毒子回想録
十七
ビジネススクールを卒業し、これまでビジネススクールの授業時間に充ててきた土日が完全なフリーになりました。
私は毒親に育てられた人間の中では、異端児の部類に入るかもしれません。つまり、不幸な家庭環境で育ったものの、後天的に家庭教育以外のところで徹底的に教育されて育ったため、家庭教育以外の教育による果実の一つとして、社会に対する奉仕精神が人一倍強くなりました。毒親問題を語るとき、毒子が社会や生まれ育った家庭環境を恨んだり、罵ったり、後悔したりすることは枚挙にいとまがありません。私のように、毒親を乗り越えて、毒子が超然として社会貢献に挑戦するのは、まだまだ少数です。
大企業に勤める多くの人たちは、休日に各々の余暇を楽しみます。ある人は仲間と一緒にゴルフをやり、ある人は仲間と一緒に居酒屋で飲み明かす。私は大企業に勤める傍ら、土日にNPO法人で地域貢献活動を始めました。
NPO法人では、不登校や引きこもり、ニートなどの社会復帰を支援しています。学校や会社からはじき出された人たちの中には、発達障害やアスペルガーなどを発症している者も少なくありません。これまでに支援してきた人の中には、幼い時に母親が首つり自殺した者もいました。きっと、彼らの中には、毒親に毒されて不登校や引きこもり、ニートになってしまった人もいます。
同じような境遇にある人たちと手を携えて、当事者として支援する。私と同じ世代の若者は、「失われた平成」の社会不安と不景気のど真ん中で青春を謳歌してきました。バブルは遠い昔の話です。でも、失われた平成の中で、社会や経済に疲弊しながらも、他者に共感できる、優しくてたくましい世代が生まれてきたことは、先進国にも関わらず、今や色んな意味で、世界の先進諸国から十週遅れの醜態を呈している絶望の国、日本にとって、最後の希望になるかもしれません。
ますます際立ってきた父と私との孤独の違い。それは一言でいうと、内なる絶望的な孤独に向かうのか(社会から完全に孤立するのか)、それとも外の大きな世界で孤独を満喫するのか(社会包摂の中で孤独を思いっきり楽しむのか)の違いです。