偶然
中間試験最後のテスト用紙を受け取り、俺はガッツポーズをした。
最高点数は76点、最低点数でも52点。
ゴールデンウィークを勉強漬けにした甲斐あって、思った以上に良い結果が出せた。
これも天王寺のおかげだと思うと、しばらくあいつには頭が上がりそうにない。
ようやく、今度こそ本当に落ち着いた毎日が過ごせると、肩の荷が下りた気分がした。
放課後になり、俺は軽い足取りで東校舎を出て部室のある西校舎へと向かう。
その途中、中庭の自販機が目に留まった。
この前は天王寺にコーヒー牛乳貰ったし、今度は俺が何か飲み物でも買って行ってやろう。
しかし、あいつの好みって何だろう。
自分で買っていたくらいだから、コーヒー牛乳なら大丈夫だろうが、それじゃ芸がないよな。
俺はしばらく自販機を眺めて考え込んだが、結局面倒になって、コーラを選んだ。
それから、自分用にもう一本、コーラを買う。二本のコーラを手に、俺は部室へ――。
ピッ、ピピッ、ピー。
その時、自販機から聞き慣れない音が響いた。
何事かと思い、自販機に目を戻す。そこには……自販機の数字盤に『7』の数字が四つ、並んでいた。
つまり、『当たり』である。
おいおい、マジかよ。
この前、天王寺も当てたって言ってたが……噂をすれば、ってやつか。それとも試練を越えた俺に対する、自販機からの祝福か?
そんなバカげたことも考えつつ、俺は結構、慌てていた。いざ当たると、どうしていいか分からない。
とりあえず、何か選ばないと。また同じコーラか?でも、コーラ三本もどうかと思うな。
だが、他に欲しい飲み物なんて……。
再び自販機の商品を見回すと、その右上に目が留まった。
紙パック80円、缶100円、ペットボトル130円の自販機の中、唯一200円で販売されている、エナジードリンクだ。
そういやこれ、高いから買ったことなかったんだよな。これでいいか。
と言うか、130円のコーラ買って出た当たりで、200円の商品が選べるのか?
そんな好奇心にも背を押され、俺はエナジードリンクのボタンを押す。
するとガコンと音を立てて、特に問題なく出てきた。
おお、結構良心的な設定じゃないか。俺は少し、嬉しくなる。
しかし、これ、一体どうしようか。
コーラもあるのに両方飲むのは腹が苦しいし、持って帰るのも少し面倒だな。
そんなことを考えつつ、三本の飲み物を抱えて、俺は部室に入る。
既に部室に居たのは、鹿野島先輩一人だった。
「おつかれー」
「先輩、一本いりますか?ちょうど、余ってるんで」
「いいの? じゃ、コーラ一本ちょうだーい」
言われた通り、俺はコーラを一本先輩に手渡した。
あとは天王寺に一本渡して、残った方を俺が飲めばいいだろう。
あっさりと片付いたことに安堵し、俺は席につく。
俺が入部したことで増えた、五つ目の机だ。
ディベート部の普段の活動は、大まかに分けて3つある。
まずは資料収集。読んで字のごとく、主張の根拠となる資料を集める。
インターネットで収集できるデータも多いが、新聞記事や学術論文などを探すため、図書館へ足を運ぶことも少なくない。
これは真勇と鹿野島先輩が比較的多く行っている。
次に、ブレインストーミングを中心とした意見交換。
ブレインストーミングとは会議の手法の一つだ。意見をぶつけ合うのではなく、集団でアイデアを出し合うために用いられる。
とにかく自由に多くのアイデアを出すことが求められ、些細なことや奇特な発想の意見も次々に発言する。
こちらは俺と天王寺が中心になることが多い。
最後に、試合に使う原稿の作成だ。
集めた資料、出し合った意見を総括し、試合に用いる主張の内容を決定し、実際に原稿を作成する。
当然と言うべきか、この作業は部長が中心に行っている。
それ以外に、やる事と言えば……。
「ねえ、ゆー君。これ分かる?」
鹿野島先輩が、クイズの本を俺に見せる。
開かれたページには「この食べ物はなーんだ?」という言葉と共に、5つ並んだ梨の絵が書かれていた。
「梨が5個って答えじゃないっすよね」
「さすがにそれは違うよー」
梨が5個。梨梨梨梨梨。5個、ファイブ……。
「……梨って英語でなんて言うんでしたっけ?」
「ラ・フランス……は洋梨の名前だから違うや。何だっけ、わかんない。でも英語は関係ないよー」
5個の梨。梨が5個。梨5……ん?
