想定外
鹿野島夕那。
確かに、目の前の女子はそう言った。
才色兼備の、完璧な姉。あの先輩が?
いや、待て。もしかしたら同姓同名の別人かもしれない。
「……その姉さんって、三年の、髪の毛二つに結んでる人?」
「あ、はい。そうです」
そんな事はなかった。
控え室に到着すると、その事実を証明するように小夜は鹿野島先輩の元へと向かい、「姉さん!」と元気よく話しかけた。
鹿野島先輩が、ぎょっとした表情をする。
「えへへー、来ちゃった」
「……来なくていいって言ったのに」
「だって姉さんの学校の試合、見たかったんだもん」
「私は出ないってば」
「いいの!」
嬉しそうな妹と対照的に、居心地の悪そうな様子の先輩。
そこに天王寺が楽しそうに割り込む。
「先輩、妹いたんですか」
「ん。小夜。中一」
素っ気ない様子で、先輩が紹介する。
それから小夜は、渋る先輩の代わりに天王寺から次の試合会場を聞き出すと、意気揚々と控え室を出ていった。
「いい妹さんじゃないすか。いるならいるって、言ってくれりゃよかったのに」
「言ってどうするの。会うわけでもないのに」
「今、会ったっすよ」
天王寺にそう言われ、鹿野島先輩はそっぽを向いた。
俺は不意に、先輩と水族館へ行った日のことを思い出す。
先輩は、家族と妙に距離を置こうとしている節がある。今だってそうだ。
「先輩、やっぱり家族と何か、あるんじゃないですか?」
試合の時刻が近付き、会場の教室へと移動する途中、俺は先輩に質問した。
先輩は、答える代わりに俺に聞き返した。
「ゆー君ってさ、一人っ子でしょ?」
「へ? ええ、そうですけど」
「じゃあ、分かんないよ」
「分かるかもしれませんよ」
「どうでもいいよ。どうせ何も無いから」
「先輩」
俺は少しムキになって、強い語調で先輩を呼ぶ。
「ゆー君」
先輩は小声ながらも、威圧的な響きのある声で言った。
「言いたくないって言ってるの、分からない? 勝手にあたしの家庭の事情にまで首突っ込んでこないで」
今までに一度として見たことのない、強い敵意の込められた目で、先輩は俺を睨んだ。
教室に入り、試合の準備を始める。
このまま先輩のことを放っておきたくはなかったが、今は試合に集中しなければと強引に頭を切り替えた。
程なくして、北帝の選手が入ってくる。男女が二人ずつだ。
「あっ……」
そちらを見ていた天王寺が、小さく声を出す。
「何だ?」
「いっ、いや、何でも無ぇ」
俺が質問すると、天王寺はまた挙動不審になって顔を赤くした。
何だ? 相手の選手に、何かあるのか?
俺が北帝の選手を眺めていると、長身の男子と目が合った。
その時、一瞬。彼が俺に向かって、気色の悪い笑みを浮かべたような気がした。
試合の時間に入り、互いの選手が紹介される。
長身の男子は北帝の部長で、渡良瀬裕孝という名前らしい。
他の生徒の名前も紹介されたが、俺は記憶しておく自信がなかった。
「それでは試合を開始します。肯定側立論、始めてください」
ジャッジが試合の始まりを告げる。
だが、天王寺は動かない。
俺は彼女の背を叩いた。
「おい、肯定側立論」
「あ、あ! はい……!」
彼女は驚き、ビクリと体を震わせると、慌てて壇上へ向かった。
本当に大丈夫なのかと不安になる俺の思いをよそに、彼女は立論を開始した。
「こ、肯定側は以下の二点から、動物愛護管理法を廃止――あっヤベっ」
天王寺は狼狽し、固まる。
当たり前だ。丸ごと原稿を間違えている。
気付いた部長が素早く正しい原稿を取り出し、手渡すが、結構な時間を無駄にしてしまった。
「えー否定側は以下の……違う否定側じゃねえ、肯定側、肯定側は以下の二点から動物、じゃなくて、ああ、日本は酒類の製造及び販売を禁止すべきと主張して、します。主張します。昨今、日本では飲酒……喫煙の危険性が強調されるようになりましたが、一方で飲酒による被害は飲酒運転……あ、二次的なものを含めれば飲酒運転や喧嘩など多数の――」
さらに焦りが出たのか、天王寺は大小様々なミスを連発した。
いつもの堂々とした様子は微塵も無く、惑い慌てながらの立論は、全体の半分も読み上げられなかった。
「……すいません」
真っ青な顔で席に戻った天王寺は、震える声で謝罪を口にした。
ディベートにおいて、立論で主張しなかったことを後から付け足すことはできない。
つまり立論が不完全であれば、その後の反駁も大幅に制限されてしまう。
