消費税率100%?
「それにしても、部長たちって変わってますよね。俺が喋っても笑わないし」
カップを机に置きながら、俺は部長に言った。
「笑う?」
「いや、何と言うか……『またあいつが理屈臭いこと言ってる』みたいに言われてばっかだったんで」
そこで、鹿野島先輩が吹き出した。
「あはは、渚ちゃんと同じこと言われてるー」
「部長も?」
「うん。だからクラスでもあんまり――」
続けて話そうとする鹿野島先輩を、部長が手で制した。
「そんな事より、だ。天王寺との勝負の論題は、こうなっているぞ」
一枚のメモを差し出す。
そこには、こう書かれていた。
"日本は、消費税率を100%に引き上げるべきである。是か非か"
なるほどポピュラーな論題だ、と思った。
ディベートの論題としては、法や政策に関するものが多いのだ。
死刑制度や捕鯨の是非を問う論題は、部長に渡された教則本でも例として挙がっていた。
消費増税は、ここ最近の日本で度々議論される事であるし、ディベートとしても非常に妥当な論題だろう。
と思ったのだが、何かが引っかかるような気がして、俺はもう一度メモに目を戻した。
そして、そこに書かれていた内容に、目を見開く。
「……これ、ゼロ一個間違えてませんか?」
「いや、100%で間違いない」
「100円の物買ったら、200円になるってことっすよね」
「そうなるな」
平然と答える部長と、またゲームで遊んでいる鹿野島先輩。
鹿野島先輩のスマホから、俺の意志を代弁するかのように「意義あり!!」と聞こえた。
バカげている。
2%や3%の引き上げですらあれこれ言われている消費税を、いきなり100%にするなんて、誰が賛同するんだ。
納得のいかない俺に、トドメを刺すような言葉が部長から放たれる。
「それから、立場は猿渡君が肯定側、天王寺が否定側だ」
あまりに理不尽な状況に、俺は逆に冷静になった。
なるほど、結局はそういう事か。要するにあのスケバンは、何が何でも俺を入部させたくないのだ。
だからこんな無理難題を吹っかけた上で、『正当に』俺を追い出す気なのだろう。
しかし、部長も部長だ。こんな勝負に対して、何の疑問も持たないのか。
元はと言えば自分でスカウトしてきたくせに、その俺が追い出されることに、何の文句も無いのか。
いざとなったら、部長の権限で俺を引き留めるつもりだろうか。
それとも、どうせ自分がジャッジを務めるのだから、議論の内容など無視して俺を勝たせればいいと考えているのだろうか。
それはそれで嫌だ、と思った。インチキで勝っても嬉しくないし、部長がそんな人物だとも思いたくない。
「大丈夫だ。君には確かな、才能がある。きっと勝てると、私は信じている」
「……才能?」
聞き返した俺に、部長はただ頷き、何も言わない。
才能って、何だ。部長は確か、例の暴力事件で俺を知ったような口ぶりだったが。まさか暴力の才能がディベートで活かせるわけもないだろう。
結局この人はただ、無責任な信頼を俺に押し付けているだけなのだろうか。
何もかも、分からないことばかりだ。
「ま、要するに勝ちゃいいんでしょう」
そう言って、俺は部長に目を向ける。諦めと闘争心が半々くらいに混ざった気持ちだった。
あまりに勝ち目の薄い不公平な戦いだが、このまま勝負を放棄するのは、それこそ負けた気がする。
ここで逃げたら、きっと一生俺は負け犬……負け猿のままだ。そうなるくらいなら、戦って堂々と散った方が、まだマシだ。
俺の言葉を聞いた部長は、満足げな顔をして「頑張ってくれ」と告げた。
それから、俺の戦いが始まる事となる。やるべきことは、山のようにあった。
ディベート自体のルールが複雑なので、何度も教則本を読み返して覚える必要があったし、何より『フローシート』の書き方を覚えるには苦労した。
フローシートとは要するに、議論の流れを記録するメモ書きなのだが、俺は授業でもほとんどノートを取ったことがなかったのだ。
思えば、そのせいでズルズルと成績が落ちたのかもしれないが……まあ、今はそんなことはいい。