「ナシゴレンっすか?」
「おー、正解。よく知ってたねー」
先輩がぱちぱちと手を叩く。
梨が5個、連なっている。梨が5連でナシゴレン。
分かれば単純な問題だが……これ、ナシゴレンって料理知らない人も多いんじゃないか。
それから何問か、鹿野島先輩とクイズを出し合う。
一応これも、部活動の一環ということになっているのだ。
レクリエーションを兼ねつつ柔軟な発想力を養うため、という名目で、部室にはこうしたクイズの本やパズルの雑誌、それから将棋盤やゲーム機までが用意されている。
先輩がスマホのゲームで遊んでいても見逃されているのは、それも部活の範疇だから、という事なのだ。
それでいいのか甚だ疑問だが、あんまりガチガチな部活も窮屈だし、そんなゆるい雰囲気のおかげで俺も気楽に活動できている。
とは言え、あんまり遊んでいるのはよくない。
俺は適当なところでクイズ合戦を終え、大会の論題について勉強することにした。
大会の論題は二つあり、肯定・否定の立場もそれぞれの試合で異なる。
今回の夏大会の論題は、この二つだ。
・日本は動物愛護管理法を廃止すべきである。是か非か
・日本は酒類の製造及び販売を禁止すべきである。是か非か
※いずれも2019年より行うものとする
どちらも「政策論題」と呼ばれる論題……つまり、ある政策を可決すべきか否かを論ずるものだ。
俺と天王寺が勝負した「消費増税」なんかのテーマも、これに含まれる。
他には、ある事実が正しいかどうかを議論する「推定論題」、価値観の対比を行う「価値論題」が存在するが、その中でも単純にメリットとデメリットの比較で議論ができる政策論題は、特にポピュラーなものだ。
大会で出される論題としては、妥当なものだと言えるだろう。
しかし問題は、俺が『動物愛護管理法』について、よく知らないことだ。
他に何から手を付けていいのか分からないし、とりあえず法律の内容を知ることから始めてみるか。
俺が部室のノートパソコンで法律について検索しようとすると、鹿野島先輩が俺の横に来て画面を覗いてきた。
「何か、気になりますか?」
「んーん、別に。何見るのかなーって」
「……要するに、暇なんですね」
「あははは、そういうことー」
なんでこの人、ロクに活動しないのに部室に来てるんだ。
せっかくだから、聞いてみるか。
「先輩って、なんでディベート部に入ったんですか?」
「んー、同じ部屋のよしみかなー」
「……同じ部屋?」
「あたしと渚ちゃん、寮で同部屋でさー。それで、渚ちゃんに誘われたからねー」
「ああ。二人とも寮なんですね」
「うん、一年からずっと一緒。ゆー君は自宅通学?」
「ええ。寮生活って、どうにも肌に合わなさそうで」
「そう? 結構楽しいよー」
まあ確かに、楽しそうだと思うことはあるが。
それ以上に悩みの種が増えそうで、俺には向いていなさそうだ。
「それでさー。あたし、前は美術部にいたの。漫画とか描けるかなーって思って」
「それは漫研でしょう」
「あはは、そうだよねー。でも、美術部なら楽そうだからいいかなーって思ってたら、うちの美術部ってほんと厳しくてさー」
「そうなんですか?」
「うん。みんなで美術館行って、その感想書かされたりするの。短いと再提出だよー」
「あー、そりゃ面倒そうだ」
「うんうん、それで、もう辞めようかなーって思ってたところで、渚ちゃんに誘われたってわけ」
