毒子回想録
十四
高校生のころの話です。
普通高校に進学した私は、現役での難関大学受験合格を目指して、受験勉強のために予備校に通い始めました。
高校生になった私は、どんどんと痩せ衰えていきました。最後には、骨と皮だけになりました。その頃の私は、精神的にもおかしくなっていました。中学生の時にソフトテニスをやっており、体も大きく健康そのものでしたが、これまでずっとため込んできた家庭崩壊の負のエネルギーが爆発したのか、精神に異常をきたしました。と同時に、激やせしました。
人間というのは滑稽なもので、他人への関心がほとんどなく、たとえ他人に関心があるとしても、その人の一面しか見ていないのに、その人の全体像を勝手に想像してしまいます。
私は、寡黙で非常にまじめな高校生でした。担任の先生やクラスメートたちは、そんな私を「がり勉の優等生」と見間違えていました。おかしなことに、あるクラスメートは私に尊敬の念まで抱いていたのです。
高校生時代の家族との思い出は、一つしか残っていません。それは、私と母と担任の先生との学校での三者面談です。学校での成績が抜群に良く、現役で難関大学受験合格を目指していた私をよく知る担任の先生は、あろうことか、「毎日まじめに勉強して成績もよいです。きっと、お母様の家庭教育が行き届いているからでしょうね」とほざいていました。その担任の先生の発言に、母はたれ笑いしていましたが、心の奥底でどのように感じたのか、今となっては知る由もありません。
高校生になって、私は本格的に孤独を愛するようになりました。今でもそうですが、私は勉強が好きです。働きながら、博士号の取得も本気で考えています。学びというものは、自分と徹底的に向き合う行為であり、孤独を愛する私と相性がよいのです。
孤独を愛する私は、一人でいる時間を非常に大切にしました。一人でいると、心が和みました。学校での昼食も努めて一人で食べました。一人で学校の運動場を眺めながら、昼ご飯を食べた記憶がよみがえります。
私はいわゆる厭世家、とは違います。傍から見れば、そのように見えるかもしれません。
学校での成績が抜群によかった私は、学校から指定校推薦され、難関私立大学に合格しました。現役予備校で受験勉強を頑張っていましたが、結果的には、センター試験などのペーパーテストを受けることなく、大学への入学が決まりました。
孤独を愛する。友達はいない。いや、要らない。感情が表に出ない。内省を重んじる。その結果、きわめて知的で理性的な人間に育った。しかし、私は厭世家とは違う。家庭崩壊の副作用として、また毒親問題の必然の結果として、私のような人間が大量生産されることは、社会全体を見渡したときに便益があるのかどうか、現時点の私の見識では判断できません。