我々にとって学食に行けなくなったときは帰国する時だった。そのことをわかっているミルコもファティも私が食堂に行くことを止めようとはしなかった。その日二人は夜遅く私の部屋を出た。
数日後・・・
突然、柔道場の経営者のカルチィニが、私の下宿を訪れた。彼は部屋に入るや否や部屋の中をぐるっと見渡して、
「なかなか素敵な部屋じゃないか。」と皮肉笑いを浮かべながら、私の本棚をじっと見ていた。
「コーヒーでも入れます。」
寝ていた私は、上半身を起こしてカルティニにコーヒーを出すために立ち上がろうとした。
腕の痛みはかなり良くなっていたが、夜になると早めにベットに入るようにしていた。そんな時、彼が突然訪ねてきたのである。彼は私の本を手にとってはペラペラめくっていたが、私が立ち上がろうとするのを手で制した。
「サルトルか、メルロポンティーもあるね。」
彼は私の読んでいる本をちょっと見ては次の本の著者を確認していた。
「はい。フランス哲学を読みたくてフランスへ来たもので。」
「ハイデッカーやフッサールはドイツ人じゃないの。なんで英語の本になってるの。」
彼は不思議な顔をして私の方に振り向いた。
「ドイツ語は知らないので。ただ、なぜか日本語より英語の方が理解できるのかなと思って。日本でできない論文を書いてみたいので・・。それに英語の勉強にもなるし。」
私は知らないうちにまるで大学教授に言い訳をするように、カルティニに向かって話していた。彼は部屋にあった唯一の小さな腰掛に勝手に座ると、
「君と教官の試合ね、たまたまフランス柔道協会のメンバーが見ていてね。」
そういうと、彼は私の表情を窺うように私の顔を見た。
「この前パリの協会の会合で話題になったんだ。」
そう言うと彼は私が何か言うのを期待して黙ってしまった。
「そうですか。どんな評判でした。」
仕方なく私は彼の期待するような質問を投げかけてみた。
「君のことを大変感心していたよ。さすが日本人だって・・。勝てない相手でもあきらめないファイティングスピリットがあるってね。」
彼は淡々と会話を続けた。
私はあまり彼の報告に関心がなかった。第一、私は柔道の修行のためにフランスに来たわけでもない。あの時簡単に負けていてもそれでよかったのである。たまたまナタリーがいたばっかりに自然と自分にふさわしくない闘争心が呼び覚まされただけである。これが本当のスケベ根性というものかもしれない。しかし、カルティニは最後に私の関心をひく一言を、言い残してくれた。
「これは、協会から君への見舞金だ。」
そう言って小切手をテーブルに置いたのである。その時、私ははっきりと確かめはしなかったが、わたしの日頃の生活費より一桁多い数字が並んでいたのは確かのようだった。
「もらっていいんですか。僕には大金のように思うんですが・・。」
私は立ち上がり、出ていこうと扉に向かった彼に声をかけた。
「いいよ。正月に旅行でも行って来たら。どうせこっち来て何処も行ってないんだろう。」
見透かしたように彼は振り向きもせず、私に言った。
「そうそう、ミルコのことだけど・・。」
そう言うと扉をあけたまま、彼は私の方を振り向いた。
「彼はクラチア人だったよね。」
「そう聞いています。」
「そうか。大統領のチトーがいる間はいいが。どうなるかな。」
そう言って薄笑いを浮かべると、私の返答を聞くこともなく扉を閉じた。
相変わらず人を馬鹿にしたような彼の態度は変わらなかった。私はテーブルに置かれた小切手の額を確かめようかと、その紙切れをじっと見つめていたが、そのままにして寝ることにした。急いで確かめれば、カルティニの予想する通りの行動をとることになると思ったのである。カルティニが今頃、薄笑いを浮かべて車を運転している姿がはっきりと思い浮かんできた。
「嫌な奴だ。どうも好きになれない。」
私はいつの間にか毛布にくるまって独り言を言っていた。そして、彼が最後に言った言葉がいつまでも気になった。
「ミルコの国には何か不吉な事情でもあるのかな・・。」そんなことを思いながら眠りに落ちた。
ファティがクリスマスイブの夜
私の部屋の扉をノックした。
顔を出した彼の顔は、いつもの仏頂面ではなく満面に笑みをたたえていた。
「どうしたの。」
私は彼の顔を見て、いぶかるように尋ねた。
「クリスマスイブだよ、今日の夜は・・。」
そう言って、彼はさっきよりいっそう機嫌のよさそうな笑顔を見せた。
「いったいどういうことだろう。彼はアラブ人のはずなのに・・。」
私は心の中でそう思った。
私の固定観念ともなっている印象だが、イスラム教は、信仰しない人にとっては近寄りがたく、信者だけの間で固く信じられている宗教のように感じていた。それは信者の心のうちに深く入り込んだもので、信者以外の人々に干渉を許さない絶対的信念のようにも思っていたのである。
私が不安そうな表情を浮かべて彼をじっと見つめて、どう答えていいかまごついていると、
「僕はカトリック教徒なんだ。」
ファティはそう言うと、胸の前で十字を切った。
彼の言うには、ファティのふるさとのアレッポでは住民の一割ほどがキリスト教徒らしい。その街には立派な教会もあり、他宗教の近隣とトラブルもなく、みんなお互いの宗教を認め合い、協力しあって平和に暮らしていたのである。その頃は・・・。
私には彼の十字を切る仕草が異様にさえ映ったのは、日本で見聞きした報道の知識を少しだけかじった私の偏見のようなものだったのである。
「クリスマスイブおめでとう。」
私はやっと納得したようにファティに声をかけた。ちなみに私の家は真言宗のお寺の檀家である。
「ミルコを誘って教会のミサに行こうと思うんだが、カズマはどうする。」
彼もまた私の信仰のことを気遣っているのかもしれない。
「行こう。」
私はファティに自分の意思を伝える前に、コートを着込んでいた。
ミルコの部屋は教会の近くにあった。
彼を教会に誘いに行くと彼はうっすらと涙を浮かべて、
「最近三年間、ぼくはクリスマスイブの夜に友人と教会に行った事がなかったんだ・・。でも、君たちのおかげで独りぼっちでないイブを迎えられる。このことは僕にとって特別なことなだ。君たちと知り合いになってこんなにうれしいと思ったことはないよ。買い込んだワイン、今日の夜全部飲むからな。」
ミルコはそう言うと、ファティの方をちらっと見て親指をたてた。二人は結構酒好きであった。
ミルコの感激は私には理解できなかった。ただ、彼らにとってそんなにまで大事な祭典なのかと改めてクリスマスを認識したのは、ミルコの予想もしない感激からだった。
アンジェの街には、人一人いなかった。僕たちはそんな閑散とした街の大通りを駆け足で大聖堂へ向かった。教会の中に入ると、街の大通りとは対照的に、この町の住人の大半が集まったんじゃないかと思うぐらい人であふれていて、光を集めた祭壇でのお祈りは、初めて目にする私にとっても厳かで人の心を魅了するものがあった。
