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「う…む……っ、レス!」
重く唸ってアシャが目を開けた。ほっとしてへたり込むレスファートの体を急いで支えてくれる。
「アシャ……ユーノが月獣に…」
「わかってる! くそ、『運命』の奴、催眠剤を使ったな!」
猛々しい表情で立ち上がったアシャは、袋の中から青い錠剤の入った小袋を取り出した。
「レス、イルファに飲ませろ。すぐに効くはずだ」
「うん!」
レスファートは眠っているイルファに駆け寄り、相手の口をこじ開け、薬を押し込んだ。食い意地がはっているとでもいうのか、しっかりそれを飲み込んで、それほど待つまでもなく、イルファはのんびりとした様子で起き上がった。
「…よう、早いな、アシャ、まだ暗いぞ?」
「早いな、じゃない」
じろりと相手をねめつけて、アシャは手早く荷物をまとめだした。
「『運命』に先手を取られた。カザド兵の襲撃は囮だった。あいつらは俺達の目をそらすためだけのもので、『運命』の狙いはユーノだったんだ」
「ユーノ? ………いないじゃないか」
「カザド兵の剣に塗ってあったのは催眠剤だ。そいつで俺達はまんまと眠らされ、ユーノだけが引っ張り出されたんだ」
「そういや、剣が擦った時、何かぴりっときたな」
「ぐずぐずしていられない、ギヌアが出てきている」
荷物を持ち上げるアシャの紫の瞳に、珍しく焦りが浮かんだ。
「俺はユーノを追う。お前はレスを連れてキャサランの国境まで先に行ってくれ、落ち合う場所はそこだ」
アシャが放り投げた地図をレスファートが覗き込むと、赤い印が描かれている。
「ここだね………あ、れ…?」
レスファートは首を傾げる。
地図は今まで見たどんなものより詳しいものに見えた。そればかりか、世界の果て、正確な場所がわからないはずのラズーンの位置や、そこに至る道までも描かれている。
「アシャ……これはどういうことだ?」
さすがにイルファも気づいたのだろう、ぴくりと眉を上げる。
「一介の旅人が、どうしてこんな地図を持ってる? ……ラズーンまで巡る旅人なぞ、俺は聞いたことがないぞ……ただ一つのお伽噺を別にして」
イルファが厳しさをたたえてアシャを見据える。レスファートがその視線を追って振り向いたアシャの目は、垂れ落ちてきた金髪に遮られ、淡く煙って見えた。
「後で話す」
ゆっくり目を伏せると、アシャはくるりと背を向けた。
「話せるところまではな。……今はユーノを助ける方が先だ」
「ぼく……馬を引いてくる!」
イルファとアシャの間に漂った緊張感に、レスファートは急いで部屋を出た。胸がどきどきしている。何かが起こっていると感じた。
馬を引いて戻るとアシャが戸口を出て待っていた。
「どっちへ行った?」
アシャが鋭い視線を街路に投げる。
「そっち! 気をつけてね、アシャ!」
「ああ!」
音も立てずに馬に跨がり、あっという間に走り去るアシャを見送って、レスファートはイルファの元へ戻った。何だかひどくぐったりとしていたが、イルファが珍しく難しい真面目な顔で地図を睨んでいるのに気づく。
「どうしたの、イルファ」
「この地図…」
「地図?」
「精巧すぎるな。レス、レクスファのこんな国外れに湖があるなんて知っているか?」
促されて、レスファートも地図を覗き込んだ。
「ううん……一通りの地理はやったけど」
「ここはマクタ山脈が走ってるど真ん中だ。人が行ける場所じゃない」
考え込んだ声でイルファが呟く。
「羽根でもあれば別だが、この山脈の内側への道はないぞ? 誰がどうやって、ここにこの大きさの湖があるとわかる?」
イルファがぐっと眉を寄せる。
「………これは……ひょっとすると、あの話はお伽噺じゃないってことか?」
「おとぎばなし?」
「……聞いたことぐらいあるだろう。『はじめに天と地あり。戦ののち、荒れた天地の間にラズーンのみ残りき』」
イルファが諳んじるのに、レスファートは頷いた。
「しってる。『ラズーンはこの世のはてにして、とうちしゃなり。その力、あまねく世界におよび、人をつくり、動物をつくり、この世をつくりたり。また、ラズーンははんていしゃなり。その力をしめすために、いとくらき運命の手もておこない、国々にその目をむかわせり。かくして、ラズーンはとうごうふとして、国々にくんりんせり』……でしょ。おぼえさせられたけど、意味はよくわかんないよ」
「目、だ」
イルファは首を振った。
「目、が旅人を指すと考えればどうだ? 旅人ならば、どの国をどのように巡っていこうと目立たない。それに、暗き運命の手ってのは」
ふっと窓の外で何かが動いた。レスファートが振り返る前に、イルファが剣を引き寄せる。
「どうやら……第二陣が来ちまったらしいな」
「え…」
「こっちだ、レス!」
イルファに軽々引っ張り寄せられたレスファートは、今の今まで自分が居た所にざくりと剣が突き立つのを見た。
「イルファ!」
「わかってる!!」
扉を蹴破って入ってくるカザド兵を一刀両断、傍らにいたのを殴りつけ、じりじりとイルファは後じさりした。背後に庇われたレスファートも、小造りの短剣を抜く。
と、いきなり背後に黒い気配がひたりと迫った。
「っ!」
後ろから伸びた黒い手が、口を塞ぎ押さえる。振り回しかけた短剣がもぎ取られる。
「イル……っ!」
どすりと重い当て身をくらって、レスファートは呻いた。気づいてくれたらしいイルファの声が、薄れる意識の向こう、剣のぶつかり合う音の合間に遠く聞こえる。
「レス……っ!!」
(イルファ……アシャ……ユーノ……)
急速に目の前が暗くなり、それきりレスファートは気を失ってしまった。