弱者の唄
さすがに真勇も少しは疲れたのか、休憩を取ることにする。
「あ、先輩……あれ、奢ってくれませんか?」
「へ?」
彼女が指したのは、ソフトクリームの店だ。
「……まあ、いいけど」
その発言に疑問を持ちながらも、俺はソフトクリームを二つ買う。
一つを真勇に手渡し、俺たちは近くのベンチに並んで腰かけた。
ようやく、勝手に動かない場所に座れた。それだけで、何か感動を覚えそうになる。
「……いいのか? 俺の方が奢ったりして」
「あ、はい。ちょっと……色々、あって」
真勇はソフトクリームを両手で握ったまま、俺の方を向いた。
「あの、先輩。先輩って……部活を辞めようって思ったこと、ないですか?」
「辞める? なんでだ?」
「あっ、いえ。その、変な意味じゃ、なくて。無いなら、それでいいんですけど」
唐突な質問だ。どう答えるべきか少し悩んだが、答えは決まっていた。
「辞めようと思ったことは無いな。上手くやっていけるのか、不安になったことは多かった……いや、今も不安なんだが。辞めたいとは思ってない」
「そう、ですか」
「真勇はあるのか?」
「少し、思ったことはあります。あっ、でも、今は違って……それに、あの、先輩たちが悪いんじゃなくて……」
慌てて言った後、真勇は少し黙り込む。
「……たまに、思うんです。わたしみたいなのが、ディベート、やってていいのかな、って」
「どういう意味だ?」
「ほら、わたしって……先輩たちと違って、話すために生きてるみたいな人じゃないですから」
「俺も別に話すために生きてるわけじゃないんだが」
「えっ……そう、なんですか?」
本当に意外そうに、彼女は言った。
「でも猿渡先輩って……誰かと言い合いしてるときが、一番楽しそうに見えます。天王寺先輩とか……」
「まあ、あいつは話しやすいからな」
「わたしは話しにくいですか?」
「ぐっ、いや……」
急に俺の目をまっすぐに見据えて鋭く言う真勇に、俺はたじろいだ。
中途半端な言い訳で凌ごうとすれば、より深く追求されるだけだろう。
「……要するに、不用意なこと言ってまた怖がらせるのが嫌なんだよ」
「あっ……」
真勇は表情を曇らせた。
沈黙が訪れる。
こんな時、どう言えばいいんだ。
焦燥感に駆られながら言葉を探す。
一方の真勇は、俺をチラチラと見てはカバンの中を何度も覗き込んでいた。
「先輩」
「……何だ?」
「観覧車、乗りましょう……乗って、くれませんか?」
眉を強張らせ、少し潤んだ目で俺を見ながら、震える声で彼女は言った。
俺は黙って頷き、立ち上がった。
ゆっくりと上るゴンドラの中、向かい側に座った真勇は外の景色を眺めることもなく、カバンの中ばかり見ている。
その様子が気になりつつも俺はどう声をかけていいか分からず、ただ黙ってその様子を見ていた。
そうして、沈黙のうちにゴンドラがほぼ頂点まで来た頃、真勇が口を開いた。
「今日……」
小声で言って、また黙り込んでしまう。
あちこち目線を泳がせてから、再び言った。
「……今日、先輩とここに来たの。渡したいものが、あったからです」
「渡したい?」
「はい」
そう言うと、ぎこちない動作で真勇はカバンの中から細長いものを取り出し、俺に突き出した。
ずしりとした重みのあるそれを受け取り、俺は確認する。
ごつごつした持ち手を握り、黒い革の鞘を外す。鈍い光を放つ銀の刀身があらわになる。
少し古びたサバイバルナイフだ。
全長は20センチを少し超える程度だろうか。
刃物に関する詳しい知識は無いが、公道で持ち歩いていたら間違いなく捕まる代物だろう。
突然こんなものを渡されて俺は困惑した。
「何だ、これ……」
「お守り、です」
真勇はカバンを強く握りしめて、言った。
「ずっと、怖かったんです。自分以外の人が、みんな。話すのも、一緒にいるだけでも……」
それから真勇は大きく息を吸い込み、自分の右膝を握るようにしてみせた。
「だから、お守りだったんです。いつも……膝のところに付けて、怖くなったら、こう……握って考えるんです。他の人なんかいつでも殺せるんだ、わたしは強いんだって……そう、言い聞かせて」
それで、ようやく今までの彼女の行為に合点がいった。
緊張した時、何かを怖がったときにポケットに手を突っ込んでいたのは、ポケットの中に何かを入れていたんじゃない。
その内側に仕込んだ、ナイフを握っていたんだ。
「……弱い自分が、嫌でした。見る人がみんな、わたしを笑ってるみたいに見えて……このままじゃダメだって思うのに、ずっと怖かったんです」
「真勇は弱くない」
考えるより前に、口をついて出ていた。
確かに、彼女を臆病だと思うことは何度もある。
それでも彼女は、他の誰にも負けない強さを持っているのを、俺は見てきたのだ。
真勇は俺に答える代わりに、言葉を続けた。
「誰かの下に見られるのが嫌でした。だから、誰かを下に置けば安心できるはずだって。そう思ったんです。でも……それが続くほど、また嫌になるんです。貸し借りで縛り付けた関係なんて、なんの意味もないって」
「なるほど。さっき俺に奢らせたのは、それを終わらせたいってことか」
「……はい。試すようなことして、ごめんなさい」
「いいよ、そんなの」
真勇は少し、口元を緩めた。
「部のみんながお見舞いに来てくれたとき、思ったんです。みんな、私のこと……対等な仲間として、大事にしてくれてるんだって。だから……」
真勇が俺の目をまっすぐに見据える。
「もう、変な関係は終わりにしましょう。普通の、部の仲間として……それに普通の、と、友達として……あの、よろしくおねがいします、って。そう、言いたくて。だから、それは……先輩が、受け取ってください」
少し顔を赤くしながらたどたどしく言って、ぺこりと頭を下げる。
俺が答えようとすると、真勇が付け加えるように言った。
「お金で縛るとか、ナイフで威圧するとか……そんな方法じゃ、本当の勇気……真の勇気は、生まれないと思いますから」
数秒の沈黙。
「……真勇、ちょっと上手いこと言おうとしただろ」
「えへへへ、やっぱりバレちゃいました」
俺たちは笑った。
真勇は、今までで一番素直に笑っていたように見えた。
「先輩」
「なんだ」
「わたし、もう先輩のこと怖くないです」
「はは、知ってる」
きっと俺も、素直に笑えていただろう。
それから俺たちは、周りの景色を眺めながら他愛もない話をした。
変わった色の建物があるとか、学校はどっちの方角だとか、地球の丸さを感じたとか。
そんな話の一つ一つに、真勇はあどけない笑顔をみせて笑った。
観覧車から下りると俺は、少し汗ばんだ真勇の小さな右手を握った。
特に意識したわけではなく、当たり前のようにそうしていた。
遊園地を出る頃になって、夕日に伸びた影が繋がっているのを見て、少し照れて笑った。