ミルコとファティはお祈りが始まると一言も喋らず、熱心に手を合わせていた。私はというと、まさか手を合わすわけにもいかず、ただじっと彼らと並んですわり、目を閉じたりステンドグラスを見たり、居心地悪くじっとしているしか仕方がなかった。そのうち前の方から教会への寄付の皿のようなものが回ってきた。私はためらいながら1フランではなく5フランをその中に置いた。私にとって教会のミサはなかなか経験できない観光見物のようなものだったのだ。つまり、私が差し出した5フランは、私にとって京都のお寺の入園料のようなものだった。もちろん彼らにはそんなことは言うつもりもなかったが・・・。
ミルコの部屋は壁際には書物が積まれていて、部屋の中央にテーブルと椅子が整然と置かれていた。私の部屋と違って、ベッドはかなり新品できれいなシーツが掛けられていた。おそらく明日引っ越すといっても、ためらうことなく数十分で部屋を出られそうであった。幸い、私とファティが座る腰掛は結構大きくて、座り心地がよかった。ミルコはベッドの片隅に座り、部屋に帰ってから始終ご機嫌で、ずっとワインを飲んでいた。ファティも遠慮することなくミルコが買っておいたワインをミルコに合わせるように飲んでいた。不思議なことだが、彼らの様子はお酒を飲んでも少しも変わらず、ボトルの半分も飲んでいない私だけが真っ赤な顔をしてうつむいていた。
「人間は、死んでもやっぱり同じ民族や宗教を背負っていくのかな。」
酔ってきたのは確かなようだ。意味の分からないことをミルコがぽつりと言った。
「ついでに貧乏や家系も背負いこんで、この世から「はいしつれいします」ってか・・。」
今度はファティがミルコの言葉に合わせるように、私の理解のできない言葉を吐き捨てる。
我々3人は自分たちの国での境遇には触れないことにしていた。それは、人種も環境も余りにも違ったお互い同士が、どんなデリケートな問題に無神経に踏み込んで相手を傷つけるか分からないという恐れからくる暗黙の了解だったのかもしれない。裏返せば、それだけ怪しい事情を持つ3人が、自分たちの周辺を詮索しないことで、安心して一緒にいられたのかもしれない。あれだけ陽気だった二人の様子からしばらく会話が途絶え、部屋の中はシーンと静まり返った。
「俺は、今日、君らに愉快な提案があるんだ。」
私は沈んだ雰囲気を打ち壊すかのようにあえて大きな声を張り上げた。
「何だい、提案って。」
ミルコが顔を上げて私を見た。
「正月は3人でスペインに行こうと思うんだ。」
私の声は始終明るい。
「そんなお金、僕にはないよ。悪いが遠慮しておくよ。」
ファティが恥ずかしそうに呟いた。ミルコもその言葉に同調するかのように頷いた。
「金は僕が準備する。もちろん贅沢旅行と言うわけにはいかないがね。」
私は、旅行の賛同をためらっている2人にカルティニから貰った、柔道で負傷した見舞金について説明した。最初迷っていた二人からみるみる笑顔が戻り、三人は三様に小躍りしながら部屋の周りを駆け回った。
「静かに!」
下で寝ていたのだろうか。騒ぎにたまりかねた大家から苦情の声が階段中に鳴り響いた。
急に静かになった部屋で3人は顔を見合わせ、今度はくすくす笑い始めた。
「ロワール川の岸辺へ行こう。」
ミルコが小声で二人を誘った。
言うや否や、我々はミルコの家を飛び出した。
イブの夜、我々は川岸にほんのり日が差し始めるころに解散した。
(スペインへの旅)
ファティ、ミルコそれに私はスペインのラ・マンチャに行くためパリで夜行列車に乗り込んだ。旅行の途中で我々は正月を迎えることになる。私は、不思議なぐらい寝台列車でぐっすり寝られた。ファティも、ミルコもそれほど寝不足な顔はしていなかった。列車の窓から見る景色は、大半が緑の草原で、その間を結ぶように小さな村が所々に点在していた。列車は早朝マドリードに着いた。我々はラ・マンチャへ行く前にこのスペインの首都で1日過ごす予定にしていた。
我々はプラド美術館でゴヤの絵を見るのを楽しみにしていた。大都市の中心部にある美術館に行くには、比較的容易に行くことができた。大半の場合、異国で交通機関のアクセスを、周辺にいる人に聞くために、私は目的地の地図を見せるのだが、彼らの幾人かはガイドブックを見せようとすると手を差し出して拒絶するのである。私が不思議そうな顔をしていると、彼らは二本の指で自分の目を指してから、手を左右に振るのである。
「字が読めないんだよ。」
ファティが、その人に気遣うよう、に私に小声でささやいた。
私にとって字が読めない人がいるということ自体、小さな衝撃であった。それも首都のマドリードで・・。そしてその時改めて、スペインという異国に来たのだという変な感動を覚えた。
ゴヤの絵は手を伸ばせば触れるような至近距離で壁の上に載せられていた(もちろん警備員らしき人が、所々に座ってはいたが)。
「ルーブルとは違う親近感があるね。」
そう言いながらミルコは熱心にゴヤの絵を覗き込んでいた。
ファティはスペイン戦争を題材にした「巨人」の絵に張り付いていた。さすがにマヤの絵は、手前に柵があり、立ち入って覗き込むことはできなかった。私はゴヤの怒りや恐怖また絶望が、時と空間を超えてその絵から訴えてくるものを感じずにはいられなかった。
「人間が作った創造物でも、やっぱり時間と空間を超越することは可能なんだよ。」
私は彼らに向って呟いた。
「カズマのいつもの口癖が始まった。」
そう言ってファティが笑った。
「俺は自分のやっている音波の研究に感動なんかしたことないが、カズマは自分のやっている学問に感動を求めているのかい。」
ミルコは本当にそのことを知りたいように私の方を見た。
「感動とか畏敬とか自分のやっていることにある特別な思い入れがなかったら、なんでわざわざ遠く異国の地で、貧乏暮らしに耐えて勉強しているのか分からくなるからな。「時空を超える」って言葉は、いわば自分をだますおまじないかもしれないけどね。」
私は自分の表現したい言葉の選択に苦労していた。
「だからラ・マンチャへ行ってドン・キホーテの挑んだ風車が見たいってわけか。」
ファティはその時、私が日ごろ抱いている思想のようなものが旅行の目的地と一致したのだと納得したようだ。
「でも、もしかしたら、僕はそんなことを堂々と主張できるカズマが、少しだけうらやましいのかもしれない。」
ミルコがぽつりとつぶやいた。
「確かにな・・。」
なぜだかファティまでもが同調する。
「おいおい、とうとう僕はドン・キホーテにされるのかい。それじゃ君らはサンチョ・パンサになってくれよ。」
私は、自分が彼らに予想もしていない高評価をされて、何か面はゆい気持ちになって冗談を言ってみた。
「はいご主人様・・。」
ファティはそう言うと、まるでドン・キホーテに騙されていやいや従う従者になりきって、蟹股でとぼとぼと歩き出した。きっとサンチョのイメージを真似たのだろう。
「これから何処へ、ご主人様。」
ミルコがファティの後を同じように歩いた。
「明日はいよいよ風車の巨人と一戦交えるぞ!」
仕方ないので、私もそういいながら彼らの後を追っかけた。
「飯にしよう!」
ファティの快活な声が画廊の廊下に響いて私の耳へと反射した。
(ラ・マンチャヘ)
