毒子回想録
十八
軽いノリで長年勤めてきた会社を辞めて、フィリピンで海外ボランティアを始めました。フィリピンの山岳少数民族の文化継承活動です。フィリピンでの二年間超のボランティアを終えると、今度はネパールで国際NGOのプロジェクトに従事し、ネパール大震災の震災復興支援を行いました。同様に国際NGOのプロジェクトとして、アフリカのマラウイに駐在し、アフリカ南部で発生したサイクロンの被災者への食糧緊急援助を実施し、ウガンダではウガンダ国内に流入している南スーダン難民への社会心理ケアを実施しました。新型コロナウィルスの蔓延が収束しましたら、今度はラオスで私たちのNPO法人が実施しているICT(情報化)推進事業を視察します。
私は非常に長い思索の果てに(何千冊もの本も読みました)、毒親をポイ捨てし、結婚及び子育てからの戦略的撤退、さらには海外でのプロジェクトベースの働き方(≒生き方)へのシフトを実施しました。現在、毒親問題は、私から完全に切り離しており、私は自分の仕事や学びに集中することができます。
軽いノリでいきなり海外での仕事ができるのは、「英語」というコミュニケーション手段が、実は毒親に育てられて、一般的に社会適応能力やコミュニケーション能力が低いとされる多くの毒子と非常に相性が良いからです。日本人にとっての英語とは、第一義的には、やはりコミュニケーションであり、流暢に英語を話せないでも、英語で外国人と的確に意思疎通し、こちらの意図をしっかりと相手に伝えて、実際に相手に動いてもらう必要があります。これを逆手に取れば、英語で意思疎通さえできればよく、日本人の間でよく見受けられる余計で悠長な会話がありません。また、極端な話をすれば、事業計画書に記載される目標値や活動の実績値などの「数字」のみで会話が成り立つのが、特にビジネスの場における外国人とのコミュニケーション、というものです。
独身を愛する私は、世間の人たちと常に一定の距離を保っています。そして、その適度な社会との距離感は英語によって保障されているのです。私にとって、英語は安全保障上、きわめて重要なツールの一つです。
毒親に育てられた毒子のサバイバル術を考えると、毒子はかえって海外で孤立奮戦する方がよい。これが私の経験則です。
なお、最近、イギリスやインドなどで反出生主義が台頭してきました。毒親問題(及び毒子問題)と反出生主義の関係性については、今後、研究すべき重要テーマの一つです。