VS王麟学院 3 奇策と異変
そして、第一反駁の時間。
ようやく俺の出番……そして、"奇策"を披露する時だ。
ハッキリ言って、失敗すれば「ただのバカ」で終わる。そんな戦法だ。
だが、恐怖はなかった。協力してくれた小夜と、夕那先輩。そして、この戦法を信じてくれている部の仲間たちがいる。
きっと上手くいくはずだ。最悪、ジャッジや聴衆に認められなくても、恥じることなんてない。
俺は壇上に立つと、夕那先輩と小夜に目を向けた。相変わらず、「がんばれ」と書かれたタオルを持っている。
俺は二人に軽く笑顔を向けると、胸を張って反駁を開始した。
「我々の主張する"和食"にとって重要な要素は、日本家庭へ根付いていることです。
立論で述べた通り『知人に紹介する』という観点の場合、重要なのはただ堅苦しい情報を伝えることではありません。紹介して、一緒にその料理に触れて、そして知人との仲も深められる。そうしたものであるべきです。
その点、ラーメン側の主張は料理の誕生、発展といった社会的なものばかりで、ラーメンが家庭に根付いているとは言えないし、ただ情報を伝えるだけで終わってしまうものです。
俺たちは、カレーがどれだけ日本の家庭に根付いているか、そして、いかにカレーが人を繋げ、仲を深められるものであるか、それを証明する資料を提示します!」
俺は大仰に手を振りかざして、注目を引く。
そして、大きな声で述べた。
「青林中学校1年、鹿野島小夜のブログ記事より引用」
照れた顔をする小夜と、笑いながら周囲に手を振る夕那先輩。
俺は、その内容を読み上げてゆく。
『今日は久しぶりに姉さんが帰ってきたので、家族みんなでカレーを作りました。
どうせ家族みんなでご飯を食べるなら、作るところからみんなで一緒にやりたいと思ったんです。
カレーを選んだのは、やっぱり家族みんな大好きだっていうのと、私が作ったことがある料理がそれくらいしかないからなんですけど(苦笑)
まず始めは材料を買いに行くところから。
さっそく、大変なことがいっぱいありました。
私は甘口のカレーが好きだけど、姉さんはすごく辛口が好きで、どっちにするかで言い合いに。
お父さんとお母さんは間を取って中辛で! って言ったんですけど、これってちょっとズルいと思いませんか?
結局、今日は姉さんが譲ってくれたんですけど、それからも大変。
お肉は何にするかとか、じゃがいもを入れるかどうかでまた言い合いになったりして、すごく買い物に時間がかかっちゃいました。
でも、そうやって何を入れるかとかで、同じ家族でも好みに違いがあって、話が盛り上がるのがカレーのいいところですよね。
それで、お家に帰ってからはさっそくお料理。やっぱりお母さんが大活躍でした。
野菜は先にレンジで温めておくと型崩れが防げるし、料理の時間も減らせるって初めて知りました。
あと、ルーを入れたら火は止めたほうがいいってこと。
どっちも、私が林間学校に行く前に教えてほしかったな、なんて思っちゃいました(笑)。
でも林間学校のときに作った、野菜がボロボロになってルーが溶け切ってないようなカレーも今ではいい思い出かな、なんて思います。
できあがったら、みんなでテーブルを囲んで実食タイム!