コンスエグラ(風車のある場所に一番近い町)行きの列車は、乗客ごった返していた。それでも我々が車内へ入ると、彼らのほとんどの視線が我々の方に集まった。おそらく、アラブ人、東洋人、ヨーロッパ系白人が一緒にいるのがよほど珍しかったのかもしれない(その当時は・・)。私はパリに着いたとき、何度となく日本人とすれちがった。「こんなに日本人がいるのか。」そんな言葉をシャンゼリゼ通りを歩きながら呟いたぐらい、私はフランスの事情を勉強していなかった。アンジェへ向かう列車の窓か“CTIZEN”の看板を見つけて、奇妙な親しみと、予想もしていなかった誇らしさを感じたのも、まだ一年余り前のことであった。それほど私はフランスという国の知識がなかったのである。語学とサルトルを除いて・・。
ところが、このスペインの地方行き列車の車内では、私が「外国人に反応するだろう」と予想していた通りの反応を乗客は私たちにしたのである。
少し居心地が悪くなったミルコは、寝たふりをして腕組みをし目を閉じた。ファティは列車の窓をじっと見つめ、あまり車内に視線を移さなかった。私はというと、たまたま持っていた例のウォークマンのイヤホンを耳に当て、車内の天井を見つめていた。それでも乗客の視線は時折我々の方に向けられ、同席した仲間とスペイン語で何か言っていた。おそらく我々のことだろう。私は少し自意識過剰になりかけていた。そのうち乗客の一人が、たまたま我々の荷物を置いていた四人すわりになっている車内のシートの空いてる座席にやってきて、荷物の上からシートに座ろうとしたのである。ミルコとファティは、反射的に彼が座る前に、自分のバッグを胸で抱え込んだ。二人が知らんふりをしようとした努力は、彼らの突然の行動でばれてしまうことになった。私はというと、ビートルズの“Let it be”を聞いていたので、彼の突然の行動に素早く反応できず、自分の荷物を彼のなすがままにされてしまった。
「ああ・・。」
私はなすすべもなく、ただ声を上げてあっけにとられるように、自分の荷物がぺちゃんこになるのを見ていると、彼はそのことに、今、突然気づいたかのように大慌てで再び立ち上がった。
近づいてきたそのスペイン人は、二十歳前後の若者だった。よほど勇気を出して我々の前に近づいてきたのだろう、どうやら座席に我々の荷物が置かれていることに気づかなかったらしい。
彼は私と目が合うや否や、私の耳に当てられているウォークマンをしきりと指差し、スペイン語でまくし立てた。
「何を言ってんだろうね。」
私は不安になりミルコの顔を見た。
「君の聞いている音楽が迷惑なんじゃないか。」
そう言っているミルコも私と同じように不安そうだった。
ファティは自分の荷物を抱え、事の顛末を少し私と距離を置いて観察しているようだった。
そのうち乗客はますます私の方に群がりだし、私に向って口々に何かしゃべっている。ミルコはますます動揺し不安そうに、彼らを座席から見上げていた。ファティはますます小さく背を丸めその場で消え入るようになっていた。私は本来の日本人に帰って、しきりと彼らに向って愛想笑いを無意識にしていた。我々はどうすることもできず、窮地に陥った時に自然と現れる本来の自分の性格を自分なりに表現しているようで、なんとも情けない状態に陥り、それでも、彼らの興奮騒ぎを抑えるための打開策だけは必死で考えていた。緊張が頂点に差し掛かろうとしたとき、ファティが大きな声で私に解決策を提案した。
「彼らは君のウォークマンを買いたいようだ。だからこんなに大きな声でお互いに値段を競り合っているんだよ。」
「そういえば、なんだか数字を言っているようだよ。」
そう言ってミルコは私の表情を窺がった。
状況が把握できた私は徐々に落ち着きを取り戻してきた。
しばらくすると、彼らの言いあってる言葉がなんだかおもしろく感じられ始めた。
「どうしようか。」
私は二人に助けを求めた。
「“NO!”と大きな声で言えば収まるよ。」
ファティが私にアドバイスした。
ミルコも賛成するように頷いた。
しかし、私は最初の若者にウォークマンを売ることに同意した。私にとってウォークマンはそれほど大事な持ち物でもなくなっていたのである。フランスに行く前に、私はたまたま秋葉原で見かけたウォークマンをなけなしの金で購入した。私にとって安い買い物ではなかった。異国で独りの時に癒しになるだろうと買ったのである。最初のころは思惑通り、ウォークマンは私の孤独感を癒してくれたのである。しかし、フランスでは、肝心の曲を聞くためのカセットテープを買う金銭的余裕がなかったのである。そこで日本から持って行った曲をテープが擦り切れるほど聞いていた。
当然その便利な持ち物は、私にとって最初ほど貴重な装置ではなくなっていったのである。
「OK!」
そう言って私はその青年と握手すると同時に、彼はポケットから紙幣を何枚か引き出し、私の手に渡した。それと交換に、私は彼に私のウォークマンを手渡した。その瞬間、周りの乗客から拍手が沸き起こり、その少年は感激のあまり私に抱き着いた。後で調べてみると、彼が私に払ったお金はウォークマンを買った金額の半額にもなっていなかった。もちろん私は今でも後悔なんかしていない。それどころか、あの時の乗客の反応は忘れられない思い出になった。彼らは私たちに自分が持ち込んだお菓子を食べるように勧めてきた。最後には車内全員でスペインの国家を歌いだしたのにはさすがに三人顔を見合わせて驚いた。
コンスエグラの町に着いた時、辺りは暗くなっていた。その日我々は駅近くのホテルに泊まることになった。そして、その夜私は売ったウォークマンのお金で少し贅沢な夕食を取ることにした。贅沢といっても食事と同時にお酒を注文するというだけの話である。近くのタベルナ(レストラン+居酒屋)では座席がほぼ満席であったが、幸い店の片隅に三人が座れる空席があった。不思議なことに我々が店に入った時から、今回は、誰も我々に関心を示さなかった。客のそれぞれが、自分たちの注文した料理を食べて、愉快そうに笑い合い、そしてお酒を飲んでいた。よくある居酒屋の光景であった。我々は、そんな店の雰囲気にほっとしたように、彼らの席の合間を縫って、なるべく目立たないように片隅の席に座り込んだ。最初に運ばれてきたパエリアの大皿がテーブルの中央に置かれた時、お互い顔を見合わせ、合図もしないのにほぼ同時に笑い出した。別にその料理が面白いのではなく、長い旅の後、やっとラ・マンチャに着いた満足感と、空腹を満たしてくれる珍しい料理を大皿で一緒に食べる連帯感に、思わず同じ反応をとったのである。
やがて空腹が次第に満たされ、注文したお酒を飲んで少しずつ解放感に満たされてくると、我々は今までの旅の疲れも遠ざかっていった。異国にいるという緊張感から少しづつ解放され、フランスにいるころの普段の日常生活で、三人で集まって何となく言いたいことを率直に言える気持ちになってきた。
「ミルコはフランスで研究終了したらどうするんだ。」
ファティがミルコの顔を見るながら、手に持っていたワイングラスを一挙に飲み干した。
「僕はユーゴスラビアに帰るんだ。両親はドイツの大学に残って生活の基盤を置いてほしいようなんだけどね・・。」
彼は疲れもあったのだろうか。アルコールが入ったことで、かなりいい気持ちになっているようで、ファティの言葉にじっと目を閉じたまま即答した。
「ユーゴスラビアは大丈夫なのかい、政治状況は・・。」
私はカルティニの言葉を思い出していた。
ミルコは驚いたように、急に眼を開けて私の顔を見た。
