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13年の歯車

 俺の腕を掴んだまま鹿野島先輩は歩き回り、周囲を見回す。

 誰もいない教室を見つけると、そこに俺を連れ込み、詰め寄る。

「小夜と何話してたの。用事って何、これのこと? 部員のことほったらかして、わざわざ小夜とお話?」

「ちょっ、ちょっと、待ってくださいって」

「答えて。なんで小夜と話してたの」

「偶然会ったんですよ。本当に」

「じゃあ用事って何?」

「それは……ちょっと、考えたいことがあって」

「それで小夜と話してたわけ?」

「だから、それは本当に偶然なんですってば」

 俺は必死に答える。

 タイミングが最悪だった。用事があると言って抜け出した後にああして会っていれば、そう思われても仕方がない。

 だが、本当に偶然だったのだからそれ以外は言いようがない。とにかく俺は弁明を続けた。


「じゃあ、ホントに偶然、考え事したくて外に出たら小夜に会ったってこと?」

「そうですってば」

「なら、もうそれでいいけど。だったら小夜と何話してたの?」

「それは……」

 どこまで言っていいのか悩み、少し口ごもる。

「……小夜が、先輩に避けられてるみたいで、何か悪い事したなら謝りたいって」

「それだけ?」

「先輩が学校でどんな感じなのか、聞かれたりしましたけど」

 先輩は、大きくため息をついた。

「もういい」

 小さな声で吐き捨てるように言って、俺に背を向けた。



「もういいって、何ですか」

 そのまま教室を出ていこうとする先輩を、俺は呼び止めていた。

「何が」

「小夜、すごく気にしてましたよ。このまま放っておく気ですか」

「ゆー君には関係ない」

「関係あります!」

 先輩に駆け寄り、出口を塞ぐように立つ。

「どいて!」

 先輩は叫び、俺を睨む。

 大会の日と同じ、強い敵意の込められた眼差しだ。

「いい加減にして! あたしの家族のこととか、勝手に嗅ぎ回らないでよ!」

「いい加減にするのはアンタの方だ!!」

 叫ぶ先輩に、より大きな声で怒鳴り返す。


 俺は半ば自暴自棄になっていた。

 ただ何もできないまま先輩と小夜の関係を見過ごすくらいなら、もう俺が先輩にどう思われようが知ったことじゃない。

 何が何でも、俺は真実を聞き出してやる。こんなことで壊れるような関係なら、勝手にぶっ壊れちまえ。

「何なんですか、一体! こっちは嗅ぎ回ってなんかいない、ただ会ったから話してただけだ! アンタが勝手に隠し事してるだけだろうが! 小夜がどれだけ苦しんでるかも知らずに、勝手に俺と小夜が悪いことにして、アンタはそれで満足なのかよ!?」

