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「それに、マノーダはレアナ姉さまに似てるんだ、アシャ」
焚き火の側なのに、急に体が冷えたと言いたげに膝を抱えて丸くなり、ひょいと首を傾げてユーノは微笑んだ。
「放っておけないでしょ?」
「……?」
意味が取れずに瞬きして相手を見返すと、見上げていた目をユーノを逸らせた。
「レアナ姉さまに似てる人なら幸せになってほしい……そうじゃない?」
「……わかる気はするが…」
「なってほしいよ、誰かのためにも」
アシャの戸惑った口調を微かに咎めるようにユーノは呟いた。
「姉さまを大事に想う人のためにも、さ」
レアナを大事に想う家族。そして、ユーノ。
「……ああ、そうだな」
レアナに似た相手の幸福をユーノが願うなら、その願いを叶えてやりたい。
「そうだな」
けれどお前はいいのか?
「何が?」
「また危険に晒される」
「……そんなこと」
くす、とユーノは笑った。何かを思い出す顔で、口を開く。
「……ずっと前のことだけど、皇宮に出入りしていた商人が居た」
ぱちりと焚き火が跳ねる。
「酒宴に招かれ、冗談のつもりだったらしい、こう言った。『みなさま、美しい方ばかり、特に二番目の方には一風変わった美しさがおありだ。皇妃さまの血というより、異国の高貴な生まれのようにも見えますな。皇も時に楽しまれたことがあるというのは我々下々と同じですが、後々まで面倒を見られるために引き取られる、その懐の深さをご尊敬いたしますよ』」
「!」
「ボクは5歳ぐらいだったかな、商人が酔っぱらった真っ赤な顔をして言った意味の半分もわからなかったけれど、一つだけわかったことがあった。そうか、ボクはここにいちゃおかしいってことなんだな、って」
「…ユーノ…」
淡々とした声、表情も穏やか、けれど、それを聞いた瞬間にユーノの胸を貫いた傷みが、時間を越えて今自分の胸を貫いた気がして、アシャは思わず唸った。
「ばかな…」
「納得したよ、ボクは」
「…」
「そうか、だからボクだけみっともないのかって。それならよくわかる。だからボクだけ出来損ないなんだって」
ほっとしたかもしれないな、出来損ないでも当然なんだって。
「でも、次の瞬間、姉さまが」
真っ青になって立ち上がったレアナは父よりも母よりも早く反撃に出た。ユーノを抱きかかえ、商人を振り向き、一声高く叫んだのだ、無礼者、と。
「『あなたは私の大事な妹を傷つけました、以後二度と顔を見せないでください』って、そりゃあ凄い剣幕で。商人は平謝りするし、父様も母様もうろたえるし…………ボクは姉さまに抱きかかえられてわんわん泣いた。後にも先にも、みんなの前であそこまで泣いたのはそれぐらいだよ」
凄いよね、姉さま。
くすくすとユーノは笑った。
「キスしてくれて、ボクが落ち着くまで、あなたは私の妹です、そう慰め続けてくれてさ……だからボクは姉さまが悲しむ顔なんて見たくない、絶対に」
(皮肉なものだ)
アシャは優しく微笑むユーノをじっと見つめた。
心ない大人のことばに傷付いたユーノを庇ったのはレアナだけ、だからユーノはレアナを守るために何度も一人死地に向かい、何度も一人で苦痛を堪える、大事な相手を悲しませるまいと。レアナが優しければ優しいほど、ユーノは繰り返し自分を危険に追い詰める。
(どうやってやればいい?)
アシャの心は疼く。
(どうすれば、こいつを守ってやれる?)
危険を好むわけではない、むしろ幸福と安寧を求めての闘いならば、傷つき倒れるのも本望だとでも?
(ばかな)
そんな理由など納得できるわけがない。
「どう?」
「え?」
物思いに沈んでいてユーノが問いかけているのに気づかず、アシャは我に返った。
「惚れ直した?」
「え…あ、ああ」
惚れ直す? 目の前の、厳しい運命に一人涼やかに笑って立つ、黒い瞳の少女にか?
「そう、だな、もちろん」
応えてすぐにはっとした。相手が一瞬淡い泣きそうな色を浮かべた気がして。
「そうだろ、レアナ姉さま、いざとなると強いんだ」
軽く目をつぶって見せる、ユーノの瞳が潤んでいるように見える。
「だから、きっと十分やっていけるよ」
「やっていける?」
何をだ、そう確認しようとして、ユーノを説得できそうな理由に気づく。
「そうだ、さっきお前はレアナを大事に想う人のためにも、と言ったな?」
大事に想う人とは誰だ?
アシャとしては、それは自分や家族、そう答えが返ってくると予想して、それならばレアナもまた自分を大事に想ってくれる相手の無事と幸福を願うはず、そう話を続け、ユーノの無謀さを戒めようと思ったのだが。
「え…っ…」
見る見るユーノが頬を染めて立ち上がり、呆気にとられた。
「あ、そ、そのそれつまり、うん、レアナ姉さまを大事に想う人のためにもレアナ姉さまに幸せになってほしいってことは、その人にももちろん幸せになってほしいわけで、それはつまりその人をレアナ姉さまも大事に想ってるから、その人が幸せならレアナ姉さまも幸せだろうってことだから…っ」
「あ…ああ…?」
なんだ、そういう理屈はわかっているんじゃないか、とほっとしかけたアシャはユーノがじりじりと後じさりするのに不安になる。
(あれ?)
何かおかしいのか? ひょっとしてどこか食い違っているのか?
「あーと、その」
「う、うん?」
「つまりその人って言うのは誰なんだ?」
「うっ」
「それはつまり」
お前や家族ってことだよな?
そう続けかけたのだが、ユーノがふいにぐっと苦しそうに口を噤んだのに思わず黙った。
「……アシャには、わからないよ」
「…は?」
「アシャには絶対わからないっ」
ぎらりと睨み据えてきた目には明らかに怒りがある。
「火の番、頼むね、ボク寝るからっ!」
疲れたから、うんとうーんと疲れたもう話したくないほど疲れたからっっ。
言い訳がましく、それでも力一杯訴えられて、アシャには反論は許されない。
「あ、ああ」
最後にもう一度睨みつけ、あげくに放置されるように身を翻して、取りつく島も無く天幕に入っていくユーノを、アシャは呆気にとられて見送った。