とにかくディベートにおいて、フローシートは本当に重要だ。これが無いと、議論の流れを把握できなくなったり、忘れたりする。
「身も蓋も無いこと聞きますけど、結局何やれば勝てるんですか?」
「ははは、それはまた本当にズバリだな」
「こういう弁論は有効だとか、こういうのはやめた方がいいとか……」
部長は腕組みをして話す。
「やはり、資料だな。個人の主観や根拠のない話は、いかにもっともらしく言ったところで、あまり有効とは言えない。専門家の知見や、研究機関の提示するデータ。そうしたものがあって初めて、説得力のある主張となる」
「今回の場合なら消費税率の高い国の財政状況とか、過去の日本の消費増税でどんな経済への影響があったか……とかですか?」
「うむ、その通りだ。それから、経済評論家の著書なども参考になるだろう」
俺は、むぅ、と唸る。
「……評論家って、あんまり信用できないイメージあるんですけど」
「ああ、まあ確かに、あまり信用ならない例もあるな。特に政治関係などの場合……つまり、右翼系の研究者はこう書くだろう?『左翼はバカだ』とな。そして同じく、左翼系の研究者は『右翼はバカだ』と書くだろう。だから何でも鵜呑みにするのは良くないな」
「ですよね」
「だが仮にも専門家の知見であれば、一定の証拠能力は認められることが多い。何より、『評論家なんか信用ならない』と根拠なく言ったところで、誰も耳を貸さないだろう」
それはその通りだ、と思った。
もしも、その評論家が信用できないと証明できるような資料でも提示できれば、話は別なのだろうが。
「そうだな……猿渡君、例えば君はこれに、どう反論する?」
部長は机に乗せていたノートパソコンを操作すると、画面を俺に見せた。
映っていたのは「消費増税、反対派は約7割」と書かれた記事だ。
俺は眉間にシワを寄せて、考え込む。
「えーっと、そりゃ増税は嫌かもしれないけど、それだけの利益はあるはず、とか……」
「だが当然、反対している7割は不満を持つだろう。大多数の反発を押し切ってまで増税を行うべきというメリットは何だ?」
俺は黙り込んでしまう。
「……難しいですね。データ自体に間違いが無いとすれば、7割が反対してるって事実は動かしようがないわけですから」
「ああ、その通り。これが明確な数字の強さだ。だからこうして、ハッキリした数字で主張できるものは強いだろうな」
なるほどと俺は頷く。だが、それはつまり……。
「じゃあ結局、俺がメチャクチャ不利って事では?」
「確かに、そうだな。だが最終的にはやはり、ディベートは弁論の勝負だ。たとえ数字を示しても、それで相手の心を掴めなければ意味がない。逆に言えば、自身の主張のメリットを的確に伝えられれば、多少の穴は埋められるさ」
多少で済むレベルじゃないと思うのは、俺の気のせいだろうか。
部長は、ディベートの基礎知識については丁寧に教えてくれたが、資料集めや主張の作成については、手を貸そうとしなかった。
ジャッジという公正な立場を引き受けた以上、そこまで協力はできないとのことだ。この点についてはしっかりしていた。
なんだか突き放されたようで少し不安になったが、これは仕方ないんだろう。
逆に、意外に安心できたこともあった。パートナーの鹿野島先輩だ。
見るからにやる気のなさそうな雰囲気だったが、意外にも彼女は結構、頼りになったのだ。
質問した事にはしっかり答えてくれるし、俺の考えた理論に穴があれば、そこにはしっかりと指摘を入れてくる。
ちゃんとルールも把握していたし、試合の時に彼女が足を引っ張ることは無さそうだと思えた。
……まあ、時々俺をからかって遊んでくるし、ほとんどの時間は遊んでばかりだったが。
そうして、様々な苦労、新たな発見と共に、一週間という期間は瞬く間に過ぎていった。
正直言って、完璧な準備ができたとは思わない。期間も経験も、全く足りないのだ。
だが、期間が短いのは相手だって同じだ。俺はベストを尽くした。きっと勝てる。
確かな自信と、燃える闘魂を胸に、俺は勝負の日を迎えた。




