後輩
「――話術と言うと難解に聞こえるかもしれないが、つまるところは相手への気遣いと相違ない。序論・本論・結論の形式を守ることは、普段の会話においても重要と言えてだな……」
練習試合が終わって、数日。
俺と部長は図書館で資料のコピーを取った帰りに、二人でケーキバイキングの店へ入っていた。
なんでも一人では入りにくいし、鹿野島先輩は辛い物の方が好き、天王寺と真勇はケーキ屋に行くようなガラじゃないとの事で、俺に役が回ってきたらしい。
俺に言わせれば、一人で入るよりも、彼氏でもない男子と一緒に入る方がハードルが高そうに思えるのだが。
これは、多少なりとも好意を持たれていると考えていいのだろうか。
それとも、単に男として見られていないだけだろうか。
練習試合の日に恋愛について考えたばかりなので俺は色々と悩んでいたのだが、部長はそんな俺の気を知ってか知らずか、話術について語っている。
同じ内容を話すとしても、「美味しいリンゴだが傷が付いている」と言われればネガティブに聞こえるが、「傷が付いているが美味しいリンゴだ」と言えばポジティブに聞こえるとか、そんな細かいトークの話だ。
だが俺は話の内容より、長々と話しながらも休まずケーキを口に運び続ける部長の様子が気になって仕方がなかった。
「なあ、猿渡君。一つ聞きたいことがあるのだが」
10個近くケーキを平らげた頃、部長は不意に真顔になって言った。
「君はテニス部の見学に行った時の後輩とは、現在連絡を取り合っていたりしないか?」
「いえ、特には。そもそも同時に見学に行っただけで、元から知り合いだったわけでもないですし」
「ふむ……そうか」
部長は残念そうな顔をした。
「何か気になることが?」
「いや、少しな。君と、その後輩の関係が分かれば、麗沙の考えも何か分かるのではないかと思ったんだが……」
俺の頭に、練習試合の日の麗沙の言葉がよぎる。
全部お前のせいだ。確かに彼女は、そう言った。
けれど、俺にはその意図が分からない。
あの日まで俺は彼女に会った事もないし、恨まれる事をした覚えなどあるはずもない。
なら、どうして――
「……猿渡君、どうかしたのか?」
「いえ、別に」
ひとまず、部長には黙っておくことにした。
彼女について何も分かっていない今、この話をしても部長を混乱させるだけだろう。
「――えーと、麗沙って元々はどんなやつだったんですか?」
「麗沙か? そうだな……最初に会ったときは、ひどく無気力な生徒だと思ったよ」
「無気力?」
「ああ。とにかく上達してトップを獲ろうとするでもない、純粋に部活を楽しもうとするでもない。ただ、何となく入部して、何となく活動している。そんな部員だ。それで、水泳を続ける理由を彼女に聞いたら、こう言ったよ。『昔からやっていたから』とな」
周囲の目を気にしたとか、もしくは親に強制されて入部したのだろうか。
「そんな彼女が気になって、私は彼女の指導に力を入れたんだ。すると少しずつだが彼女は、前向きな姿勢を見せるようになってくれた。元々、才能はあったのだろう。瞬く間に彼女は成長し、このまま行けば大会でも良い成績を残せそうなほどになった」
そう言ったところで部長は目を伏せ、「だが、その可能性を奪ってしまったのも私だ」と付け加えた。
それから小さくため息をつき、窓の外に目をやって、呟く。
「……見たかったな。彼女があの先、活躍する姿を」
部長の話す限り、麗沙は水泳そのものに対しては、さほど執着をしていなかったらしい。
退部した後も部長とは連絡を取っていたと言うし、ディベートを始めたのも部長の影響だろう。
嫌うどころか相当な好意を持っていなければ、そこまではしないはずだ。
だが、そうだとすると、なぜ彼女は……。
店を出て、帰路につく。
俺は少し重くなった雰囲気を変えようと、関係のない話題を振った。
「それにしても、新聞読むのって疲れませんか?部に入るまで、全然読んでませんでしたよ」
「ふふ、確かに最近は、インターネットで大抵の情報は手に入るからな。だが、古い情報について探す場合、新聞は重要なエビデンスになる」
「エビデンス……って、何でしたっけ」
「主張の根拠となる資料だ。ディベートの界隈では、よく使う単語だぞ」
「別に、『資料』って日本語で言えば良さそうですけどね。なんでわざわざ横文字にするんだか」
「ははは、確かにな。ディベートは英語で行うものもあるから、横文字を使う癖がついている人が多いのかもしれない」
「なんか変に意識高い人みたいで苦手なんですよ、そういうの。レジュメ、アジェンダ、コンセンサス、コミットメント……」
口を尖らせながら、俺は単語を並べる。
英語に詳しい人なら、自然と出てくるものなのだろうか。
俺から見れば、わざと面倒な言い回しをしているようにしか見えないんだが。
「ああ、そうそう……君は、『クレーム』とは、どういう意味だと思う?」