「驚いたな、カズマがそんなこと言うなんて・・。君は僕の国のことよく知っているのかい。」
「いや、カルティニが以前、君がクロアチア人だと聞いて、僕にそんなこと言っていたんだ。」
私は慌てて言い訳をした。
「僕は彼が好きじゃない。」
ファティがぽつりと呟いた。
「僕もだ。」
私も同意した。
「でも、彼は利口な人間だ。彼のドイツ語は高校の教師のレベルより上だと思うよ。彼は僕にも何回か僕の国について意見を言ったことがあるんだが、僕は彼に反論できなかったよ。」
そう言ってミルコはカルティニを擁護した。
三人は一瞬、誰も何も言わず黙ってしまった。ミルコの言葉に説得力があったのだろうか。
「ところで、カズマはフランスで論文書いたら日本の大学院にでも行きたいのかい。」
ファティはミルコに質問したものの、ミルコの国の事情にこだわらなかった。
「僕は、自分の大学の大学院に行って哲学を続けたい。ただ、大学院に入れるかどうか全く予想もつかないけどね。だめなら故郷へ帰って適当に仕事見つけるさ。」
これは私の現実的な本音であった。
「それは、夢ばかり追ってるカズマらしくないな・・。」
案の定、ファティが私の本音に文句を言った。
「そうだよ。カズマらしくないよ。僕は君にもっとほかの将来を描いてほしいよ。」
ミルコがファティのかたを持つ。
「そうか、君らにとっちゃ、僕は夢追い人間か。」
私は天井の方を向いてぽつりとつぶやいた。
「いいんだよそれで・・、そんなにがっかりするなよ。どう言っていいか分からないけど、僕の生まれた環境なんて、ある意味、がんじがらめなんだ。君らには、なんだか自由にコウモリの音波なんか研究してるように見えるけど、僕の家族や周囲の親戚にとって僕は希望の星なんだ。十代のころにドイツに留学し、ドイツ語を学んで、ドイツの大学で物理の研究の道に入った。それもみんな国の国費のお陰なんだ。国費が切れると、家族は僕のフランスでの研究続行のために、なけなしのお金を工面しているんだ。カルティニの言った通り、僕のふるさとのボスニアヘルツェゴビナはセルビア人とクロアチア人がいてね。まあそのことはやめとこう・・・。両親は僕がドイツで安心して暮らしてくれることを望んでいるんだ。」
ミルコは次第に首を垂れて今にも沈んでしまいそうになった。しかし突然、頭を上げるとしっかりした声で自分に言い聞かせるように、きっぱりと言った。
「そんなこと僕にはできないよ。故郷に家族を残して自分だけ恵まれた環境に身を置くなんて。絶対に・・・。」
「僕はミルコほど不自由な環境じゃない。でも、カズマを見てるとほっとするんだ。他人には「何やってんだ。」と笑われることを、フランスまでやってきて、それも毎日真剣に勉強してるんだもんな・・。誰より情熱をもってね。僕も偶然だけど、ミルコと同じように家族の期待を背負わされてフランスで勉強してるんだ。家族とか一族とかいうややこしい期待を背負わされてね・・。」
ファティも異国での解放感とお酒のせいだろうか。普段は触れたがらない自国の事情を吐露しかけたが、それ以上は詳しく語らなかった。
「何だか、けなされてんのか、ほめられてんのか分からなくなったな。」
私は二人の言葉にしょげていた。
「ほめてんだよ。なに沈んでるんだ。もっと自分のやってることに自信持てよ。」
ファティがそう私に話しかけると、ミルコが「うんうん」と頷いて、彼の言葉に賛同した。
「彼らは自分ではできない自由な生き方を私に投影して、楽しんでいるのかもしれない。」
そう思って、私は勝手に彼らの言ってることを推測した。
「そうか、それじゃ、僕は将来「時空からの脱出」とかなんとか著書を書いてノーベル賞をいただくよ。」
私は、沈んだ気持ちを持ち上げるように、そう言った。
「それは調子に乗りすぎだな。」
ミルコがそう言うと、今度はファティが頷いてミルコに賛同した。その後、また合わせるように三人の笑いが舞い戻った。
その夜寝ていると、三人はホテルが揺れるような音に起こされた。
「どうしたんだろう。」
私は不安そうに二人の顔を見た。
「下でみんなが正月のお祝いしてんだよ。」
ミルコは素早く状況を把握していた。
「すごいもんだな、スペイン人は・・。お祝いするにも命懸けだ。」
ファティの言葉に思わず一斉に大笑いを始めた。
「生活するにも命懸けか・・・。」
ミルコがなんだか訳のわからないことを呟くと、我々の笑い声はいっそう大きくなった。
「カズマもあのぐらい、今、やってることに命懸けにならなくっちゃな。」
ファティがそういうとミルコが、いっそう大きな声で笑い始めた。
「馬鹿野郎!」
私は今日の夜からずっと1対2で彼らにからかわれながら励まされているような気がしていた。私の言葉は、そんな彼らへの最後の反抗と感謝のように聞こえたに違いない。
(ドン・キホーテの風車)
風車の丘まで行くにはタクシー以外に交通手段がなかった。最初は迷ったが、丘までの20〜30キロを往復するのは、荷物を抱えて歩いていくのは無理であった。
「大丈夫かい、旅行費。」
ファティが不安そうに私の顔を覗き込んだ。ミルコも私の表情を見つめていた。
私はこの旅行をフランス留学期間の最初で最後の旅と決めていた。そこで、使える余裕のあるお金はすべて持ってきていたのである。(今もあの時の判断は間違っていなかったと、断言できるのである。)
「大丈夫。」
私は、そんなことでくどくど説明したくはなかった。
そんな私のきっぱり言い切った言葉を聞いて、二人の気持ちはいつものように、快活にこの時間を楽しもうという前向きな意欲に変わっていった。
数十分タクシーに乗った後、我々はやっと目的地の風車のある丘に到着した。贅沢に思えたが私は丘の登り口にタクシーを待たせて、三人で丘の上へ歩いて行った。
丘の上には数基の風車が風の力を借りてゆっくりと一定の周期で回っていた。取り立てて他の所の風車とどこが違うというわけでもなく、見渡す限り、人の気配もない丘の上の平地の上で音もなく悠然と動いているのである。
「これがあの風車か。」
ミルコが少し高揚したような声を出した。
「やっと来たね。」
ファティも感慨深げに高くそびえる風車を見上げながらぽつりと言った。
私はその時、アンジェの図書館で書き写してきたドン・キホーテの風車のシーンの一部(フランス語)を風車に向って大声で読み上げた。
「 サンチョよ、見ろ、あの巨人たちを
地上の悪を駆逐するために、わしは奴らと戦うつもりじゃ
旦那様、何を言っているのでさ、あれは巨人なんかではなく風車ですだ
サンチョよ あれは間違いなく巨人。恐れをなしたのであれば、お前はここに留まり
わしの決死の戦いに幸運を祈っておれ。 そう言い残し、ロシナンテを駆って風車に突撃するドン・キホーテは見事、風車の羽にはねとばされ、地に投げ出される 」
私の目頭にうっすらと涙が浮かんだ。二人もなぜかお互いの顔を見ることなく、風車を仰ぎ見ていた。
しばらくしてファティが奇声を上げながら風車の周りを駆け足で回り始めた。
私とミルコも彼に遅れまいと荷物を抱えたまま大声をあげながら、ファティに続いた。あの時、我々は、巨人に挑んだドン・キホーテになっていたのである。日常のすべてのしがらみから解放されて・・。いや、自分自身である時間と空間の存在的根拠から解放されたくて!
