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「おい、ユーノ!」
アシャのうろたえた声が耳元で響いた。体を抱えて起こされ、何とか目を開ける。
「大丈夫か」
「うん……月獣の傷……化膿したのかな……っ」
突然痛みの範囲が広がり、息を呑んでアシャの腕を掴んだ。もたせかけた頭がアシャの胸に当たっていて、早くなっている鼓動を伝えてくる。
「きつそうだな」
心配そうな声、速まる鼓動に少しほっとすると、暗闇が視界を覆う。
「ごめ……気を失い…そう」
耳鳴りがして沈み込みそうになる。
「待ってろ」
アシャが片手でごそごそと荷物を開く気配がした。
「あまり飲まない方がいいんだが」
取り出したのは例の痛み止めだろう、赤ん坊のように唇を開かれ含まされた。必死に呑み込もうとしつつ、目を開くと、アシャが当然のように水を含み、唇を寄せてきてぎょっとする。
「だい、じょぶ、自分で、飲める」
もぐもぐ口を動かして何とか呑み込む。アシャがむくれたような残念そうな顔でユーノを見返し、ごくりと口中の水を呑み込む。
「水は?」
「くれる…?」
水入れを受けとり、何とか口に流し込む。上目遣いにアシャを見ると、濡れた口を無造作に擦る手の甲、捻られてふわりと戻る柔らかな唇の動きに視線が吸いつけられてどきりとした。
(温かな、くだもの、みたい)
ついばみたい、と意識を掠めた欲望に、何を考えてるんだ私は、と慌てて目を逸らせて大きく息を吐く。
「息苦しいのか?」
「ううん、だいじょう…」
言いかけて、ユーノはアシャの胸を押さえた。同時に顔は動かさず視線だけ背後へ送ったアシャが、片方の手を剣に伸ばしてユーノから離れる。同じく、ユーノものろのろと剣に手を滑らせた。
「誰か来る」
「ああ」
草の上を走る人間の気配。一人二人…四人……六人。
ただし、始めの一人は離れているようだ。
(追われている)
目を細めて緊張を高めながら目の前の木立を見つめる。
突っ込んでくる、ほら、そこに。
「はっ!」
木立の間を擦り抜けるようにして飛び込んできた相手は、突然目の前に現れたユーノ達に大きく目を見張って立ち竦んだ。
波打って流れる見事なプラチナブロンド、色があるのかないのか分からぬほど淡いグレイの瞳。整った顔立ちに逆らうようにきつく結ばれていた唇がぽかんと開く。歳の頃、十六、七の子ども子どもした感じが抜けない男だ。
「待てえっ!」
「そこだ!」
背後から浴びせられた声に相手ははっと振り返った。木立の中から飛び出してくる男達の剣を、危うく飛び退いて避ける。持っていた細身の剣で、かろうじて一人の攻撃を食い止める、だがそれほど長くはもたないだろう。
「ユーノ、待て!」
アシャの制止は遅かった。
薬はよく効いた。痛みがずいぶん楽になった。だが、同時にアシャの肌の温度を間近に感じる距離にいるのが限界だった。まだ息が弾むが、それを押して剣を掴み、一気に男と追手の間に飛び込む。
「この、ばかっ!」
背後から叫んだアシャが剣戟に加わる。
「ひけっ、ひけえっ!」
手練二人の加勢に気づいたのだろう、追手の一人が情勢不利と見てとって剣をおさめながら叫んだ。
「覚えてろよ!」
捨て台詞を残して走り去っていく男達のマント姿を見送って、肩で息をしながらユーノも剣をおさめた。せっかく押さえた痛みが倍加して戻り、喘ぎながら片目をつぶる。
「つ、つっ」
「どうかなさったんですか、もしかして今ので何か!」
飛び込んできた男はうろたえたように駆け寄ってきた。
「あ、は、大丈夫、今のじゃなくて、ちょっと古傷が」
「ぼくの城へ来て下さい!」
言い放った相手にユーノは瞬きした。
「今はたいしたもてなしはできませんが、お怪我が治るぐらいまでは」
(どこかの…王子?)
「いや、悪いけど、ボクは急ぐ旅の途中で」
「大変嬉しいね」
いきなりアシャが遮った。
「せっかくのお誘いだ、断るわけにもいくまい。『古傷』が治るまで、喜んで滞在させて頂こう」
「アシャ!」
反論しかけたユーノをひんやりとした瞳が迎え撃つ。
「お前は剣士としてもっと自覚を持つ、と約束したな、ガズラで」
「う」
「一戦やるたびにへたってては、この先の旅なぞできん」
怒りと苛立ちが満ち満ちた険しい声に、さすがに黙る。
「俺も賛成」
ふいに別の声が同意した。振り向く三人の目に、むっくりと体を起こすイルファが映る。
「あの……」
飛び込んで来た男は困惑した顔でユーノを振り向いた。
「お仲間…です、よね?」
「ああ」
ユーノはじろりとイルファを見やった。
「人が闘っているのに、のんびり寝てられる『仲間』だよ」
「だってなあ」
ふああ、と眠そうにイルファはあくびを漏らしながら、
「ユーノとアシャが出てて、相手が六人」
肩を竦めて見せる。
「俺に獲物があたりっこない」