たかが一つのパートのミス、では済まされない大失態だ。
しかし俺たちは、彼女を責めも慰めもしない。
たとえ立論がボロボロになろうとも、勝つことは不可能ではないのだ。
慰めや責任の押し付けを行う暇があれば、今からの勝ち筋を探さなくてはいけない。
程なくして相手の質疑に入るが、大した質問はなかった。
俺たちの中に、わずかに希望が芽生えてくる。
そして相手の立論が始まった時、状況は一変した。
「酒類の製造販売を規制することはできません。日本には酒屋も居酒屋もたくさんあるので、今から規制するのはどう考えても無理です。お酒をなくすことはできません」
北帝の女子選手が、そう読み上げる。だが、これは……。
「……これ、フィアットに引っかかりますよね」
「ああ、そうなるな」
同じく気付いた真勇が、小声で部長に確認する。
ディベートは基本的にプランを実行したと仮定した上で、それが有益であるか否かを論じる。
「プランの実行自体が難しいからダメ」と否定することは、そもそも認められていないのだ。
つまり、この相手の立論は丸っきり成立していないことになる。
「――全員一致で肯定側、東龍学園の勝利とします」
結局、わずかながらも立論が通った俺たちの側が勝利を収めた。
俺は胸をなで下ろす。しかし、前回に続き全く達成感の無い勝利だ。
今一つ明るくない雰囲気を察したか、それとも先輩に言われたのか、試合が終わると小夜は何も言わずに教室を出て行った。
「……本当、すみませんでした」
天王寺が深々と頭を下げた。
「何があったんだよ。お前らしくもない」
「っ、それは……」
俺に対し煮え切らない返事を帰す天王寺に、鹿野島先輩が言った。
「もしかしてさー、渡良瀬って人に告白されたとか?」
「なっ――!?」
瞬間、天王寺の顔が真っ赤になる。
その顔は明らかに「そうだ」と言っていた。
「なん、で……」
「だって、渚ちゃんも口説かれてたしー」
「は?」
恥ずかしさに赤面していた天王寺の顔が、一気に険しくなる。
そこに真勇から追撃が放たれた。
「あの、私も……一目惚れしたから、付き合ってほしいって……」
「はああああっ!?」
天王寺の叫びが、部屋に響いた。
天王寺に、真勇と、部長。
全員が準備時間の間に一人ずつ呼び出され、全く同じ言葉で口説かれていた。
君に一目惚れをした、返事は試合の後に聞かせてくれ……と。
「本当に手当たり次第に告白して当たるのを狙ったか、もしくは……」
「こっちを揺さぶるつもりで、ウソの告白したとか?」
「わざわざ返事のタイミングを試合後に指定したり、試合に出ない夕那だけ無視した所を見ると、そちらが有力だろうな」
部長と鹿野島先輩が、冷静に考察する。
だが当然、それに黙っていないものがいた。
「あンの野郎――ッ!!」
怒りにわなわなと身を震わせ、天王寺は教室の外へ走り出そうとする。
俺は天王寺の腕を掴んで止めた。
「――ッ!!」
彼女は歯噛みし、睨みながら振りほどこうとする。
「お前、何するつもりだ」
「あのクソ野郎ブッ飛ばすんだよ、決まってんだろうが!」
「なら行かせない」
「なんでだよ! アイツの味方する気か!?」
「俺と同じになるな」
天王寺の動きが止まる。俺は手を放した。
部長がなだめるように言う。
「秋華、君の怒りは分かる。だが、騒ぎを起こせば私たちも処分を受ける可能性がある。堪えてくれ」
天王寺は大きくため息をつき、席に座った。
「……腹立つ、マジで。あの野郎もだけど、何なんだよ、アタシ。すっかり騙されてバカみてぇにテンパって、あーアホ臭ぇ。バカだろ」
顔を覆い、体を震わせる。
……こいつ、こんなに純情だったんだな。
それから天王寺は少し拗ねたような様子で、真勇と部長を見た。
「つーか、二人はなんで普通にしてたんすか」
「一目惚れしたと言われるのは、気分が悪くてな。その場で断らせてもらった」
部長が答える。その目には、珍しく不愉快さが浮かんでいた。
続けて、真勇も似ような表情で言った。
「ああいう人、嫌いです。初対面でいきなり呼び出して、勝手なこと言って……」
二人の冷めた反応に、天王寺は大きくため息をつく。
そして顔をバシバシと叩き、立ち上がった。
「あーもう、終わり! 二度とこんな失敗しねぇし……次勝って、全国行きましょう!」
俺たちは頷く。
想定外の事ばかりの大会だが、だったら俺たちが優勝するような想定外があってもいいはずだ。
そんな事を言うのは、少し気取り過ぎだろうか。




