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最初の敵 鳳南高校

 五月下旬。

 俺が部室に通い始めてから一ヶ月ほどが経過し、そろそろ部活が『いつもの事』になりつつあった。

 俺は、いつものように部室へと向かい……そこに居た人の姿に、凍り付いていた。

 その人物が新入部員じゃないことは、間違いない。


 何故かって?

 彼女は俺がよく知る人物――銀縁の眼鏡をかけた、壮年の女教師だったからだ。

「あら、お久しぶり」

「……なんで先生が、ここに居るんですか」

「ここの顧問だから」

 眉一つ動かさず、『ボンド』は言った。



 部活動には、顧問がいる。

 そんなことは当たり前だと思うだろう。だが、俺はすっかり忘れていた。

 だって今までずっと部室に通っていたのに、一度も顧問なんて見たことがなかったのだ。

 部室に顧問、それも担任の教師が居るというのは居心地が悪い。


 小学生の頃、家に友達を呼んだとき、自分の親が部屋に入って来た時のことを思い出す。

 子供同士で作り上げていた空間に大人が入ってくると、それだけで場が壊されたような気がするのだ。

「――そんなに嫌そうな顔しなくても、連絡が済んだら出ていくわ」

「別に、嫌そうな顔はしてませんよ。生まれつきです」

「嘘おっしゃい。最近は結構、楽しそうな顔してることが多いでしょう」

 見透かしたような言葉に、感じていた居心地の悪さが一層強くなる。


 ボンドは一体、どこまで俺の事を知っていて、何を考えているのだろうか。

 今は二人しかいないのだし、真意を問うにはうってつけの状況だが……何だか妙な不安を感じて、俺は口をつぐんだ。


 ……まあ、考えようによっては、ボンドが顧問というのはマシな事かもしれない。

 教師の中には、本当に俺を視界に入れるのも嫌なくらいに嫌っている奴もいる。

 そんな奴が顧問であるよりは、多少不気味でも俺に対して敵意を持っていないボンドの方が、よっぽどやりやすい。


 しばらく部室で待っていると、他の部員たちがやってきた。

 ボンドの事を知ってか知らずか、鹿野島先輩も今日は姿を見せた。

 他の部員たちは、ボンドの姿にも大して驚いた様子を見せない。

 それぞれボンドに軽く挨拶をして、席につく。


 全員が揃うと、ボンドは軽く咳払いをしてから話した。

「鳳南高校から、即興ディベートの練習試合の申し込みが来ました。場所は王麟学院で、日は再来週ごろ。特に問題がなければ、受けておきます」

 練習試合。

 その単語に、不意に身が引き締まる。

 思えば、まだ俺は天王寺と試合をしただけで、他校との試合経験はない。

 大会の前に練習試合を行っておくのは、良い経験になるだろう。

 ……それに、部長が試合に出るのも見ておきたいしな。


 俺は頷き、「自分は大丈夫です」と答える。他の部員たちも、同様に答えた。

「それじゃあ、正式な日時が決まり次第、また連絡します」

 そう告げると、ボンドは部室を後にした。



「――さて、練習試合、とのことだが」

「相手は鳳南、ですか……」

 やる気満々の部長に対し、少し不安そうな真勇の声。

 真勇の気持ちは、よく分かる。

 負けるかもしれないという不安ではない。むしろ、その逆だ。

 鳳南と言えば、周辺地域でぶっちぎりの低偏差値を誇る男子校であり、その名をもじった『アホウなん高校』なんて呼び名もあるくらいなのだ。

 具体的に言うなら、東龍で赤点にヒイヒイ言っているような俺ですら、鳳南に行けば上位10%が安定する。それくらいの差がある。

 もちろん学力がディベートの実力に直結するとは言い切れないだろうが……鳳南の生徒とまともに試合が成立するのか、大いに不安だ。


 俺が頭を抱えていると、天王寺が真勇に言った。

