毒親の先には何があるだろう
六
父の話ばかりをしてきましたが、ここで母の話に移したいと思います。
母は、父と同じく友人らしい友人が一人もいない人間です。いや、正確に言えば、月に何度が訪れる宗教施設に母のよき理解者がいるようです。
オオカミはオオカミと群れる。孤独な人たちにも類友の法則が働くのでしょうか。
遠い昔、もう少し正確に言いますと、私の小学生の頃の話です。今ではほとんど覚えていないのですが、小学生の時に、私と弟は母に某宗教施設に連れていかれて、その宗教団体の信者にさせられました。母は非常にもろい人間であり、他人の言うことを簡単に信じます。小学生の時に、家にやってきたある女性がその宗教施設の信者であり(その宗教団体の幹部だったのでしょうか)、母はその女性信者に説き伏せられて信者となりました。そして、なぜか私たち兄弟も信者にさせられました。
この信仰問題の後日談として面白いのは、その母を勧誘した女性信者はとっくに信仰を捨て去り、宗教施設を離れましたが、母はその宗教施設に残ったところです。
母の浄礼なるまじないを聞くと
「アマテラスオオミカミ・・・」云々と言っていますので、おそらく神道の一派と思われます。母は毎日一回、その浄礼なるまじないを家にある仏壇に向かってします。この信仰生活を三十年近く続けています。もはや立派な宗教家です。
先日、母にこんな質問をしました。
「死んだら、墓はどうする?」
「焼いて灰にして、遺灰を土葬してちょうだい」
「海に散骨したらどう?」
「いや、土葬にしてちょうだい」
「なんで?」
「遺灰を土に返すから」
「海に遺灰を撒いても、自然に帰ると思うけどな」
「あかん、土葬にして。海に遺灰を撒いたら、あんたを悪霊になって祟ってやる」
母に理屈などというものはないのです。母にとって、宗教施設に鎮座する教祖から学んだ知識や情報が全ての真理となります。
毒親の生活環境と思想。少しずつではありますが、毒親とは一体何なのか見えてきました。ちなみに、父はその宗教とは全く無関係であり、基本的には家でウンコとパソコンばかりやっています。
もちろん、私と弟も幼い時に信者となったとはいえ、その宗教とは無縁に近いぐらい疎遠です。私に至っては、母を反面教師として無神論者の境地に至りました。母は来たる来世を天国だと信じますが、私は現世が天国です。来世はありません。だから、今を精一杯楽しみます。
というわけで、母が悪霊になり私を祟ることはないと確信していますので、母の遺灰を思う存分、海に散骨しようと企んでいます。