A girl under the summer sky
――人間は脆く、弱く、汚い生き物だ。
これはあくまで個人の見解だが、確かに人間という存在は汚いと肯定する。何故なら人間は、己を一番に考えて行動する生き物であるからだ。他者を思いやると言うのは建前で、平気な顔で嘘を吐き、そして周囲を落として自身を上へ立つように操作する。
権力を持てば人間は人が変化し、弱者に対して思いやる心が徐々に失っていく。排除し、軽蔑し、侮蔑し、全てを拒否して、己が肯定出来る何かで壁を作り出す。
だがもし、その壁が破壊され、成す術も無く強者が弱者へと変わった瞬間。その瞬間は弱者にとって、これ以上の無い勝利を得る事が出来るだろう。他者を受け落として来た強者を落とし、弱者が強者となった瞬間にも人間はまた変化する。
繰り返し、繰り返し、また繰り返す。
――だから……。私という汚い人間が必要となる。
◆◆◆
プルルルルル……。
「……んぅ」
生暖かいまどろみの中で、微かに暑いと感じる日差しがカーテンの隙間から顔に刺さる。耳鳴りのような電子音が聞こえているのに気付いた私は、寝惚けた頭のままベッドから降りて欠伸をしながら電子音に近付いた。
プルルルル……ガチャ。
「はい、もしもし」
『……』
無言の電話。普通なら悪戯電話だと思う所だが、私の元に掛かってくる電話というのは数少ない。その中で無言の電話というのは、十中八九「仕事」の話だという事を理解している。
「……御用件は?」
『西地区のボウマンという男を殺せ。報酬はいつもの場所に置いておく』
「……分かったわ」
『……』
ガチャ……。
依頼の電話が来たという事は、今度の対象も汚い人間なのだろう。西地区と言えば最近、政治家が名前を売っているという噂を聞いた事がある。今回の標的がその政治家だとすれば、私の仕事は何も変わる事の無い暗殺だろう。
報酬で生活している身ではあるが、それでも次々と起こる暗殺事件がニュースやラジオで流れるのを確認すれば、こちらとしては気持ちが良い物ではない。こんな事をして意味があるのかと思いつつ、私はベッドの下へと手を伸ばした。
――パチ。
ベッドの裏にあるスイッチを押し、いつも寝ている寝室の壁が回転する。そこには銃やら爆弾やら、様々な武器が保存してある。私はそれを見つめながら、サバイバルナイフを取り出して刃部分を指で軽くなぞった。
キラリと輝く刃部分には、私の顔が少し映っている。
片目まで隠れた白い髪。微かに濁ったエメラルドの瞳。やや幼い顔かもしれないが、これでも昔よりは成長した方だと自負している。
「髪、少し伸びたかな……」
呟いた言葉は虚空へと消え、私は毛先に触れながら目を細める。下着のままとなっている事を思い出した私は白いワンピースに袖を通し、青いスカートを穿いてからタンスの上にある写真立てを見つめた。
そこには、かつての私の家族が写っている。私の腕に抱き着き、こちらに熱を帯びた視線を向ける小さなオッドアイの少女。メイド服に身を包み、幼くも頭の回転が早く、礼儀正しかった少女が居た。
「行って来ます、マリア」
私は壁に備わっていた拳銃を右足にあるホルスターへ装備し、ナイフを太もものナイフホルダーへと差し込む。スカートの下にある為、覗かれなければ見られる事は無いだろう。今回は飛行機を利用する任務ではないから、派手な仕掛けを仕掛ける必要も無い。
そう思いながら私は、別荘とも呼べる見た目の家を後にした。
「……」
太陽の光を浴びた瞬間、自分が溶けてしまうのではないかと錯覚した。それ程に暑い季節となったと思いつつ、私は日傘を差して歩を進める。街外れで暮らしている事もあって、私が今回向かう事になった『西地区』までは数時間費やす事になる。
自動車で移動すれば良いのだが、たまには散歩ついでに運動をしておくとしよう。いや、任務上……これは仕事病なのかもしれない。自動車に乗ったのでは、逃げ場無いし、爆弾を仕掛けられていた場合は避けられない。
それを避ける為でもある以上、私は徒歩を選ぶ事にしたのである。
――夏空の下。
灼熱の炎に焼かれていると錯覚してしまう暑さの中、私は夏空の下で起きた過去の出来事を思い出していた。あれから二年が経っているけれど、日本はどうなっているのだろうか。
平和だろうか。彼女は何をしているのだろうか。学園はどうなっただろうか。色々と調べたい事はあるけれど、あの日に私は彼女を拒絶した。今更出会ったとしても、何を話して良いかなど私は知らない。
いや、違う。私は知らないのだ。拒絶した後に取るかもしれない人間の行動を。
「私……私はどうすれば良いと思う?」
自問自答のように呟いた言葉は、再び虚空に消えて消滅した。生暖かい風に流されてしまい、私の呟きは何も無い場所へと放浪していってしまった。
私はそう妄想しながら目を細め、自分に胸へと手を当てるのであった。自分の内側に居たもう一人の私。その存在は確かに存在していて、そして全てを置いて消えてしまった。『私』を最期に残して。
「……無駄な時間だったわね」
私はそう呟いて、誰も居ない道を進む。今日の空は、清々しい程に気持ちの良い快晴である。