毒子回想録
十三
中学生のころの話です。
私の担任の先生は、社会科の先生でした。社会科の授業中にその先生から「戦争は政治の延長線上にある」と教わったことが、なぜか今でも鮮明に覚えています。目を閉じると、その当時の授業風景が目の前によみがえります。不思議です。それはあたかも「毒子は毒親の延長線上にある」と言わんばかりに。
ある時、先生は、学校の成績が優秀だった私に、工業高等専門学校に入学するように勧めました。先生は純粋に私の学力や学習態度、将来性などを総合的に熟慮して工業高等専門学校への進学を勧めてくれたのだと感謝していますが、そこに毒親甚だしくなった父が「共謀」する形で乗っかり、工業高等専門学校を受験することになりました。
先生の優しさと父の毒々しさが交じり合い、工業高等専門学校を受験しました。結果は、不合格。先生は本当の親のように不合格を悔しがってくれました。先生の優しさを感じました。そして、父と母も不合格を残念がってはくれましたが、特に父に関しては、何か腹黒いものを感じました。
父は、姉(私にとっての伯母)の息子が工業高等専門学校を卒業し、役所で働いていることを羨ましく思っていたのでしょうか。
今でもはっきりと覚えています。工業高等専門学校から「不合格」通知を受け取り、内心ホッとしました。