毒子回想録
十二
小学生のころの話です。
家庭生活に目を向ければ、父から暴力と暴言を受けたこと、そして母からは、父と距離を置くためによく祖母の家に連れていかれたことぐらいしか、記憶に残っていません。
学校生活を思い出すと、小学生の時に仲の良い友達が三人いて、よく一緒に遊んだ記憶が残っています。類友の法則が働いてしまったのか、彼らのうちの一人のO君も、私と同じような家庭環境で育ち(両親から暴力は振るわれていなかったようです)、大学卒業後、新卒でシステム会社に就職したものの、毒子によく見受けられる社会適応能力の低さがあだとなって、会社での仕事がうまくいかず、すぐにうつ病になってしまいました。O君とは十年以上会っていません。うつ病から立ち直っていれば嬉しいのですが、彼の病気の根っこにある毒親・毒子の問題がまだ尾を引いているのではないか、と心配しています。昔、O君は「生きがいはボルタリングだけだ」と言っていました。
もう一人の友人N君は、なかなかの坊ちゃんで金持ちの家の子供でしたが、高校生の時に不良になりました。高校生で不良になり、その後どうなってしまったのか、トレースできていません。ダジャレをよく言う面白い男でした。不良のN君ですが、毒親の問題とは無縁だったと思われます。
そして友人K君は、金玉とチンコがバカでかいのが唯一の取柄の男でしたが、大学を卒業してすぐに結婚しました。また、K君は会社を立ち上げたり、会社を倒産させたりをひたすら繰り返しながら、今日まで生きながらえています。ビジネスや経営のセンスはなく、やはり、金玉とチンコのサイズ以外に取柄はないようです。また、彼は精力絶倫であり、結婚してすぐに子供ができました。K君の子供がまともな大人になることを強く願います。K君の場合、一寸先は闇で、毒親問題がグレーゾーンのように感じられましたが、彼の金玉とチンコのインパクトのせいで、毒親問題の本質を見逃してしまいました。
小学生の仕事は勉強することと遊ぶことなので、まあ、その意味では、私も普通の小学生だったのかも知れません。しかし、それは傍から見れば、の話です。家庭生活が壊滅状態にある小学生の悲劇や悲哀を見通せるだけの神通力を持った学校の先生や地域住民などの第三者は皆無に等しいです。
毒子は悲しい運命を背負っています。