「ま、大丈夫だろ。最近の鳳南は、案外マトモだぜ」

「……そうなんですか?」

「ああ。少なくとも、西女や北帝よりはな」

 気になって俺は口を挟む。

「西女と北帝って弱いのか?」

「西女はマジでカスだぜ。毎年出てるらしいけど、何しに来てんのか分かんねーくらい弱い。北帝はもうちょいマシだけど、まあ似たようなもんだな」

「『アホウなん』にすら及ばねえのかよ」

「何でか知らねえけど、鳳南は意外とディベートに力入れてンだよ。ま、元がアレだし、ウチより強いって事はねえだろうよ」

 そう言って、天王寺は胸を張った。


「まあ、いいんじゃないー?みんな、がんばってねー」

 手をひらひらさせながら、鹿野島先輩が間延びした声で言う。

「他人事みたいに言わないでくださいよ。先輩も出るんでしょうに」

「んー、でも選手は四人だしー、誰か一人は外れちゃうもん。だからさー、あたしは未来ある若人たちに席を譲るよー」

 言われてみれば。パートは立論、質疑、第一反駁、第二反駁の四つだから、五人いれば一人は選手から外れる。

 誰か一人が外れなければいけないとすれば……まあ、鹿野島先輩が外れるのが一番角が立たないだろう。

「あの、わたし……出てもいいんでしょうか。まだ全然ですし、先輩が入った方が戦力としては……」

 おどおどとした様子で、真勇が言った。

「大丈夫だいじょーぶ。真勇ちゃん、もう十分上手いしさ。それに、上達するための練習試合なのに、一年生が出ないのってもったいないでしょ?」

「それは……そう、ですね」

「ちゃんと観戦には行くからさー。後ろでうちわ振って応援するよー」

 本当に真勇の事を考えているのか、単に自分がサボるための口実なのか分からないが、もっともらしい事を言う。真勇も納得したらしい。


「……そういや、なんで場所が王麟学院なんでしょう」

 俺が疑問を投げかけると、部長が答えた。

「王麟の選手にジャッジを依頼しているのだろう。ジャッジを身内に任せることは推奨されないし、ディベートの判定に慣れている者も少ないからな」

 なるほどな、と思った。

 王麟学院はこの地域で最も偏差値が高く、部活動も総じて強い。

 ことディベートに関しては三年連続で全国優勝しており、それで予選が免除されているんだとか。

 ディベートを一切知らない教師などにジャッジをやらせるよりは、よほど適切だと言える。

 しかし、わざわざ王麟の選手が来るのなら三校でそれぞれ試合をしても良さそうなものだが。

 俺たちでは、戦う価値も無いと言いたいのだろうか。

 そう考えると、あまり気分がよくない話だが……それなら、何としても全国大会で叩き潰してやりたい。


「――とにかく、やるからには勝ちに行くぞ。気合い入れてくぜ!」

 天王寺が熱気を放ちながら、皆の中心あたりへ手を差し出した。手を開き、手の平を下に向けている。

 そこに、鹿野島先輩が『チョキ』を作って手を出した。

「ジャンケンじゃねぇっ! 手の平重ねて気合い入れるアレだよ!!」

 全力で叫ぶ天王寺に、鹿野島先輩がケラケラと笑った。


 改めて、天王寺が手を出す。

 まず部長が、そこに手を重ねた。続けて、今度は鹿野島先輩も手を乗せる。

 それから、俺が手を乗せて……最後に、おずおずと真勇が手を乗せた。

 天王寺が大きく息を吸い込む。

「よし、じゃあ……東龍、ファイトーッ!」

「おーッ!!」

 誰かは力強く、誰かは遠慮がちに、誰かは気だるそうに。

 それぞれの声が、部室に響く。

 今一つ揃わない掛け声だったが、天王寺は満足げに、ニヤリと笑った。

 何だかんだと言いつつ、俺も天王寺のノリに慣れてきたのが少し悔しく、どうしようもなく楽しかった。

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