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ラズーン 2  作者: segakiyui
6.『風の申し子』

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60/132

5

(ああ、また雪白レコーマーが鳴いている)

 与えられた一室、横になるとそのまま吸い込まれていきそうになるベッドで、ユーノはうつ伏せに身を沈ませ、ぼんやりと考えている。

 四肢から力を抜き切ろうとしても、心のどこかに緊張が残っていて、もし誰かがいきなり部屋に入ってこようとすれば、瞬時に側にある剣に手が伸びるだろうとわかっている。

『剣を、ですか?』

 ミノの不審そうな声が耳に戻ってくる。

『ここは安全ですのに』

 幼い顔立ちに微かに浮かんだ怒りは、客人が見せた主人への警戒に対するもの、敬愛する主の支配下で安らげないと伝えられるのは、主を貶められるのと同じだと伝えている。

(ごめんね、ミノ)

 ユーノは心の中で謝った。

 どうしようもないのだ。今まで剣を体から離して眠りについたことなど、ほとんどない。そうしていなければ、次の日の朝日は見られないと知っていたからだ。

 ミアアアア……と、高く澄んだ雪白レコーマーの声が響く、重く静まり返った闇を刺し貫いていくように。

 思い出すともなしに、幼い頃のことが甦る。


 いつものように、カザドが攻めてきた翌日のことだった。連夜の闘いに疲れ果てて、いつベッドに転がり込んだのかの覚えもなかった。

 目を覚ましたのは額に当てられた白い手のせい、まばゆく日差しがちらつく中に、母の姿が浮かんでいた。

「どうしたの? うなされていましたよ」

 薄紅の唇で微笑んだ母が、心配そうに問いかけた。

「母さま…」

 日の光が目に痛いほど、なぜかふいにほっとして、ユーノは微かに囁いた。

「怖い夢でも見たのね、ほら、こんなに汗をかいて」

 母の白く美しい指先が額と頬を辿っていく。柔らかに広がる花の香り、出入りの商人が運ぶ香水は母の面差しによく似合う。

 陶然と甘さに酔いながら、ユーノは無意識に手を伸ばしていた。

 母の胸へ、何もかもが許されているのだと言いたげな、懐かしくも温かい腕の中へと。

「ユーノ…」

 母は囁いて、体を起こしたユーノを支えようとするように、そっと彼女の方へ手を伸ばした。

「何かあるなら話してちょうだいね。私はあなたの母さまでしょう?」

 怖い夢。

 そうなんだ。ひどく怖い夢に毎日うなされているんだ。明日は母さま達の顔がみれなくなるんじゃないかという、竦むような孤独な夢に。

 今なら打ち明けることができそうな気がして、幼いユーノは安堵に泣きそうになりながら母の腕に触れた。

 もう大丈夫だ、母はきっとユーノを庇ってくれるだろう。ユーノのことばを信じ、守ってくれるだろう。背後に忍び寄る影を心配せずに、ようやく幸せな眠りにひたれるようになるだろう。

「母さ…」

 掠れた声を絞り出す、期待に震えながら。

 けれど。

「母さま!」

 いきなり開いた扉から、泣きながらレアナが飛び込んできて、ユーノはびくっと手を引いた。

 レアナは白い寝衣の裾を乱して、振り返った母の腕の中へまっすぐに飛び込む。

(あ…)

 ずきり、とユーノの胸に痛みが走った。

「あらあら、どうしたの、レアナ」

「母さま! 母さま!」

 泣きじゃくりながら、レアナは母をしっかり見つめて訴える。

「怖い夢を見たの! とっても怖い夢を見たの! 怪物が出てきて、私を食べようとするの!!」

「まあ、かわいそうに。でも、大丈夫よ、母さまが守ってあげますからね」

「だって……だって……」

 レアナは泣き続けながら母の胸にしがみついている。そして母もまた、レアナを強く抱き締めている。

 その2人をじっと見つめていたユーノは、ほんの少し、首を傾げる。

 額に髪が乱れ落ちる、さらさらと、小さな、レアナの泣き声に消されてしまう、聞こえない音をたてて。

(母さま)

 声にならない声が胸の内にひたひた満ちる。

(母さま。私、本当に、怪物に食べられちゃうかも知れない)

 言いたかった。

 しがみつき、泣きじゃくり、地団駄踏みながら、夜ごと襲う恐怖と不安を訴えたかった。

 母はきっと驚くだろう。いろいろと尋ねてくれるだろう。ユーノも抱き締めてくれるかも知れない。今、レアナにしているように髪を撫で、キスをくれ、優しく慰めてくれるかも知れない、だが。

(言って……どうなる?)

 誰がどうすればいい、という単純な話ではないのだ。

 カザドがセレドを密かに狙って攻撃を繰り返しているとわかれば、この平和な光景はたちまち崩れ、国はあっという間に戦乱に巻き込まれていくだろう。戦うことを随分昔に忘れてしまった民は、蹂躙されもがいたあげくにのたうち倒れていくのだろう。

 それはいつか起きてしまうことかも知れない。

 けれど、今目の前にある、この穏やかな光景を壊す権利は、ユーノにはないような気がした。

 たとえ、その中に、ユーノが永久に入れないとしても、守ることはできる、大事な人を、大事なものを。

 胸の内を吹き抜けていく風に、カラカラと何かが鳴る。それは冷たく、物悲しい音だった。

「母さま」

 ユーノは静かに声を掛けた。

 さきほどのユーノへの気遣いを忘れたように訝しげに振り向く母に、眠たそうに装って笑って見せる。

「私、まだ眠いや。もう少し寝るよ」

「そう? ……じゃあ、レアナ、こちらへいらっしゃい。ユーノはまだ眠いんですって」

 母さまの側であなたも少しおやすみなさい。

 柔らかな声で言い聞かせながら、まだしがみつくレアナを伴って、ゆっくり扉の外へ消えていく。

 扉が閉まると、ユーノは微笑みを消した。汗まみれになって湿っている寝床の中へ再び伏せる。この間受けたばかりの傷が、引っ掛けたのだろうか、ずきずき痛んだ。体を丸め、掛け物を深く頭まで被り、傷めた足首を抱え込む。

 そうしてしばらくしていると、微かな安堵感が広がってきた。痛みも薄れ、そっと手を離す。そのまま、自分の腕で胸を抱き、体をより深く曲げて、小さく丸くなっていく。寝床の中で、これ以上小さくなれないほど体を竦めたとき、ようやく一筋、頬を涙が伝った。

「ふ……うっ…」

(怖いよ)

 零れる涙がことばを解放する。

(怖いの……母さま……父さま……姉さま…)

 どこへも届かぬとわかっているから上げられる悲鳴だった。

 誰も聞かぬとわかっているから吐き出せた弱音だった。

「ふくっ」

 声が漏れそうになって、顎を胸に強く押し付け、顔を伏せ、声を飲み込み。

 ユーノは静かに泣き続けた……。


(あの時はまだ怪我が治っていたからましだった)

 思い出して苦く笑う。

(一度なんか、まともにばれそうになったっけ……)


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