毒子のサバイバル術
十九
やがて毒親は息絶えます。必ず死にます。そして毒子は生き残ります。毒親に育てられた毒子たちは、社会の中でサバイバルしなければいけません。
私のこれまでの経験を踏まえて、毒親に虐げられてきた毒子が生き残るための処方術を述べていきます。
・自分の勝ちパターン(及び負けパターン)をいち早く見つけよう。
私の父は、驚異的なほどに勉強しない人でした。父は約半世紀前に会社で働き始めた時から、おそらく、勉強したことがありません。おそらく、というのは、私は学校で勉強しており、父が働いているところを見たことがないからです(会社の勤務時間中に勉強していた可能性を排除できない)。しかし、父が勉強しなかった間接的な証拠として、父が家で本を読んでいるところを今までに一度も見たことがありません。実際に父の本は本棚に一冊もありません。そして間違いなく、父の頭にある知識や情報などの思考の源泉は、会社の辞めたあの日からピタッと止まっています。
私が子供の時に、父からは「勉強しろ、勉強しろ」と散々言われ続けました。今思えば、滑稽な話です。父親たるもの、「背中で語る」のがちょうどよいのです。しかし、父は私の前で勉強してみせたことは一度もありませんでした。
毒親問題の悲劇は、子供が親を選べないことに尽きます。しばしば、毒親は子供をコントロールしたがりますが、それは一種の洗脳です。子供にとって、家庭内における親の影響力は絶大です。本来なら、ずっと毒され続けるという悲劇を誰かが阻止しなければいけません。
私の父のように、二十年ほど前の知識や情報、そしてその古い世界観でもって、現在の文明社会や現象を見るというのは、どういった気持ちがするのでしょうか。私がそれを想像するだけで、一種の戦慄と慄き、そして絶望を感じます。
私は毒親の父を反面教師としてきましたので、非常に勉強する人間になりました。勉強好きです。学ぶ意義も悟りました。サラリーマンとして働きながら、ビジネススクールで学びました。今後は働きながら、博士号の取得も目指します。
また、これまでにスキマ時間などを活用して、あらゆる学問分野の本を大量に読み込んできたこともあり、しっかりと自己分析をするができました。自分への理解が深まりました。
自己分析。毒子にとって、きわめて重要な作業です。いや、貴重な投資です。
つまり、自己分析し、自分への深い理解を得ることで、毒子各々に見合った上手に社会生活を営むための生存戦略を描けるようになります。自分の「勝ちパターン」と「負けパターン」が明確になるのです。
私は、集団内でのコミュニケーションや組織だった行動が嫌いです。というか、集団内では「仕事」以外に、相手に対する関心がないので、相手との会話は弾むことがありません。しかし、味方によっては長所でもあります。
この私の特性を「負けパターン」から「勝ちパターン」に変換するために、仕事の主戦場を日本から途上国へ、また仕事の同僚や仲間を日本人から英語でコミュニケーションする必要がある外国人にシフトしました。
英語というものは興味深く、英語で外国人とコミュニケーションをとる場合、日本人のような悠長な会話がなく、客観的な事実や数字をベースにした会話が中心になります。日本人と話す時にように、本題に入る前のクソ話(世間話)はないので、外国人と気持ちよく対等に会話できます。
また、小さい時から貧しい家庭で毒親に毒されて育ってきた私には、いわゆる「物欲」がほとんどなりません。家にテレビや冷蔵庫がありませんし、自動車も所有しておらず、移動は主として徒歩です。悟りの境地に達した仏教の如来のごとき私の物欲の無さは、長期間、途上国で活動するうえで非常に役立ちました。日本で純粋培養されて普通にリッチな日本人にとって、途上国での生活は耐え難いものがあります。不便さを楽しむことができません。冷蔵庫がなければ不便だと嘆き、洗濯機がなければこれまた不便だと嘆きます。途上国で起きている全ての現象(不便さ)を、日本と比較して「減点対象」とするのです。
物欲のない私は、途上国での不便な生活を自分の「勝ちパターン」へと昇華させることができました。つまり、冷蔵庫がなければ、生温かいミネラルウォーターをおいしく飲み干し、洗濯機がなければ、時間をかけて手で洗濯物を洗うのを楽しめばよいのです。
ちなみに、生物の三大欲求の一つである食欲もほとんどないので、途上国の食糧不足で飢えても辛くありません。一日中、腹が減らない。私は、食糧不足に直面している途上国に適した体質をもっています。