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ソクーラの貴婦人との謁見の瞬間、ユーノは与えられた部屋にある真っ白な壁掛けが、そのまま動き出したような錯覚に陥った。
「アシャ……久しぶりですね」
玉座に座ったメーネ、ソクーラの『貴婦人』は、純白の衣に金糸銀糸の花を散らせたものを纏っていた。流れる髪は甘く優しい茶色、瞳は人の心にしみいるような深い青だった。
「はい」
拝跪の礼を取ったアシャが相手を見上げて、憎らしいほど鮮やかな笑みを見せる。
「突然姿を消したことを、さぞかしお怒りだと思っておりましたが……私は旅に身を委ねるもの、一所に留まれぬのが生業」
「わかっています」
メーネは寂しげな笑みを頬に広げた。
「しかし、そのあなたが、今はそちらの少年に仕えているとのこと」
幾分皮肉の混じった声で続ける。
「はい、確かに。彼が、今は私の主人です」
「そうまでして、あなたが守る絆とは何ですか、アシャ」
メーネは満足げなアシャの声に興味をそそられたようだった。皮肉な響きは消えている。同じく片膝をついていたユーノは思わず肩を震わせる。
「私の覚えている限りでは、あなたは誰ともそのような絆を結びはしなかった。あなたはいつも、諸国を巡る旅人だったはずではありませんか」
「……」
ユーノがちらりと横目で見やると、アシャは曖昧に微笑んでいる。
「我らはラズーンへ向かうのです、姫君」
メーネの美しさにぼうっとしていたらしいイルファが、ようやく口がきけるようになったのか、野太い声で答えた。
彼が身に着けているのは赤銅色の長衣、袖口と裾に銀糸の縫い取りがある。
「ラズーンへ? あの、世の中心のラズーンですか?」
「そうです」
イルファは得意気に胸を張った。
「世界の中心を一目見たいと、旅に出たのです」
「その旅に、アシャ、あなたが?」
「はい」
イルファが余計なことを言う前に、と思ったのか、アシャがことばを引き取った。
「私が諸国巡礼の旅人ならば、これに優る旅はございますまい」
「確かにそうです、しかし…」
メーネはまだ納得しかねた様子だったが、エタの快活な声に遮られた。
「姉君、もういいではありませんか」
エタは、玉座の横の椅子に、濃紫長衣の正装で控えている。
「アシャ達は長い旅の途中、ならば、その旅がうまくいくように、数日間の憩いと慰め、充分な食べ物と休養、さらなる旅への支度を整えてやるのが、よく知った昔なじみというものですよ」
言いながら、アシャにいたずらっぽい目配せを送ってきた。
「そう、ですね」
メーネはほんのりと頬を染めて頷いた。自分の執着の仕方がおかしくなったのだろう、美しい唇に笑みを浮かべて、
「特に、そのお小さい方」
「ぼく、『オチイサイカタ』じゃありません、レスファートです」
空色の明るい長衣を着たレスファートが不服そうに応じる。
メーネはくすりと笑って頷いた。
「レスファートも疲れているでしょう。夜会の間に床の用意をさせますから、ゆっくりお楽しみなさい」
メーネの声を合図に、待ちかねたように、ぞろぞろと人々が入ってきた。こちらへ、とメーネに招かれるままに、ユーノ達は玉座の近くへ寄り、広間がみるみるより華やかに賑やかにざわめきを増すのを見守った。
着飾った貴族達が居る。威厳ある大臣達も居る。軍属だろう目つき鋭い男達、初めての夜会なのか緊張した顔の娘達。
「凄いな…」
さすがのイルファが感嘆する。
広間の壁際、取り囲むように並べられたテーブルには、料理が溢れんばかりに載せられている。まだその上にも料理人達が食べ物を盛り上げた皿を掲げて次々と列をなして入ってくるのに、イルファが溜め息をつく。
「菓子もありますよ、レスファート」
メーネが優しく言った。
「はい、ありがとうございます」
レスファートの頬も上気している。
楽士達が呼ばれ、音楽が始まり、人々が踊り始めた。酒や料理に気持ちが解れ、広間が熱気に満ちていく。
それまであれやこれやと4人の話し相手を務めていたメーネが、頃合い良しと見たのだろう、柔らかく促した。
「さあ、どうぞ。お好きなものをお楽しみなさい」
「では!」
イルファが真っ先に料理に突進していった。目をつけていたのか、カーノの丸焼きにかぶりつく。カーノは数が少ない小さな鳥で、肉は柔らかく独特の風味があり、かなり高価な料理とされている。
「ユーノ! こっち!」
はしゃいだレスファートがユーノの手を引いた。色鮮やかな菓子が盛られたテーブルにユーノを導こうとする。
「どこが子どもじゃない、だよ、ねえ、アシャ…」
ユーノはアシャに苦笑を向けて、相手が背後からメーネに呼びかけられて立ち止まったのに気づいた。親しげな甘えるようなメーネの瞳は、レアナより、レスファートより、彼女とアシャの距離の近さを思わせる。
(何を話しているんだろう)
「……私には、関係ない、か」
軽く唇を噛んで自分に言い聞かせ、ユーノはレスファートの後を追った。