毒子回想録
十一
母の生い立ちは、父と比べれば、比較的はっきりとしています。なぜならば、私が小中学生のころ、母は父と距離を置くために、しばしば私と弟を連れて、祖母のいる実家に帰っていたからです。
私は、母には姉(私にとっての伯母)がおり、その当時、すでに父(私にとっての祖父)は亡くなっていたものの、母(私にとっての祖母)はすこぶる元気で、実家でのんびりと生活していました。祖父が亡くなったのは、私が生まれて間もないころと聞きました。私は幼い時に祖父の膝の上に乗せられたこともあったようです。
母の実家は、とても貧しかったと記憶しています。祖母は、あばら家に住んでいました。
祖母との思い出は、あまり記憶にありませんが、優しい祖母だったように思います。祖母は、私が学校でよい成績をとると、褒めてくれました。
母は父と結婚して、専業主婦になるまでは、製薬会社に勤めていたようです。「製薬会社は従業員への待遇がよいと」と時々言っていたのを思い出します。
ところが、私は父と母がどこで出会い、どういった経緯で結婚したのかを全く知りません。その当時の母はまだ宗教にのめり込んでおらず、真っ当に会社で仕事をしていました。私の記憶の中では、幽霊のように、急にどこからか、父がスーッと現れて、母と結婚してしまったというぐらいにしか、想像力が働きません。
後年、毒親となるこの父と母は、どこでどのようにして出会ってしまったのか。出会ってしまったということ自体が、ある意味、奇跡です。しかし、この奇跡の出会いは、一種の波乱も含んでいました。
小学生のとき、興味本位で母に父とどこでどのようにして出会ったのか、聞いたように記憶しています。しかし、母の返答は曖昧模糊としていたように思い出されます。その時点で、既に結婚というものを後悔していたのではないか、と今になって思うのです。
子供のころの記憶がほとんどない。または、全くない。あるいは、記憶の一部があちこちに飛んでしまったり、記憶と記憶のつながりが入れ替わり変になったりしている。これは、毒子によくある傾向です。