しかし現実はすぐやってきた。我々が風車の周りを駆け回っている間に、タクシーはいなくなっていたのである。丘を降りてきた三人にとってその事態をどうやって打開すればいいのか、最初はぽかんと立ちすくむだけだった。駅の街までは、ほぼ人の住んでいる住居もなく、ところどころに緑があるが、ほぼ赤茶けた大地が続く砂漠のような道を何十キロもただひたすら歩かなくてはならないのである。それも夕刻までに、さらに重い荷物を背中に背負ったまで・・。
「どうする。」
最初に切り出したのはミルコであった。そう聞いたものの、三人が考える解決策はただ一つだった。それはただひたすら駅のある町まで歩くことだった。幸い時間は正午過ぎであり、十分夕方までにはたどり着ける距離であった。
「行こうか。」
ファティが、ようやく、やらなくてはならない行動を促した。もちろん二人に異論の出るはずもない。
10キロぐらい歩いただろうか。最初少しは冗談を言い合っていた三人もさすがに寡黙になり、ただひたすら下を向いたまま歩き続けた。
「しかしなんだな、本当に単調な風景だな。ただ赤茶けた土の台地が広がるばっかりだ。」
ミルコが、誰の反応を確認するでもなく呟いた。案の定、私もファティも何にも言わず、ただひたすら歩き続けた。更にしばらく行くと、3人は話すこともなくなって、ただひたすら日に照らされた陽炎のように、私、ファティ、ミルコの順で等間隔で平行移動していた。
「c'est la vie.」
やけくそになった私がつぶやくと、
「Oui,C’est la vie.」
ファティが続ける。
「C’est ca. C’est la vie(セサ、セラヴィ。その通り、なるようになれ)」
ミルコが続く。
3人はやっとお互いに共感を得たような気がしてほっとした。するとなんだか今までのイライラした気持ちがすっと吹っ切れたような気になった。
しばらくして、ファティが私に向かって声をかけた。
「ありがとうなカズマ !最高の旅行を・・・。」
ファティは、私と目も合わさず、うつむいたままでしんみりと言ったのである。
「僕もお礼を言わなくちゃな。アラブ人と日本人とで、こんな楽しい旅行ができるなんて・・。人は人種も宗教も生まれた環境も超えて心を通わせることを実感したよ。何だかカズマのセリフみたいだけどな・・・。ありがとう!」
そうミルコが言った。
「僕も君らにお礼を言うよ。ありがとう。」
私は素直に彼らに頭を下げた。
彼らには、理解しがたいお礼の作法だと思っていたが、彼らも頭を下げて返礼してくれた。
夕日が少し差し掛かった時、前方に駅のある街の家並みが見え始めた。我々は今まで保っていた等間隔の歩行を、一斉に破ると、我先に町に向かって走り出した。しかも全速力で・・、3人とも大きな声で楽しそうに笑いながら・・・。
数か月後、ミルコはドイツへ帰ることになり、私はリヨンの大学に入学が認められた。ファティはそれからもしばらくアンジェの町でとどまることになった。
<3部>
私はファティとミルコと離れ離れになって3年後、フランスを後にして日本に帰国することになった。パリの安宿から見えたノートルダム寺院が、今でも記憶から消え去ることはない。
フランス語で書き上げたサルトルの哲学に関する私の論文は、今我が家の本棚の奥の方に眠っている。今考えると大学の教授が私の論文を評価する訳がなかったのである。
「君ね、フランス語で書いたって日本語で書いたってそんなの関係ないんだよ。」
大学院入試の面接に立ち会った教授は、私の熱い論文への思いをこともなげに否定した。
「しかし、確かに原文で読むことで、私はサルトルの発想に近づけたと思うのですが。」
「そう、まあどう考えるかは自分の勝手だけどね・・・。」
彼は、それ以上私と会話することすら面倒なように私の言い訳を突き放した。
数時間後、私は大学時代よく通った近くの食堂で肉じゃがを食べていた。
「やっぱり、日本で食べる肉じゃがの甘辛い味は格別だ。」
そんなことを思いながら、さっきの教授との会話を一つ一つ記憶の中で点検していたのである。
「やっぱり俺はドン・キホーテだ。」
ファティとミルコがラ・マンチャの近くのホテルで私をからかいながらも、私を羨ましがった時の記憶が昨日のことのようによみがえった。
私はこぼれそうな涙を必死でこらえながらも、自分が社会の常識から取り残されても、やっぱり社会とねじれの位置で何かを求め、自分が生きている時間と空間は、何に支配されていて、その時空を介して、この世はどのように出来上がったのか・・。その真の力の源泉を知ってみたいと思いながら、他人から見たら、とんちんかんな努力をしている一人の風変わりな青年でしかないのである。それでもなお、何とかこの現状の社会で折り合いをつけて、一人の社会人としてぎりぎりの生活している現実の自分がいた。「私はいつになったらドン・キホーテでなくなるんだろうか。」と自分を客観的に見つめて、不安で自分の気持ちが押しつぶされることがあったのも事実であった。
(時間が流れた)
時は流れ、時の経過とともに社会での営みに歩調を合わせ、いつの間にかちゃっかりと自分の家族を築き上げ、何となく満足している中年になった私がいた。今の自分の生活環境を振り返ったとき、私は決してドン・キホーテとは違った種類の人間なのだと自覚せずにはいられなかった。
「外国から手紙が届いているわよ。」
階下で、妻の声がした。
「はーい。」
私はそう言ったまま、しばらくさっき手に取った本を読んでいたが、内容がどうも訳が分からなくなったのをきっかけに、階段のところに置かれた手紙を取りに行くために、本をテーブルの上に置いた。手紙はユーゴスラビアに住んでいるミルコからの便りだった。その手紙の前半はミルコがフランス語で書いていて、途中からは彼の妻が英語で書いていた。
