テニス部と暴れ猿
「あの」
わざわざ挙手をして、三上が言った。
「水を差すみたいで、本当に申し訳ないんですけど……一つ、聞かせてください」
俺の方をまっすぐ見据えて、彼女は言葉を続ける。
「先輩の、事件って……何があったんですか?」
その言葉に、俺は一気に現実に引き戻されたような気がした。
退学になりかけるような事件なんて、普通は気になるだろう。
俺だって、どこかで話すことになるとは思っていた。
だが、せっかく迎え入れられたと思ったのに、事件の詳細を話した結果、拒絶されたら?
不安を感じずにいられないが、黙っているわけにもいかなかった。
「……テニス部に、見学に行ったんですよ。その時、他に見学に来てた一年生が、一人いて……そいつと一緒に、すぐ仮入部って事にされて、練習することになったんです」
思い出すだけで、胸クソの悪くなりそうな出来事だった。俺は顔をしかめながら、話を続ける。
「俺はすぐにラケット持ってラリー練習やらされたんですけど、一年の方はラケット持つの禁止って言われて……二人とも未経験者ですよ。でも、俺は二年だから良くて、一年は球拾い以外やるなって」
正面で聞いていた天王寺が、少し苛立ちを浮かべる。さほど珍しい話ではないと思いつつも、やはり気分の良いことではない。そんな感情を抱いている顔だ。
「それが納得できなくて、文句言ったら喧嘩になって。殴られて、殴り返して……」
「で、全員張り倒したってか」
「まあ、そう……だな。気が付いたら、そうなってた」
「文句って、何言ったんだよ」
「あー……『未来ある一年に球拾いなんかさせて丸々一年無駄にしてるから、お前ら地区大会すら勝てねえんだよ』……だ。確か」
実際、東龍のテニス部はここ数年、全く実績を残していなかったのだ。
俺の言葉を聞いた鹿野島先輩が、少しの遠慮もなく笑った。
「あははは、ゆー君ズバリ言うねー」
「笑い事じゃないと思いますけど」
「でもさー、うちのテニス部って、最近評判悪かったしさー」
「そうなんですか?」
「うん。だって去年、コートでお酒飲んでたとかで大会出られなくなってたしー。元々あんまり、マジメにやってなかったみたいだよー」
初耳だった。知ってたら、そんな部活に行ってなかったぞ。
仮にも運動部なのに引きこもり同然の俺に全滅させられるほど弱かったのも、まともに活動していなかったからか。
「猿渡君。君は、自分のしたことについて、どう考えている?」
今まで何も言わず聞いていた部長が言った。俺は少し考えて、答える。
「テニス部に文句言ったのが間違ってたとは、思ってません。……さすがに、全員殴り倒したのはやりすぎだったと思いますけど」
「そうだな。君の考えそのものが間違っていたとは、私も思わない。だからこそ、一つ覚えておいてほしい」
部長は一拍置いてから、言葉を続けた。
「――正しいことは、正しい手段で行え。そうしなければ、誰も君の正しさを認めてくれなくなる」
今の俺には、本当に痛い言葉だ。何も言い返せることがなく、ただ、「はい」と答えて頷いた。
「……ま、アタシは安心したぜ。てめえが何の理由もなく暴れたんじゃなくてよ」
「うん、あたしも。ちょっとスカッとしたかなー」
元気付けるように天王寺が俺の肩を叩き、鹿野島先輩も同調する。二人の気遣いが、身に沁みた。
そして俺は、最初に質問を投げかけてからずっと黙っている三上に目をやった。
ひとまず他の三人は、俺を拒絶していない様子だ。とは言え、彼女が強く拒絶したとすれば、ここには居辛くなる。
不安を抱えながら、三上の答えを待つ。
「あ、えっと……もう、大丈夫です。大丈夫……ですから」
彼女は右のポケットに手を突っ込み、身体を縮こまらせて、絞り出すように言う。
かなり無理をしているように見えて、俺は思わず不安になった。
「その……嫌なら嫌って、はっきり言っていいぞ」
「あっ、いえ! そんな……」
彼女は首をぶんぶんと横に振って、俯く。
「……本当は先輩の事、少し怖いです。でも、あの……イヤだって言うのもイヤで……えっと、とにかく、ここに居てください!」
そう言うと、力の入りすぎた目でまっすぐと俺を見る。
少し困惑しながら、俺は頷いた。
せめて、少しずつでも彼女と信頼関係を築いていければいいんだが。
そこで、ふと一つのことに気付く。
そういえば俺、ちゃんと自己紹介してないぞ。
せっかくだから、このままやってしまおう。俺はそう考えて、教壇に立つ。それから、背筋をピンと伸ばす。
「えー、改めまして2-A、猿渡雄一郎。これからよろしくお願いします!」
軽く頭を下げた俺に、四人からの拍手が注がれた。
ひとしきり拍手をすると、部長が俺の隣に立った。そして、教卓の中から一枚の紙を取り出す。入部届だ。
俺は部長からペンを受け取り、素早く入部届に記入して部長へと手渡す。
本当に色々と、紆余曲折があったが、これでようやく正式にディベート部への入部が決まった。
それから、俺はディベート部についての軽い説明を受けた。
とは言え競技のルールや普段の活動についての説明は既に聞いていたから、新たな情報と言えば夏の大会に関することくらいだった。
8月の一週目に地区予選が行われ、その勝者が翌週の全国大会へと進む。
東龍学園を含む地域の参加校は、他に四つある。大道西女学園、鳳南高校、北帝高校、そして王麟学院だ。
ただし、王麟学院は何度も全国優勝を経験している強豪校であり、予選が免除されている。
よって俺たちが予選で戦うのは他の三校。それらに勝利すれば、全国大会への出場が決まることとなる。
ディベートに大会が存在することは、俺には初耳だった。
なんでも、ディベート部の存在する学校自体がそもそも少ない上、仮に部が存在しても選手不足で大会に参加できないことも多いらしい。
大会の試合に必要な選手の人数は、最低四人。それすらも集まらない学校が多いほど、競技としてはマイナーなのだ。
全国規模の大会としては小規模なのも、そのせいだろう。
去年は東龍も選手不足で不参加だったようだが、今年の部員は五人。必要な選手の数を達成している。
当然、参加しない選択は無い。
そんなわけで俺たちの当面の目標は地区予選の突破を目指し、試合経験を積んだり、情報収集をして試合の準備を進める事になる。
言ってしまえば、この一週間やってきた試合準備と同じ事を、もう少し大きな規模で行う。それだけだ。
今度は期間がたっぷりある。この一週間は本当に目が回るような忙しさだったが、今後は少し、落ち着いた日々を送ることができそうだ。
「――だが、五月の中旬には中間試験も控えている。決して無理をすることなく、活動に励んでほしい。以上だ!」
部長の言葉に、俺は凍り付いた。
中間試験。その存在を、俺はすっかり忘れていた。
この一週間、俺はディベートのことばかり考えて勉強のことは完全にほったらかしていた。
今のままでは赤点一直線、そして待つのは……退学だ。そうなっては、部活どころじゃない。
俺は、ゴールデンウィークが勉強漬けになることを確信しながら、まだ忙しい日々が続きそうなことに、深くため息をついた。




