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偽善者

 部長は深呼吸をしてから、話し始めた。


「……中学三年の頃、だ。私は水泳部で、部長をしていた。その頃私は、一人の二年生の指導に力を入れていた」

 部長は過去に思いを馳せるように、遠い目をして語る。

「その子は、麗沙(りさ)といって……けして上手ではなかったが、とてもひたむきで、良い子だった。私は彼女の思いに答えようと、つきっきりで指導をしていた。だが――」

 そこで部長は顔を強張らせる。声の調子が、少し暗くなった。


「それに、他の部員が不満を持ったようでな。初めのうちは、麗沙に対する物言いが少しきつくなる程度だったが……そのうち、私にも見える範囲で、暴言や暴力が目立つようになってきた。私は、それを止めるように部員たちに言ったが、口論になって……激昂した私は、部員たちを殴り倒した」

「……似てますね。どっかのバカと」

 俺は半ば無意識に、自嘲的な言葉を口にしていた。

 それに対し、部長は何も答えない。


「私の行為は学校中で問題にされた。だが、その時……私の母は、全面的に私の味方をした。麗沙に対するいじめ行為の存在を明らかにした上で、普段の私が真面目に部活に打ち込んでいたことも主張し……その結果、私は軽い処分で済まされた。大勢の教師を相手に、四面楚歌の状況でも一歩も引かず、理路整然と私の正当性を主張した母の姿は、本当に頼もしかったよ」

 その言葉に、俺は自分が事件を起こしたときのことを思い出す。

 あの時、俺の親は「当事者が出ると話がこじれる」と、徹底して俺を話し合いの場に出さないようにしていた。

 言い訳をする場も与えられなかったことが、俺には不満だったが……今となっては、確かに俺が話し合いの場に出ていっても、余計に立場を悪くするだけだったと思う。

 俺を縛り付けるようにしていたのも、あれはあれで、俺のことを守ろうとしていたのだろう。


「以前私は、こう言っただろう。『正しいことは、正しい手段で行え。そうしなければ、誰も君の正しさを認めてくれなくなる』と。あれは私が……母に言われた言葉だ。暴力に訴える以外の戦い方もあると、私は母に教わったんだ」

「……暴力以外の戦い方、ですか」

「私がディベートに興味を持ったのは、その時からだ。結局、水泳部は退部してしまったし……空いた時間、母の紹介でディベートの試合を観戦したり、非公式の試合に参加したりもした。そして、高校に入ってからは正式に、部活としてディベートを始めたんだ。もっとも、今年に入るまではメンバーが足りなくて、公式の試合には一度も出られなかったがな」

 そう話すと、部長は少し自虐的に、はは、と笑った。

 俺は、どんな反応をしていいのか分からなかった。


 部長は、再び暗い顔をして言葉を続ける。

「今年の四月だ。顧問の村田先生が、君が起こした事件のことを零してな。私は……君を放っておきたくなかった。そして、できる事なら……暴力以外の戦いを、君にも知ってほしかった。そう思って、私は村田先生に頼み込んだんだ。何とか、君の退学を取り消せないか、と」

 その言葉に、俺はハッとした。

 ボンドがなぜ俺を庇ったのか。部長はなぜ俺を部に誘ったのか。今まで不明瞭だった物事が、一度に明らかになる。


 だが、それと同時に一つ、釈然としない点があった。

「そんなことなら、最初から言ってくれればよかったのに。わざわざ、隠さなくても……」

 部長はしばらく俯いてから、言った。

「一つ、聞かせてほしい。君は、私を独善的だと思うか?」

「は?」

 突然、部長が口にした脈絡のない質問に、俺は戸惑う。

「……すいません、話が見えないんですが」

「っと、そうだな。順を追って、話そう」

 部長はそう言って、考え込む。


 少し手持ち無沙汰になった俺は、「同じ場所にボートを停めっぱなしにしていたら迷惑なのでは」なんてことを不意に思って、少しだけオールを漕いだ。

 程なくして、部長が口を開く。

「私が退部して間もなく、麗沙も水泳部を辞めたよ。私のせいで退部したような身なのに……彼女は私を恨むこともなく、慕ってくれていた。私がディベートに興味を持ってからは、彼女にも、その話をした。それから……彼女も高校、王麟に入学してからは、ディベートを始めたと聞いた。そのときは、本当に嬉しかったよ」


 王麟と言えば、この地域では最も偏差値の高い高校だ。

 そこそこ名門と言われる東龍と比較しても、偏差値、部活の実績共に大きな差がある。

 部長を慕っていながらも同じ東龍を選ばなかったのは、それだけ勉学や部活動を重視したかったのだろうか。

「……だが、その頃からだ。麗沙は私から距離を置こうとすることが増えてきた。私も、彼女に連絡をすることが、少しずつ減っていった。けれど、君を部に加えたとき……久しぶりに連絡をしたんだ。面白い部員が入ったし、今年は麗沙とも、部として戦えると。きっと彼女も喜んでくれると、思った」

