毒子回想録
九
私の中学生時代の話をしましょう。私はとても寡黙な人間でした。そして、とても素直な人間でもありました。両親や先生の話をよく聞きましたし、まじめに勉強もしました。学校の成績もよかったです。この傾向は中学に続く高校や大学、社会人生活にも受け継がれました。
なぜ、まじめで寡黙な人間が誕生したのでしょうか。
それは、私の脳裏に幼い日々の記憶がこびりついていたからでした。小学生のころ、父からお尻をつねられたり、背中を手でたたかれたり、足でけられたりと、頻繁に暴力を受けました。これまでの告白からも明らかなように、父のコミュニケーション能力は、ノミよりも小さいので、うまく言葉で表現できない代わりに、手と足がよく動いたのです。
そんな私を哀れに思ったのか、ある時、母は「お父さんは、小さい時に母を亡くし、貧しい家庭で育ったから、あのようになってしまった」と言い訳のようなことを言っていました。
そして母は母で、そんな父との家庭生活に耐えられなかったのか、よく父を置いて家を出て、私と弟と連れて祖母のいる実家に避難していました。
毒親と毒子の関係は、何世代にもわたって受け継がれていくのでしょうか。残念ながら、父は毒親の遺伝子を次の世代に残してしまいました。ここに私と父との決定的な教育格差が表れています。
つまり、教育されなかった毒親は、安易に毒親の遺伝子を子供に伝える。教育された毒親の子供は、負の連鎖を生み出す毒親の遺伝子を断つために、安易に遺伝子を次世代に残さない。例えば、結婚しない。または結婚しても、子供が作らないなど、手段はいくらでもあります。
私は中学時代、ソフトテニス部に入って、仲間とともにソフトテニスに打ち込みました。今でもソフトテニスは良い思い出です。しかし、この時期、さらには小学生時代も含めて家庭生活での思い出はほぼ皆無です。父の「勉強しろ」の言葉以外に、頭に思い浮かぶものはありません。