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ほぼ正面に『白の塔』とほとんど同じ造りと見られる塔と建物の一群がある。
『白の塔』と並び称される『紅の塔』、別名『死の塔』だ。赤っぽい石を積み上げ、『白の塔』が生者の街とするなら、対して『紅の塔』は死者の魂の街として造られている。
言わば巨大な墓なのだが、今、『紅(赤)の塔』は異様な活気と賑わいを見せていた。
その上空に白い鳥が舞っている。
「クゥ−ッ!」
高く響く声が呼びかけてきて、アシャは革篭手を引き下ろした左腕を突き出した。
突撃してくるように飛んで来た鳥が寸前身を翻し、思いもかけない柔らかな動きでアシャの腕に降りる。
「ようし、ごくろうだったな、サマル」
「クゥア」
サマルカンドは安らぐように甘えて鳴いた。
昨日夜半、アシャはラズーンからの通達を受け取っていた。キャサランの『運命』侵攻は確実、キャサランを通る限り『運命』との正面衝突は避けられない。加えて、『運命』はキャサラン辺境区をその支配下に置き、『紅の塔』に潜伏しているとの知らせだった。
半ば強引にテオ二世の招待に応じたのは、ユーノの怪我ももちろんだが、この状況をうまく切り抜け、キャサランを通過するためには、まず『紅の塔』の情報や辺境区の動向を把握する必要があったせいだ。
(或いは)
その冷徹なアシャの計算がどこかでユーノに伝わったのだろうか。
俯瞰すればユーノの安全のためだが、それでもどこかで視察官としての感覚や、時々否応なしにユーノに思い知らされる正統後継者としての立場が、知らず知らずににじみ出て、ユーノに距離を置かせてしまっているのだろうか。
月獣で素裸に近いユーノを抱き上げていた、体に揺れた荒い衝動を勘づかせるまいと意識を閉じた、それに呼応するようにアシャ・ラズーンと呼びかけられた、あの時のように。
(鋭いユーノ)
アシャの中に動いている『力』を確実に読み取るくせに。
(鈍いユーノ)
跪いてまで求めた愛情を欠片も与えてくれない。
「クェッ?」
「ん…」
問いかけるように自分を覗き込んできたサマルカンドに、アシャは情けなく笑って、窓に身をもたせかけた。
「サマルカンド」
「クゥ?」
「初めての恋を……覚えているか?」
この想いはいつ始まったのだろう。
目を魅きつけられたのは、もっと前だ。愛しいと思ったのも、守ってやりたいと思ったのも、もっともっと前だった。ユーノが殺される、そう考えるだけで冷たく荒い怒りを感じるようになったのさえ、この想いよりもまだ前だった。
(きっと、あの時から)
月獣の攻撃を耐え抜いて、なお、己の心の弱さにもユーノが打ち勝ったあの一瞬。
打ちのめされ、叩きのめされた、光の中で。
全てを投げ出してもいい。その目に見つめられていたい。その口で求められたい。側に居よと命じられ、我が意を満たせと訴えられ、他の誰でもない、アシャただ一人が差し伸べる手を受け止める唯一無二の男でありたい。
「ユーノが手を差し伸べる相手って……どんな奴だろうな、サマル」
あの強い娘が、自分の全てを委ねる相手。
(俺ではなくて……イルファを呼ぶと言い切った)
勘違いだったのか、ほんの一瞬、彼女の目がアシャを追ったように感じたのは。アシャに心の内を見せたと思ったのは。
多くの女達に追われていた男の傲慢だったのか。
「クェアアッ!」
沈んでしまったアシャを気遣うように、サマルカンドが鳴いた。
「ふ」
皮肉な笑みを浮かべて、アシャは再び窓の外へ腕を突き出した。
「そんなことを言ってたら、恋などできん、か。……ユーノを頼むぞ、サマル!」
「クェッ!」
翼を広げてクフィラは悠々とバルコニーへ舞い降りて行く。見ようによっては、アシャが、ユーノとテオ二世の歓談を妨げるために放ったと見えないこともない。
(我ながら幼いことをしてるよな)
クフィラを見送りながら、アシャは溜め息をついて窓辺を離れた。
「わっ!」
ふいに現れたサマルカンドにテオ二世は大げさに驚いた。
「何です?」
「クフィラだけど」
「クフィラ? あの伝説の!」
「クェッ!」
そうだとも、と言いたげにサマルカンドが応じ、ユーノの腕から肩へとすり寄った。
「あなたのものなんですか?」
「ええ、まあ。本当はアシャのなんだけど」
答えながら、ユーノはサマルカンドの降りて来た上空を見上げた。視線を感じたのだが、アシャの姿はないようだ。
「アシャって、あのきれいな人ですね」
「ええ」
ユーノはくすりと笑った。普段の姿で『きれい』だと評されるのなら、改まった装い、ましてや女装などを目にしたら、テオはどういう表現をするのだろう。声も出ないかも知れない。
「でも、あなたもアシャも凄腕ですね。ミルバの部下を軽々と…っ」
笑いながら話しかけたテオ二世は、途中でいきなりはっとしたように口をつぐんだ。
「ミルバ?」
「……『紅の塔』の主人です。いつからか『紅の塔』に住みついて、父さまや母さまを騙して連れ去って………」
テオ二世は唇を噛んだ。
「けれど……ぼくの婚約者、『イ・ク・ラトール』、でした」
キャサラン辺境の方言らしいことばを柔らかく発して、テオ二世は『紅の塔』を遠いグレイの目で見つめた。