「(フランス語で書かれたミルコの内容);カズマ元気でやっているかい。君が結婚して子供ができたこと以前の手紙で知って、とても喜んでいる。お祝いの手紙が遅れたこと、まずごめんなさい。私は今、予期しない事情に振り回されて、君に手紙を書く余裕がなかったんだ。ラ・マンチャで言った通り、私はどうも、自分の生まれた環境からは、逃れそうもないようだ・・。明日、私は自分の家族と祖国のために戦場に行かなくてはならない。ためらいは、欠片もない。ただ、僕の記憶の片隅から消し去れないファティとカズマの思い出が昨日のようによみがえって、懐かしさで押しつぶされそうになったんだよ・・。不思議だね、我々の偶然の出会いは、僕の人生にとって、自分の運命と無関係な平行線のように今も心のどこかでずっと異次元の時間を刻んでいるよ。僕が死んだらプラド美術館で買った絵葉書(「マドリード、10808年5月3日」ゴヤ作)と一緒にこの手紙を送ってくれるように妻に頼んで、明日は戦場に行くことにした。ファティには「巨人」の絵ハガキを送ることにした。彼はあの絵を美術館でじっと見ていたからな。君がよく言っていた「少しでも自分が、本当の自分を自由に選択できる真の生きる空間と時間を勝ち取る」という言葉のように、君は君なりの自分らしさを探してください。結局僕にとっては「クロアチア人であること」を選択するのが一番自由な選択だったのかもしれないがね・・・。」
追伸
「(英語で書かれた妻の内容);昨日夫の死を知らせる知らせが届きました。彼の言いつけ通り、あなたにこの手紙と絵葉書を送ります。」
私は目が涙で一杯になって、手紙の文字がかすんで読めないほどだった。
「僕こそ過去に楽しい時間を共有できてありがとう。わが友 ミルコ!」
誰もいない二階の部屋で、沈んでいく夕日を見ながら、ミルコとファティと私が悪戦苦闘の末、風車のある丘からラ・マンチャの町にたどり着く直前に見た夕日を思い出しながら、私は空に向ってぽつりとつぶやいた。
私は、この手紙の向こうで起きている出来事が、異次元の世界で起きているようにしか思えなかった。そして、ミルコが生きていた世界では、確かに今でも、争いで殺し合っている事実があるんだということを、改めて認識させられたのである。
「ミルコは、やっぱり自分の定められた人生を全部背負って、ユーゴスラビア人の自分として死んじゃったんだな。いや、背負わされて・・。本当に自分の望む人生を自由に選択するなんて、彼には絶対できなかったんだ。彼は「後悔はない」って言ってたけど・・。」
あのころミルコはよく「C’est la vie!(セ・ラ・ビ)」と言ってたけど・・・。
(冒険心は彼方に・・)
ミルコの手紙からさらに時が経ち、私の日常の時間は、相変わらず、たいした変化もなく流れていった。ミルコの死は、私の記憶の深部の方へ追いやられ、時折、懐かしさで、彼と過ごした日々を人生の一コマとして引っ張り出しては、忘れ去られようとする記憶を押しとどめ、自分が生きてきた証を再確認するのであった。
私の家の庭に子犬が迷い込んできた。昔は、私の家の庭によく猫や犬が投げ込まれていたのを思い出す。今は小動物を飼うなんて考えたこともないが、幼いころ「フト」と名付けた犬を飼ったことがある。ある日、ガキ大将の友達が自宅で飼っている「マル」という犬を連れて、私の家にきた。この犬、丸い顔をしているくせにめっぽう強かった。うちのフトはマルに近寄ることもなく、一日犬小屋から出なかったのを覚えている。
「だらしのない奴だ」私はフトの小心さにいささかがっかりして、フトに面と向かって罵声を浴びせたのを覚えている。フトは私の怒りが分かったのか、しばらくの間、始終おとなしく頭を垂れていた。
そんなある夜、私は塾の帰りで、数匹の犬がうなり合っているのを聞いた。暗闇に目を凝らすとフトがその中にいた。あの頃は私の家の周りはネギ畑が広がっていて、野犬がそこら中にうろうろしていたのである。
「フト!」
そう言って、私はフトに声をかけると、周りの犬がうなり声をあげて私の方に向ってきたのである。その時、フトは予想もしない行動にでたのである。野犬の一匹にかみつくと、辺りは犬の争う声で騒然となった。私は怖くて、慌てて家に逃げ込んだのを覚えている。翌朝、フトは粗末な犬小屋で耳を食いちぎられて眠っていた。その時から私はフトにできるだけ優しくしてやろうと決めた。そんなフトも、程なく、近くのネギ畑で農薬を食べて死んでしまった。昔、この辺りでは、飼い犬はよく放し飼いで庭の中で飼われていた。当然、時折家から抜け出して自由気ままに遊ぶのである。それがフトの致命傷になった。
私は、ふとあの頃の愛犬を思い出して、この子犬を助けてやろうと考えた。妻は犬を飼うなど決して賛成するはずがない。そこで私は大きな段ボールに子犬が入れる穴をあけ、中に毛布を敷いてやった。奴がそのねぐらを使わないなら、どこへでも行けばいい・・。そんな軽い気持ちで庭のはずれに段ボールを置いたのである。段ボールの横に灰皿を置き、最初のころはとりあえず牛乳を灰皿に一杯満たすことにした。私としては子犬にしてやれる精一杯のサービス(飼うという意思表示ではない)だった。ところがこの子犬は私のサービスを一つも拒まなかった。段ボールを置いた翌日、裏庭を見てみると、灰皿の牛乳はすっかり飲み干されていた。子犬は、私が来た気配に気づいたのだろうか、小さな段ボールの穴から顔だけ出して、私を見るのである。あまりかわいかったので、私は妻に無断でこの犬にずっとサービスをしてやることに決めた。言っておくが、「飼う」という意味ではないのである。子犬には、いつでも我が家の庭から立ち去る権利があるのである。
程なく、私の予想通りジョッショとナナが、垣根越しにこの子犬をじっと見ているのを見かけるようになる。ある日、仕事から帰宅すると、マルコメ兄ちゃんとジョッショとナナが三人並んで、子犬がボール(以前から庭にころがっていたのを私が子犬の近くに置いてやったのだが。)を一生懸命噛んでいるのをじっと見ていた。その光景がいかにもほほえましかったので、私は3人に向って手を振った。それに気づいたジョッショの兄ちゃんは恥ずかしそうにはにかんで微笑んだ。ナナは私に向って手を振り返してくれた。ジョッショは、気づいているのかいないのか分からないが、私には反応もしないで、じっと子犬を見つめていた。
先日大雨が降った。相変わらず子犬は私の家の庭に居候し、私が置いてやる灰皿の餌(ごはんとみそ汁、他に私の夕食の食べ残しの3品)を完食していた。私は仕事に行くので、この子犬が昼間どんなふうに過ごしているのか、皆目予想がつかない。今のところ近所から苦情が来ていないのをみると、案外この子犬は、出不精なのかもしれない。その日の雨は冬にしてはかなりの大雨になった。翌朝、段ボールの一部が雨水で破損し、毛布がかなり濡れている様子であった。それでも子犬は、我慢強くそんな濡れた毛布の上で横になっていた。私はその姿を見て、この子犬のことを「ガマン」と呼ぶことに決めた。
「しょうがないな。今度の日曜にでも犬小屋作ってやるか・・。」
私はひとり呟くと、子犬の睡眠の邪魔をしないように、こっそり犬の段ボールの住み家を後にした。