「苦情とか文句みたいな意味で使われてますけど、英単語としては違うんでしたっけ」
「英語としての本来の意味は『主張』だ。そして、ディベートの場においてはこの意味でクレームという言葉を使うことがある。『私たちのクレームを確認してください』と言ったりな」
「うわぁ、紛らわしい」
「ディベートを始めたばかりの頃、私も勘違いしたよ。誰が苦情を言ったのか、とな」
苦笑しながら、部長は言った。つられて、俺も少し笑う。
「しかし君は、本当に真面目に部活に打ち込んでくれているな」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
「自らの意志で入部したなら、な。だが君の場合、私が無理矢理連れてきたようなものだろう」
「嫌ならとっくに辞めてますよ。自慢じゃないですけど、気を遣って遠慮するほど出来た人間じゃないので」
「ふふ、そうか。だが、趣味とか……そうした時間は、不足していないか?」
「特に趣味らしい趣味は無いですよ。一緒に遊ぶような友達もいないし、家に帰ったら寝るだけで……ほとんど引きこもりです」
「そうなのか? それにしては随分、話し慣れているように見えたが」
「ああ、まあ……昔は話すの、得意でしたよ。クラスでも『天才ベンゼツ家』なんて呼ばれてました」
「なるほど、小さい頃からの才能、というわけか」
「俺に才能を見出した部長の目に狂いは無かった、って事っすよ」
「ははは、それは光栄だな」
部長が微笑む。暖かくて、優しい笑顔だ。
俺はもっとその笑顔が見たくなって、勢いのままに話す。
「けど、いつからっすかね。気付いたらクラスでも『めんどくさいヤツ』みたいな扱いになって……今じゃ暴れ猿なんて呼ばれてクラスでも針の筵っすよ。まあ、おかげで他の事何も気にせずに部活に打ち込めるんで結果オーライっすかね、はは」
渾身の自虐ネタ。
また笑ってもらえるかと思ったのだが、その意に反して部長の顔から微笑みが消えた。
「……猿渡君。君は本当にそう思うのか?」
「本当にって、何ですか」
「自信の境遇を辛いと思う気持ちは、本当に無いのか?」
俺が言葉に詰まると、部長が言葉を続ける。
「私は、辛かったよ。私が騒ぎを起こしてから……友人や後輩、先生方にも、冷たい目を向けられた。私がディベートを始めたのは、もちろん競技そのものに興味を持った事もあったが……それ以上に、そんな日常から逃避したい思いがあったのだと思う。だから、もしも君が辛さを感じているなら……それは強がらず、正直に話してほしい。思い上がりかもしれないが、私には君の気持ちが分かる。そんな気がするんだ」
部長は、しっかりと俺の目を見据える。
とっさに俺は、潤んだ眼を見られないように顔を背けていた。
「……少しも辛くないって言えば、嘘になります。でも今は平気です。部長たちがいますから。これは強がりじゃなくて、本心」
「そうか」
部長が再び、微笑みを浮かべる。
それから、「ありがとう」と言って、俺の肩に手を置いた。
礼を言わなきゃいけないのは、俺の方だろう。
背後から強い怨嗟を込めた声が聞こえたのは、その時だった。
「そんなに、その男が大事ですか……!」
振り向き、確認した声の主は――麗沙だった。
突然の事に戸惑う俺たちを尻目に、麗沙はそのまま逃げるように去ろうとする。
「……あ、ま、待って―――」
部長がその背に声をかけるも、麗沙は振り向かない。
俺は咄嗟に走り、麗沙の背を追いかけていた。
足音に気付いてか、麗沙は足を速め、走る。
だが、最初から全力で追いかけていた俺を振り切ることはできない。
「待てよ!」
俺は息を切らしながら、逃げる彼女の腕を無我夢中に掴む。
「離せッ!!」
彼女は叫び、俺を振り払おうとする。だが、俺は手を放さない。
「何のつもりだ!」
「こっちの台詞だ! いきなり出てきて、何が言いたいんだ」
「いきなり出てきたのはオマエの方だッ!!」
半狂乱になって、麗沙は俺を突き飛ばした。
「何も知らないくせに……! オマエさえいなければ……オマエが……勝手に、僕の世界に入ってくるな!!」
尻餅をついた俺に涙交じりの声でそう叫び、麗沙は手に持っていた何かを俺に投げつける。
数秒ほど彼女は俺を睨んでいたが、きびすを返してふらふらと立ち去っていった。
流石に今度は追う気にならず、俺は投げつけられたものを確認する。
綺麗にラッピングされた、手のひらに収まるほど小さな紙袋だ。俺は少し悩んでから、袋を開いた。
中には、『キティ』のキーホルダーが入っていた。
来た道を戻ると、部長は同じ場所に立っていた。
不安げな目を向ける部長に、俺は言った。
「やっぱりあいつ……部長のこと嫌ってるわけじゃ、ないと思いますよ」
部長は小さな声で、「そうか」とだけ答えた。
俺は紙袋を部長に渡そうか少し悩んだが、結局そのまま自分の手に握っていた。