 俺が大声で食って掛かると、先輩は急に萎縮した。

 怯えた表情をして、一歩、二歩と俺から離れる。


「……だって、あたしだって……! 何も、何も知らないくせに……っ」

「じゃあ話してください。何も分からないまま、ただ振り回されるのはもうウンザリだ!」

「嫌! 話したくない……!」

 先輩がさらに、俺から離れる。

 俺が距離を詰めようとすると、先輩が叫んだ。

「来ないでよ!」

「行きます」

 先輩は逃げるように、教室の隅へと走る。

「……大声出すよ。……人、呼ぶよ」

「好きにしてください。何人来ようと止まりませんから」

 俺は何歩か、先輩に近付く。

 先輩は震える声で、言った。

「……ゆー君のこと、嫌いになるよ」

 俺の足が止まる。


 どうなっても構わない。そう思ったつもりだったが、改めてそう言われると、わずかに躊躇した。

 けれど、今更黙って帰るわけもない。俺は大股でズカズカと先輩に近寄った。

 先輩が震えて縮こまる。

「……嫌だ。やめてよ……」

「話してください。聞きますから」

 威圧的にならないよう、できるだけ優しく俺は言った。

 先輩は答えない。

 遠くに学園祭の喧騒が聞こえる中、俺と先輩の二人しかいない静かな教室で、ただ時間が過ぎる。

 カチカチと時計の鳴る音が、妙に大きく聞こえた。


「……言う」

 かすれて消えそうなほど小さな声で、先輩が言った。

 確認するように先輩の顔を覗き込む。

「言う、から。ひとつ、約束して」

 先輩が俺に近付く。俺の胸元に顔をうずめ、震える手で制服を強く握った。

「あたしのこと、軽蔑しないで」



 近くの席に座る。少し呼吸を整えると、先輩は話し始めた。

「ゆー君、あたしの誕生日、覚えてる?」

「7月の5日ですよね。水族館に行った日」

「そう。覚えてたんだ」

 ほんの少しだけ明るい調子で言って、窓の外を向く。

「小夜の誕生日は7月3日」

「2日違い、ですね」

「うん。分からない?」

「へ?」

「ほら、やっぱり分かんなかった」

 小さく呆れ笑いをするように息を吐く。

「あたしの誕生日がなくなったの」

「ああ」

 そこで合点がゆく。

 そう言えば小学生の頃、誕生日がクリスマスのやつがいた。

 回りのやつは「カッコいい」なんて持てはやしていたが、当人は不満がっていた。

 他のみんなは誕生日とクリスマスで2回プレゼントを貰えるのに、自分は誕生日とクリスマスを合わせられて、一つしかプレゼントを貰えないからだ。


「あたしと小夜ってさ、結構年離れてるじゃん」

「誕生日が二日前だから……ほとんど5歳差ですよね」

「物心ついたときが、3歳くらいだったかな? まだ小夜がいない頃のこと、よく覚えてるの。無敵だったよ。あたしは」

「無敵、ですか」

「欲しいものは何でも買ってもらえたし、お父さんもお母さんも、あたしの言う事なら何でも聞いてくれたの。全部あたしのものだよ。最強で、無敵」

 話しながら先輩は俺の腕に手を乗せて、軽くつねって遊び始めた。

「でも、小夜が生まれて、全部終わり。お父さんもお母さんも、小夜の世話にかかりっきり。手のかからなくなったあたしは、もうほったらかし。いっつも同じこと言われるの。分かる?」

「いえ……」

「お姉さんなんだから我慢しなさい、しっかりしなさいって。それで全部終わり。何でもあたしは小夜のオマケ。小夜の誕生日に、小夜の次にケーキ選んで、小夜よりちっちゃいプレゼントもらうの。5日になって、あたしの誕生日だって言っても、もう祝ったでしょって言われるの」


 一人っ子の俺には分からない。先輩がそう言った意味が分かった。

 だが、その疎外感は俺にも少しくらいは分かる気がした。

「だから、もう全部忘れることにしたの。あたしに家族なんかいなくて、周りにいるのは、一緒に住んでるだけの知らない人なんだって。知らない人と住んでても楽しくないから、さっさと家から出たかったの。東龍に入って、寮生活になれた時は最高だったよ。これでもう家のことなんか忘れて、自由になれるんだって」

 先輩が俺の腕をつねっていた手を離し、今度は強く握る。

「……なのに、全然うまくいかなかった。親は中途半端に『ちゃんとご飯食べろ』とか連絡入れてくるし、小夜はあたしが突き放しても姉さん姉さんってひっついて来るし、それでも頑張って家族のこと忘れようとしてたのに、しつこくほじくり返そうとしてくる後輩も出てきたし」

「すいません」

「いいよ。ゆー君が悪いんじゃないもん」

 先輩は弱々しく笑った。


「……悪いのは全部あたしだよ。お父さんもお母さんも小夜も、誰も悪くない。でもさ、じゃあ、あたしはどうすればいいの? ねえ、教えてよ」

 俺の腕にすがり付くようにして、か細い声で言う。

「一つ、聞いてもいいですか?」

 先輩が俺の顔を見上げる。少し涙が浮かんでいた。

「ただ家族のこと忘れたいだけなら、完璧に縁切ることもできたはずです。小夜だって、二度と連絡してくるなって言えば聞いたでしょう。どうしてそうしなかったんですか?」

「だって、それは……」

「本当は縁を切って忘れたかったんじゃなくて、分かってもらいたかった。自分の思ってること全部聞いてもらって……自分が中心じゃなくても、小夜のオマケにされないくらいには構ってほしかった。そうだったんじゃないですか?」