「要するに、こっちの方が楽そうだから移ってきたと」
「そーいうことー」
そもそも、部活に入らない選択肢は無いんだろうか。
何でもいいから部活には必ず入れと言う親も結構多いし、もしかすると彼女の親もそういうタイプなのかもしれないな。
その時、ガラガラと音を立てて部屋の戸が開いた。
入ってきたのは……天王寺だ。
「おう、雄一郎。テスト結果、どうだったよ?」
「バッチリ。普通に授業受けてた一年の頃より良かったぞ」
「へへっ、ま、アタシが教えたんだから当然だよな」
いつものように、ニヤリと笑う彼女。
俺は彼女にコーラとエナジードリンクを差し出した。
「これ、一本やるよ。テスト勉強の礼代わり」
「お、気が利くじゃねえか」
そう言うと、彼女はコーラを受け取った。
売れ残りはエナジードリンクか。高いのにな。
まあ、少し気になってたし、自分で飲めるなら結果オーライか。
俺が缶のタブに手をかけると、それと同時に再び戸が開いた。
入ってきたのは、真勇だ。
「お疲れ様です」と小さな声で挨拶をした彼女は、俺の手の缶に目を留めた。
「あ……」
小さな声を漏らし、缶を見つめる。
……もしかして、欲しがってるのか?
俺は少し悩んでから、彼女に缶を差し出した。
「飲むか?」
「え、あ……いいんですか?」
「ああ。君のために買ってきたのさ」
惜しさを噛み殺し、自分に言い聞かせるようにデタラメなセリフを口にする。
「くすっ、ありがとうございます。あの……知ってたんですか?」
「ん……何を?」
「あ、いえ。その……エナジードリンク、好きなので」
「ああ、そういうことか。単なる偶然だよ」
意外な好みだが、喜んでもらえたならいいか。
部屋に四人いる状況で、真勇以外の三人だけ飲んでたら、なんか仲間外れみたいだしな。
しかし、三本も飲み物を持ってきたのに自分の飲む分が無くなったのは、やっぱり惜しい。
自分用にもう一本買ってくるか。いや、それじゃ部長だけ仲間外れになる。だったら部長の分も買うしかない。
たかが飲み物くらいで仲間外れだなんて大げさすぎる、とは自分でも少し思う。
だが、今の俺にとってこの部は本当に大切な居場所なのだ。
ほんの小さな、くだらない事でも、部員を傷つけたり軋轢を生むような事はしたくない。
結局、当たったのに余計な出費が増えるなんて皮肉な話だが、まあいいだろう。
これで部員との距離が縮まるなら、数百円くらい払ってやる。
俺は開き直ったようにしながら、中庭の自販機へと向かった。
「おお、猿渡君! ちょうどいい所に来てくれた!」
そこには、缶コーヒーを二本抱えた部長がいた。
何やら意味深で……聞き覚えのある言葉。
まさか、な。そんな偶然が起こるわけがないだろう。
思い浮かんだ可能性を打ち消そうとする俺とは裏腹に、部長は予想通りの言葉を口にした。
「実は今、当たりが出たのだが……猿渡君、一本飲まないか?」
「……はは」
俺は脱力した。それから、どうしようもなく笑えてきた。こんな偶然、有りかよ。
「どうした? 何か、あったのか?」
「ええ、まあ。色々と」
きょとんとする部長から缶コーヒーを一本受け取る。
そして部室へと歩きながら、今日の出来事を話した。
本当に、バカげた日だ。けど、こんな一日があってもいいのかもしれない。
俺の話に楽しそうに笑う部長の横顔を見ながら、そんなことを考えていた。




