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想定の範囲内

 翌日、俺たちが試合会場の教室へ向かった時には、鳳南の選手は既に揃っていた。

「よう、調子いいみたいじゃないか」

「ええ、まあ」

 明るい調子で声をかけてきた菅さんに、俺は半端な返事を返した。

「一応こっちも、2試合目は勝ったぜ。相手が弱かっただけとも言うが」

「ああ、西女は噂通りでしたね」

「"アホウなん"に負けてるようじゃあ、あいつらも先が思いやられるな」

 自虐ネタを言って笑うが、急に菅さんは真顔になる。

「だが、そろそろこっちも汚名返上ってやつをしたくてな。今回は勝たせてもらうぜ」

「なら俺も、今回で暴れ猿の名を返上しますよ」

 どうやら前回以上に気合いを入れてきているらしいが、それはこちらも同じことだ。


「……いい加減、まともな試合ができるといいんですけど」

 期待と不安の混ざった様子で、真勇が呟く。

 その言葉に、天王寺が反応した。

「今度は絶対、失敗しねぇよ」

「あっ、いえ。先輩のことじゃなくて。その……相手が、アレでしたから」

「ああ、真勇がそういうつもりで言ったんじゃないのは分かってる。でも、アタシがミスしたのも事実だろ。ケジメは付ける」

「けじめ……?」

 ピンと来ない表情の真勇に、俺は耳打ちする。

「小指を詰めるんだよ。こう、日本刀とかで斬り落としてな」

 瞬間、天王寺の拳が跳ぶ!

「それはヤクザだっ!」

「聞こえてんのかよっ」

 俺は素早く頭を引き、彼女の鉄拳を躱した。

「今日は百倍くらい気合入れるって事だ。てめぇも馬鹿言ってないで試合の準備しろ!」

「へいへい」

 部長と真勇が、くすりと笑う。

 天王寺は振り向くと、後ろの席の観客……鹿野島先輩と、小夜に向けて「見てろよ」と言うように親指を立てた。


 そして、試合が始まる。

 肯定側立論のだるま……大林さんが壇上へ進んだ。

 彼は太い眉を眉間に寄せ、大きく咳ばらいを一つして、立論を開始した。



「我々は、酒類の製造及び販売を禁止すべきと主張する。これは言うまでもなく、酒が身体、および社会に対して害をもたらすからである。資料を提示する。


 徳人大学病院長 石田 2017

【アルコールの危険性は言うに及ばない。大量飲酒による急性アルコール中毒や肝硬変は勿論の事、少量の飲酒でも脳の萎縮等の害が指摘されており、まさに"百害あって一利無し"なのである】引用終了。


 誰しも一度は、街で泥酔者が倒れていたり、嘔吐している様を見たことがあるだろう。判断力の鈍った者が喧嘩などの騒ぎを起こすことも多々ある。

 飲酒の害は飲んだ本人のみならず、周囲の人間にも害を及ぼす。タバコの受動喫煙による害が昨今は危険視されているが、副流煙による害は直ちに健康に影響を起こすものではない。

 対し、酩酊者による暴力などの被害は、即座に甚大な影響を及ぼすもの。酒はタバコなどより、遥かに危険な存在である事は疑いの余地もない。

 飲酒被害の最たるものが、飲酒運転であろう。

 警察庁の発表する所によると、平成28年までの毎年の飲酒死亡事故の件数は、最も少なかった平成27年ですら201件。

 200人以上もの尊き命が、飲酒運転によって失われているのである。これは決して、看過できぬ問題だ。


 なれば飲酒を避ければ良い。誰でもそう思うであろう。だが実際には、望まざる飲酒を強要される者が多数存在している。


 大地新聞 2016

【調査の結果、回答した会社員の半数以上が"イッキ飲み"強要などの「アルハラ」被害に遭ったことがあると回答。「飲みニケーション」に対する風当たりの強まりつつある近年においても、やはり上司の命令には逆らえない社員が多いようだ】引用終了。