姉さんが隠し味って言ってチョコレートを入れた時はどうなるかと思ったけど、びっくりするくらい美味しかったです。
カレーって、やっぱりすごく懐の深い食べ物ですよね。
ときどき、私が切った変な形の野菜が混ざってたのもご愛嬌、なんて(笑)
でも、やっぱり一番大事なのは家族みんなで作って、みんなで食べる、ってことだと思います。
料理は愛情、なんて言いますからね。
いろいろ大変なこともあったけど、今日はすごく楽しくて、幸せな一日でした』
そこで反駁の時間が終わる。なんとか全てを読み上げることができた。
補足や解説、理論の展開をする暇はなかったが、それでも十分だと思った。
会場の反応を見る。
驚いて目を丸くする者もいれば、うん、うんと納得したように頷く者も。
あるいは、こんなものが認められるのか、と動揺を浮かべる者もいる。
期待通りとまでは言わないが、想定通りとは言える。そんな状態だった。
「ま、いいんじゃねえの?」
俺とハイタッチを交わした天王寺が、頬を緩めて言った。
「猿渡先輩が小夜ちゃんのブログ読み上げてるの、ちょっと面白かったです」
真勇が少しニヤつきながら言う。
実際、少し気恥ずかしさはあった。だが、堂々と言わなければ意味がないのだ。
俺の考えた"奇策"とは、つまり……小夜の体験をそのまま伝えることだった。
ルール上、誰でも閲覧できる場所に掲載された情報であれば、引用すること自体は認められている。
とは言え統計的な数字でも、専門家の見解でもない、ただの一個人の体験談。それも、選手の身内。
データとしての信頼性なんて、ゼロに近いのは言うまでもない。
それでも俺がこんな方法を採用したのは、生半可なデータよりも「想い」を伝えることの方が、説得力を持つこともあると思ったからだ。
「第二反駁、頼みましたよ」
「うむ、任せてくれ」
まだ少し残る不安を溶かすような、渚先輩の落ち着いた言葉。
俺たちは確かめるように頷いて、相手の第一反駁を待った。
険しい顔をした麗沙が壇上に立つ。
その顔は危機感や不安よりも、どこか苛立ちのような感情を秘めているように見えた。
それは、俺の"奇策"に対するものだろうか。それとも何か、別の理由から来るものだろうか。
今回の彼女は、どのような反駁を行うだろうか。
そもそも資料の有効性が低いことは承知済みだ。そこを普通に突かれることは当然想定しているが、もしも俺たちの想像もつかなかったような指摘を受けたら……。
あれこれ考える俺には目もくれず、麗沙は反駁を開始した。
「カレー側の主張には、大きな問題点があります。
まず確認していただきたいのは、厚生労働省の国民生活基礎調査、世帯の構造と累計です。
平成元年の時点では単独世帯が20%、夫婦のみの世帯が16%でしたが、これらは年々増加し、平成28年では単独世帯26.9%、夫婦のみの世帯が23.7%となっています。
これらを合計すると50.6%となり、つまり現代日本における過半数の世帯が、夫婦と子供による家族・家庭のモデルに該当しなくなっているのです。
カレー側は、家庭に根付き、家庭において楽しく暖かな時間を過ごせるから、カレーは日本人に親しまれ、和食と呼ぶに足ると主張しました。
この『家庭』とは、一体どこにあるのでしょうか。楽しく暖かな時間を過ごせる場所は、どこにあるのでしょうか?
国民の大半が該当しない『家庭』をモデルとし、それを前提に組み立てた楽しさ、暖かさに、和食と呼ぶだけの説得力が、どれだけあると言えるでしょうか!?
日本における家庭とは、両親と子供に、祖父母や親戚などを加えた多人数で過ごすものである。……そんな考え方は、時代に取り残された、まったく無意味なものです!
現代は、多人数の家族で過ごすのが当たり前の時代ではありません。家族で暖かな食卓を囲むのが当たり前の時代ではありません。
たとえ子供のいる家庭だって……親に相手にされず、一人で黙って食事をしてばかりの時を過ごしてきた子供だって、存在するのです。
誰もが一概に、暖かな家庭で過ごしていることを前提に組み立てられた理論に価値はありません。
ありもしない家庭に根付いているという妄言が、理論として成立しているはずもありません!」
異様な光景だった。
プライベートはともかく……試合の時の麗沙と言えば、冷静で怜悧な思考から、ただ当たり前のように俺たちの論を一つ残らず消す。そんな相手だった。
だが今の彼女は――感情をむき出しにして、原稿は読まず手で握りしめてクシャクシャにし、聴衆に向かって吼えるように叫んでいた。
刹那、麗沙は文字通り我に返ったようにはっとした顔をして、急いで続けた。
「――ゆえに、私たちの……私たちは、農林水産省の提示する伝統的食文化という観点から和食を定義しており、これは揺るぎないものです。
よって、この定義からラーメンの方が和食として適切とする私たちの主張の方が、誰もが同意できるものとなっているはずです。
和食として……海外の知人に和食として紹介するのに適切な料理は、ラーメンです」
言い終えると麗沙は糸の切れた人形のように肩を落とし、おぼつかない足取りで席へと戻った。
「麗沙……」
渚先輩は固く目を閉じて、拳を握り締め、小さく呟いた。
それから、俺を見据えて、はっきりと言った。
「……試合に私情は挟めない。私はただ、できる事をやるだけだ」
その目には、どこか悲痛そうな光が宿っていた。
厚生労働省 グラフでみる世帯の状況(https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/20-21-h28.pdf)