「……ん」

 先輩は、わずかに首を縦に振った。

「なら、全部話しましょうよ。今からでも遅くないはずですから」

「……本当に?」

「俺だって、やり直せました」

 俺がそう言うと、先輩の口元がかすかに緩んだ。


「わかった」

 先輩がスマホを取り出す。

 俺は席を外そうとしたが、先輩に服の裾を掴まれた。

「ここに居て」

「いいんですか?」

「やっぱり、怖いもん」

 座り直した俺の手に、先輩が手を重ねる。

 先輩はチャットアプリを開き、母親のアカウントに発信する。

 程なくして、通話が始まった。


「あっ、もしもし。うん、あたし。ごめんね、急に。……うん。ううん、大丈夫。学園祭でね、今は自由時間。それで、ちょっと……うん、小夜が来ててさ。……あのさ、今ちょっと、時間いい?」

 電話口から先輩の母親の声が聞こえる。落ち着いた声だ。

「ううん、学校でとかじゃなくて。あたしの……昔からの話。ずっと、言ってなかったこと」

 母親が訝しげな声を出す。先輩が俺の手を握った。


 先輩が一つ一つ、子供の頃の出来事、自分の思っていたことを話してゆく。

 妹が生まれてから、突然相手にされなくなった不満。

 自分の居場所がなくなってゆくことへの恐怖。

 不満を表立って口にすることへの不安。

 全てを諦めることもできず、中途半端に距離を置いたままズルズルと過ごしてしまったことへの悲嘆。

 それから、本当の自分の想い。


 一つ語るごとに先輩の声に熱が増し、同時に震え、弱々しくもなる。

 怒って、謝って、涙を流して、隠し続けてきた思いを吐き出す。

 一つ一つ聞く母親の声にも、涙が混じってくる。


「……ううん、違うの。お母さんが悪いんじゃないよ。あたしが、っ……ずっとバカでさ。最初から、そう、言えばよかったのに……っ。ずっと、勝手に我慢して……うん。本当に、ごめんなさい……」


 全てを話し終わると、「また後で」と言って先輩は通話を終えた。

 スマホの画面をしばらく見つめて、ぼそりと言う。

「42分16秒」

 泣いて真っ赤になった目で、俺を見る。

「全部終わっちゃった。この時間で全部解決。13年だよ。ずっと我慢してたのに。42分で終わっちゃった」

 それから心底嬉しそうな笑顔を見せると、俺の胸に顔を埋めて、また泣き出す。

「……ほんと、何やってたんだろう。あたし……っ。ずっと勝手に我慢して、みんなに、迷惑かけて……ごめんね、ゆー君……っ」

 俺は答える代わりに、先輩の背中を優しく撫でた。もらい泣きしそうになるのを、こっそりと堪えながら。



 ひとしきり泣いて、先輩が顔を上げる。涙でグシャグシャになった顔を拭いて、明るく言った。

「いやー、泣いた泣いた。もう10年分くらい泣いた気がするよー……って、13年分かな、あはははは。……あー、でもゆー君に恥ずかしい姿とかいっぱい見られちゃったなー。もうお嫁に行けないよー」

 冗談めかした先輩の言葉に、俺は笑って返す。

 先輩もしばらく笑っていたが、不意に俺に抱きついてくる。

「ねえ、ゆー君。あたしのこと……嫌いになった?」

「まさか」

「あはは、そっか。じゃあさ、あと一個だけお願い」

 そう言うと、先輩は何度か大きく深呼吸をした。


「あのさ……あたしと、付き合ってよ」

「……え?」

「あたし、ゆー君のことが好き」

 先輩は真剣な眼差しで、まっすぐに俺を見ていた。

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