その日の夜、ジョッショの父親が私の家を訪ねてきた。私は子犬のことで苦情でも言われるのかとドキドキしながら彼に対応した。
「何か犬のことで不満でも。」
私は申し訳なさそうに彼に尋ねてみた。
「いや、うちの下の子がね、どうしてもお宅の子犬を近くで見たいというもので、厚かましいいお願いすが、思い切って頼みに来た次第なんです。」
ジョッショの父親は小さな声で私の様子を窺がいながら、ぽつぽつ喋っていた。
彼はかなりの子煩悩で、家の隣に引っ越して以来、しばしば家族で出かけるのを見かけるのであった。年齢は小さな子供の父親としては年を食っているように見えた。表情にはどこか人が憎めないタイプの眉が少し八の字で、笑うと非常に愛そうよく見えた。
女房が聞いた話だが、こんな人を油断させる風貌にも関わらず、大会社の優秀エンジニアらしいのである。私はどこから聞いた話だか確かめもせず、「へえ、人は見かけによらないものだな。」などと、妻と会話したのを覚えている。
「そんなことならお安い御用です。なんならいつでも家の門を開けっぱなしにして、いつでも入れるようにしておきますよ。こちらこそ大歓迎です。それに、お子さんの友達のナナちゃんにもそう言っておいてください。大歓迎だって。」
私は父親の申し出に心の底から喜んだ。
「これで、家の女房も文句はあるまい。あの可愛い隣の子供たちが我が家を行き来するのだから。」
そんなことを考えながら私はガマンにサービスを提供することが思わぬ恩恵をもたらしたのを密かにほくそえんでいた。
「ナナちゃん?」
ジョッショの父親は私が最後に言った私の言葉が気になるかのように、頭を少し斜めにして、不思議そうに私を見ていた。
日曜ごとに、私の日曜大工が始まった。私は、手先は器用でないが、犬小屋を作る準備は必要以上に綿密に計画し、材料もそろえた。その苦労の甲斐もあって、面白いほど順調に犬小屋は立ち上がっていった。ナナとマルコメ兄ちゃんは、私が一生懸命金槌で釘を打ち付けている間、ガマンと楽しそうに遊んでいた。ところが、ジョッショはどういう訳か、ガマンよりも私の日曜大工に興味があるらしく、じっと私の側にしゃがみ込んで犬小屋の出来上がりを見ていた。
「犬小屋、出来上がるのが楽しみだね。」
私がニコニコしながら振り返ってジョッショに話しかけると、ジョッショはこくりと頷いて、また黙って、私の作業を見ているのである。
「どうもこの子は喋るのがまだ苦手らしい。」
私は勝手にジョッショの寡黙なのを、そう判断して、彼に話しかけるのを遠慮するようになっていった。それでも時々、ジョッショは私が道具を取ろうとすると、先回りして取りに行き、私の前にすっと差し出すのである。どうも寡黙なのは性格なのかもしれない。私は次第に彼の能力の評価を変える必要があると思うようになってきた。なぜなら、彼をじっと見ていると、年齢の割には頭のいい行動をとるので、時々感心させられたりもするのである。
ジョッショはナナが子犬に遊び疲れて、犬小屋の出来具合を確かめに近寄って来ると、すっと横によってナナがしゃがめるスペースを作るのである。彼の家から、母親の呼び戻す声を聴くと、すっと立ち上がり、ナナにこくりと頭を下げて、別れの挨拶をする。そして、ナナが笑顔を返すまでじっとナナの表情を覗き込み、彼女の笑顔を確認するや、一目散で家の方に向かうのである。
一か月後、やっと犬小屋は完成した。ガマンは想像以上に犬小屋が気に入ったらしく。しばらくの間、彼の日常の行動範囲は犬小屋の周辺でうろうろするのが日課であった。
(戦場)
政府軍はアレッポ近郊まで迫ってきた。フャティの家族もまた市内から戦火の及んでいない郊外へ脱出することを余儀なくされた。小さな廃墟になった民家の2階の一室で、6歳の少女と2歳の弟、それに自動小銃を持ったその父親が、少女の祖父であるファティと共にマットの上に横たわっていた。時折、父親はおびえた目で、外の様子を窺がっている。ファティの妻と少女の母親は、戦火の中この地に来る前に空爆で亡くなっていた。しかし、幼い少女もその弟の男の子も一言も母親のことは尋ねなかった。幼くして彼女らが置かれている状況を把握しているのである。そのことを思うと胸が張り裂けそうになって、ファティは思わず天に向かって十字を切った。
「居るか。」
ドアの向こうで声がした。父親は慌てて自動小銃をドアに向けた。
「俺だ。」
それは、政府軍と戦う仲間のシリア解放戦線の男の声であった。彼は、声が外に漏れないように用心しているようだった。
ファティは慌てて立ち上がり、ドアに向い仲間を確認するとお互いに抱擁した。
「政府軍は市内を制圧したようだ。このままだとこの辺も危なくなる。私は彼らの進行を阻止するために、市内近郊でゲリラ戦を仕掛けるつもりだ。」
「私も行く。」
そう言って少女の父親のアリーが立ち上がった。
「父さん、子供たちを頼みます。」
彼の眼には涙が浮かんでいた。ファティは、そんな息子を固く抱擁し、
「何も心配することはない。私はお前の子供たちを命を掛けて守り抜くから・・。」
ファティはそう言うと、再び息子を固く抱擁した。そして、アリーは、父親のファティに隠し持っていたピストルを手渡すと、二人の子供たちを固く抱きしめて、何も話しかけることなく、戦友のの後を追ってドアを閉めた。その間、子供たちは何も言わなかったが、目に浮かべた涙と固く口を閉じたその表情から、戦争の悲惨さを必死で受け止めようとしている決意を感じ取らせた。
夜になるとファティは、食料を求めて近所で避難する仲間の所をさまよった。今夜も彼らは少ない食料から、ファティとその孫のためにできるだけの食料を提供してくれた。
「神にご加護を・・。」
そう言って、ファティの手に渡してくれる生きる糧を、彼は低く頭を垂れて受け取った。
「私はあなたのご恩を一生忘れない。」
ファティはそう言うと、孫の少女と男の子のまつ非難した民家へ向かうのだった。
子供たちはまだ寝ていなかった。ファティがドアを開けると彼らは一目散にファティの方へ駆け寄ってきて、彼の胸に飛び込むのである。
「何も心配することはない。お前たちの父さんたちが、この場所を必死で守ってくれるからね。ここに 避難している仲間たちはみんな一生懸命助け合っているから・・。心配しないで。いつかまた我が家に帰れる日がきっと来るから。」
そう言いながら、ファティは彼らに笑顔を絶やさなかった。