 斯様に、現代社会における飲酒強要の問題の根は深く、個人の力による対処は不可能である。

 ともすれば、これを解決する手段は一つ。国家が法の力をもって、酒そのものを禁じる他に無い。

 そもそものところ、これだけの身体的、社会的被害を与える存在が、今まで規制されていなかった事こそ異常である。


 酒を禁じることにより、当然酒による害は全て解決される。

 飲酒運転をはじめ、酒が原因の嘔吐や喧嘩もなくなり、街は安全にして清潔な場となる。

 アルコール依存症の患者が現れることもなくなり、患者の暴力などに悩まされる者もなくなる。

 酒により肉体を蝕まれていた者は、健やかな肉体を手にするであろう。酒への出費がなくなり懐が潤えば、より価値のある物へ出費することもできるであろう。

 酒が無くなれば、これほどの利が得られるのだ。酒とは社会を腐らせる癌であり、まさに百害あって一利なし。

 規制を行うことに反駁すべき余地は、一片たりとも存在せぬと断言できるのである」



 大きな声でゆっくりと立論を読み終えると、彼は得意げな顔で、ふん、と大きく鼻息を吐いた。

 俺は、うん、うんと何度か頷いた。

 ちゃんと立論として成立している。それだけでも、西女や北帝とは雲泥の差だ。

 身体への悪影響や、飲酒運転などの被害。

 単純で、誰でも思いつくような内容だが、それだけに誰でも共感しやすい問題点だ。

 しかし当然、そんな主張への反駁は事前に考えてある。

 俺はこの時点で、半ば勝ちを確信していた。


「先輩、どうしますか?」

「アルコール依存症のあたりは突けそうだと思う。あとは任せるよ」

「わかりました」

 相談してきた真勇に、目に付いた"穴"を伝える。

 おそらく彼女自身も気付いている点だと思ったが、意思疎通は大切だ。

 以前、泉水は「団体戦であることを意識しろ」と言った。

 それはきっと、真勇一人に向けた言葉ではないはずだ。

 真勇が反駁を意識して質疑を行うべきであるように、俺も反駁の方針を彼女に伝え、質疑の方針を固めさせる必要がある。


 質疑の時間に入り、大林さんと真勇が並ぶ。

 真勇の顔を見た彼が顔を引きつらせるのを見て、俺は笑いそうになった。

「えっと、まずアルコール依存症の患者が現れなくなる、って所なんですけど」

「うむ」

「お酒を規制したら、今アルコール依存症の患者は……その、お酒を飲み続けることで禁断症状を抑えてるわけじゃないですか。お酒が無くなったら、その人たちの抑えがきかなくなりませんか?」

「アルコール依存症とは、つまり病である。しかるべき機関にて治療を受ければよい」

 その言葉を待っていたと言うように、真勇は不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ次の質問です。お酒を規制すれば当然、酒屋とか居酒屋は仕事がなくなりますけど、こうした人たちへの影響はどう考えますか?」

 大林さんは眉間にシワを寄せ、むぅ、と唸る。

「時代の変化において多少の犠牲は付き物。居酒屋は純粋な飲食店、酒屋はアルコール以外の飲料の販売など、各自で生存戦略を考えてもらうほかあるまい」

「そうですか、では次に……飲酒事故による死亡者数が200人以上って言いましたけど、これって全体の交通事故の死亡者数に対して、どのくらいの割合なんですか?」

「いや……それは、把握しておらぬ」

「それじゃあ、最後です。飲酒の害として、少量の飲酒でも脳の萎縮が指摘されているって資料があったと思いますけど、具体的にどの程度の飲酒量で、どのくらいの萎縮が起こり、どんな害を引き起こすんですか?」

「資料には、一日に缶ビール1本から2本程度の飲酒でも、海馬の萎縮により認知機能の障害を起こす危険性が3倍以上になると記述されている」

「わかりました、ありがとうございました」

 真勇は爽やかな顔で礼をする。

 大林さんは、ただでさえ険しい顔をさらに険しくしていた。


「後は任せました」

 真勇がそう言うと、俺たちは頷く。

 相手の隙は確かに見えた。


 彼らの立論は、筋そのものは通っている。

 だが、それは地に足の付いていない理想論だ。だから綻びがある。

 俺たちは違う。

 そんな理想論を潰せるだけの『現実的な論』を用意してきた。

 さあ、見せてやれ。そんな思いで俺は、壇上へ向かう天王寺を見送った。

警察庁交通局 平成28年における交通死亡事故について(https://www.npa.go.jp/toukei/koutuu48/H28_setsumeishiryo.pdf)

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