 ひと呼吸おいて、部長は続けた。


「彼女から帰ってきたのは、冷たい反応だった。そして、こう言われたよ。相手の気持ちを考えたわけでもなく、ただ自分の都合で手を差し伸べて誰かを救った気になるのは独善的で、偽善者だと」

「それは……おかしいでしょう」

 俺は口を挟んだ。

「なんで、その麗沙って奴がそんな言い方したのか分かりませんけど。部長はそんな……悪い人じゃないですよ」

「しかし、全く的外れな事ではない。結局、私が君を部に誘ったのは、自分と似た境遇の君を放っておきたくなかっただけだ。自己満足と言われれば、その通りだろう」


 俺はため息をついた。

 確かに親しかった相手からそんなことを言われれば、ショックを受けるのも頷けるが……麗沙の言うことに筋が通っているとは到底思えない。

「何でも悪い方向に解釈するの、やめましょうよ。助けたいと思う相手を助けるのが自己満足なら、世の中みんな、偽善者だらけじゃないですか。俺だって助けたくない相手のことなんか、わざわざ助けませんよ」

 部長は何も答えない。

 理解はできても、感情の整理がつかない。そんな様子だ。

「言っときますけどね、俺は独善だろうが自分勝手だろうが、部長に助けられたことに感謝してます。だから、俺を助けたことが間違いだったみたいに言うの、やめてもらえますか」

 少しだけ怒りを込めた声で、俺は言った。実際、ネガティブなことばかり言われることへの苛立ちもあった。


 余計に雰囲気が悪くなるかとも思ったが、その言葉に対し部長は意外にも、「はは」と力の抜けた笑みを浮かべ、小さな声で呟いた。

「本当に、夕那の言った通りだな」

「ん?」

「ああ、いや……何でもない」

 そう言って話を流すと、部長は小さく咳払いをして、俺の目をしっかりと見据えた。


「猿渡君。今回は、私がしっかりしないせいで……いろいろと迷惑をかけてしまった。本当に、すまないと思っている。だが、君さえ良ければ……今後とも、力を貸してほしい」

「言われなくても、そうします」

 俺は右手を差し出した。部長がその手を握り、握手を交わす。

 そして握手した手を、俺はぶんぶんと振り回してみせる。俺と部長は、少し笑った。



 そして俺は……一つの問題に直面した。

 これから、どうすればいいんだ?

 二人で話すためにボートに乗ったのなら、もう用事は終わっている。だが、このまますぐにボートから降りるべきなのか?

 それとも、せっかく乗ったのだから、このまま景色を楽しんでゆくべきなのか?

 だが、それでは本当にデートのような……。

 改めて意識した途端、急に緊張がこみ上げてくる。


 ……俺は何をすればいい? 何を話せばいい!?

 俺は脳細胞を総動員して適切な話題を探す。部長に目を向け……目に入ったのは、シャツの胸にプリントされたキティ。

「あー、えっと……部長ってキティ、好きなんですか?」

「……む?」

 部長は眉をピクリとさせて、それから目を輝かせた。

「……ああ! そうそう、今日はほら……気合を入れて来なくてはと思ってな。これはお気に入りだ。最近はほら、ポムプリとかシナモンの方が人気を取っている事も多いが、私はやはりキティが一番だと思っていてな。まあ、私はこう……大柄だから、こうした可愛らしいものは似合わないと言われそうだと思って……だからな、ほら、こっちだ」

 いつ息継ぎをしているのかも分からないような速度で話しながら、部長はジャケットを指した。

「これは旧ソ連のデッドストック品で、専門のショップで買ったんだ。ちょうどこれが最後の一つでな、いい買い物ができたと……ああ猿渡君、あそこだ、ほら、鴨がいるぞ」

「へ? ああ……」

 部長の指した方を見ると、確かに鴨がいた。

 ずっと前から、そこらじゅうに居たんだけどな。

「一般に仲の良い夫婦のことをおしどり夫婦と呼ぶが、実際のオシドリは一夫多妻制で、すぐに別れてしまうという話は、今では有名だろう。鴨も確か同じだったが、鳥類全体で見ればこうした一夫多妻制は珍しい方らしいな」

 つい数分前までの様子が嘘のように、部長はペラペラと話す。

 もしかして隠し事をしていたのが引っかかって、ずっと俺に遠慮していたのだろうか。

 その後も部長は楽しそうに話し続け、結局日が沈みかける頃まで俺たちは公園で過ごした。


 まったく、大変な日だった。

 しかし、今までのモヤモヤとした思いも、部長との間に存在した壁も、これで無くなったのだと思うと、気分は晴れ晴れとしていた。

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