次の日も空爆は上空の大轟音と共にやってくる。それでも子供たちはその音に慣れっこになったのか、ファティの横たわる傍らで、屈託もなく走り回っていた。ファティはそんな彼らを見守りながら、明日を生き抜く確信も持てないまま、黙ってただ微笑みを絶やさず、彼らの屈託のない行動に目を細めていた。ふと気づいてみると、彼のポケットの中から一枚の絵ハガキが出てきた。それは、フランスで知り合った日本人のカズマからミルコ(フランスで知り合ったもう一人の友人)の死を伝える手紙と共に送られてきたゴヤの「巨人」の絵葉書だった。彼は思わず、手のひらに載せてその絵をじっと見つめていた。
「じいちゃん、それ何なの。」
少女がそんな彼に気づいて彼の傍らに近づいてきた。
「これはじいちゃんの友達のミルコのくれた絵葉書なんだ。」
「いつもじいちゃんが話していたフランスで知り合った友達ね。」
「そう、よく覚えているね。」
「だって、いつもカズマとミルコの話をするとき本当に楽しそうなんだもん。」
「そうか。このミルコもね、私たちの苦しんでいる戦争で死んじゃったんだよ。」
ファティはその時初めて顔を曇らせた。
「カズマはどうしているの。」
少女が尋ねる。
「彼は元気さ・・。じいちゃんはね、この戦争が終わったら、必ずお前たちと一緒にカズマのいる日本に会いに行くつもりなんだ。カズマがね、きっと「戦争大変だったね」って言うと思うから、「でもね、こんな可愛い孫がいるんだよ。」って胸を張って答えてやるつもりだよ。」
そう言って彼はその少女にウインクした。
その時、小さい男の子がファティが手のひらに持っていた絵葉書をファティから奪い取り、嬉しそうに部屋に隣接する外のベランダに出ようとした。
「行っちゃダメ。」
少女の甲高い声が部屋中に響き渡り、その男の子の後を追った。
弟の後を追った少女の手が弟に追いついたとき、フャティと少女と男の子の置かれていた時間と空間は、予期せぬジェット機の爆撃とともに、日常という不可逆的予想可能な連続性が一瞬にして失われたのである。
ファティと少女と男の子の生きる時間は、一瞬で終止符を打ったかのように思えた。シリア軍の空爆は、ファティの命を一瞬で奪い、少女は爆風で吹き飛ばされそうになった弟の衣服を掴んでいた。その光景を近くで見ていた人がいたら、少女の片手だけが弟の命を支え、決して弟を放しそうにないその片腕は、少女の最後の愛するものが生き残ってほしという祈りの象徴のように見えたかもしれない。
そして、少女の祈りは、生きる願いの共感となって、自分自身の生きる願いに転化した。彼女は、時空の亀裂を通って、自身が行ってみたいと希望していた世界へと舞い降りたのである。
(ジョッショとナナの日常からの別れ)
ジョッショの父さんは、マルコメ兄ちゃんとずっと前から約束していた自転車とヘルメットを買ってやった。
「ジョッショには、もう少し大きくなったら兄ちゃんと同じものを買ってやるからな。父さんが約束する。」
父さんはジョッショが泣きをかまさないかと、不安そうにジョッショの顔を見た。
「ジョッショも乗せてやるから。」
ジョッショは兄ちゃんにそう言われると、どうしようもできないのである。なぜなら、彼は兄ちゃんが大好きだから。ジョッショは、最後にはうつ向いたままこくりと頷いた。
兄ちゃんが自転車に乗り、庭をぐるぐる回っている。ジョッショはというと、兄ちゃんのヘルメットを真似て、保育所の黄色い帽子をかぶって、奇声をあげながら追っかけた。すると、今までナナと遊んでいたガマンが、我が家の垣根の隙間を通り抜け、ジョッショの後ろを追っかけ始めた。兄ちゃんとジョッショとガマンは時計の針のように何度も何度も庭を周回した。
「これが、じいちゃんが言っていたカズマという友達の住んでいる世界なんだ。」
ガマンの犬小屋で独り取り残されて、ナナは我が家の垣根越しに隣のジョッショの家の庭を熱心カズマめていた。
「じいちゃん、私もう生かされるエネルギーが切れそうだよ。もうここから立ち去らなくっちゃいけないのだよね・・。」
ナナは、悲しそうに虚空に目をやった。そして、死んだ祖父のファティに話しかけていた。
「私はやっと実感できたような気がするの・・。本当は、カズマやジョッショのいる平和な世界が、人が生きるまともな普通の空間なんだよね。この時間と空間こそ、じいちゃんが思い描いていた生活なんだよね。」
戦火の中で生まれ、戦火のうちに死んでいくナナにとって、ジョッショと同じ空間と時間を共有できたことは、何よりもの感動となって、死んだ後も自分の魂があったとしたら、永遠の感動の刻印になっていつまでも、心の中で抱きしめていたい思い出なのかもしれなかった。
「さようなら、ジョッショ・・。」
ナナは涙を手で拭うと、優しくそう呟いた。
もうすぐ春が来る。そんな予感をうかがわせる澄み切った青空は刻々と夕暮れの夕焼け色で染めていこうとしていた。私は久しぶりに庭の草を除いていた。どういう訳か、今日は隣の子供たちもナナの姿も、一回も目にすることはなかった。それでもガマンは、いつものように快活に庭を走り回っていた。この頃では、あれだけ犬を飼うのを嫌がっていた妻も、ガマンを見かけては、近寄って行って、何か話しかけている。私はさっきから赤く染め始めた空をただポカンと眺めていた。暫くすると突然、隣のジョッショが独りで私の家にやってきて、私背の後ろでじっと立ち止まっているのである。
私は彼に気づいて慌てて振り向いた。
「どうしたの・・。ガマンに会いに来たのかい。」
私は彼に笑顔を見せて優しく尋ねてみた。
ジョッショは何も言わず、すっと一枚の絵ハガキを差し出した。それはミルコがフャティに送ったといっていたゴヤの「巨人」の絵葉書であった。
私はしばらくの間、思考が停止したかのようにただ茫然とその絵ハガキ見つめていた。
「これどうしたの。」
ジョッショから受け取った絵葉書を持つ手は小刻みに震えていた。
「ナナがね・・。おじちゃんに・・、「ナナからさよなら」って・・・。」
「ナナちゃんは今どこにいるの。」
私はこの小さな男に訴えるように必死で聞いていた。
「遠くへ行っちゃった。後は知らない。ナナはもう僕と遊べないんだって・・・。」
そういうとジョッショは、ぽろぽろ涙を流しながら、自分の家の方へ駆けて行った。
私は辺りが真っ暗になるまで、ジョッショと会話した場所に立ち尽くし、ファティとナナの面影を必死で呼び起こそうともがいていた。ただ、ファティとナナの面影は、いつまでも陽炎のようにぼんやりと離れることなく、それでいて実感を伴うことなく私の脳裏に行きかうだけだった。
終わり