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いつの間にか、ぐるりと『運命』達が囲んでいた。黒い髪を振り乱し、血のように赤い瞳にたたえられているのは呪詛、目前のガジェスももう一体増える。
傍から見れば圧倒的な力の差を思わせる状況、それでもアシャは薄く微笑んだ。
「歓迎されていると考えていいんだな」
「ただの視察官なら、我らもこれほど手間をかけるものか」
『運命』の中から、悔しげな呟きが漏れる。
「にしては頭数が足りないようだ」
アシャは低く嗤った。
「こしゃくな!」
『運命』の輪が瞬時に崩れた。なだれるようにアシャの上へ、黒剣を閃かせながら襲いかかってくる。
「違ったか」
弱さを数で補っただけか。
掠れた苦笑を零して、アシャは緩やかに動き出す。
次の瞬間、骨を砕く、力任せに生身を引き裂く音が響き渡った。数を頼みに一気に襲いかかったはずの『運命』が絶叫してのけぞり、跳ね飛び、四、五人ずつが塊となってアシャの側から吹き飛んでいく。手を触れた瞬間、いやアシャの影が落ちた瞬間、『運命』は悲鳴と同時に空中に舞い上がり、壁に叩きつけられていく。
「近づくなよ」
そこからは俺の支配下だ。
アシャは微笑みながら少しずつ動きを速める。今や旋風のように回される手が足が体が、手加減一つなく『運命』を屠っていく。攻撃は前後左右を選ばない。背中に眼があり、足先に刃が宿る、そう詠われたアシャの戦いぶりに、さしもの『運命』も慌ててがジェスをけしかけてくる。命じられた通りに掴みかかろうとするガジェスの目の前、アシャの姿が幻のように消える。
「お、おお!」
無念か驚嘆か、『運命』から上がったどよめきを快く聞いて、ガジェスの頭近くまで飛び上がったアシャは、眩い光を手元で放つ短剣を一閃、喉をかき切り、その体を蹴って次のガジェスに襲いかかる。
「ぐがぼぼぼがああっ!」
喉から粘液と血を噴き出しながら、ガジェスが手を振り回してのたうち、次にアシャの剣を受けたガジェスと絡み合って水盤に倒れ込む。跳ね飛ぶ黒い水、暴れるガジェスが床を砕き、『運命』をなぎ倒し押し潰す。アシャの攻撃は止まらない。最後のガジェスへ既に飛んでいる。
「か、かかれ!」
「怯むな!」
まさかの劣勢、『運命』が声を上ずらせて叫んだ。アシャの体が淡い金色に輝き始めている。それが何を意味するのか、アシャが何者なのか知っている者には恐怖の前触れだ。
三匹目のガジェスは巧みに体を捻ってアシャの左足を捕らえた。勢いをつけ、石の床に容赦なく叩きつける。
直前、アシャの短剣がその腕に深々と突き刺さっていた。さっきからアシャを取り巻き、黄金の粉のように見えるほど濃度を上げつつあったオーラが、するすると剣に吸い込まれ凝縮されていく。
短剣が輝きを増す。アシャの顔を照らしだす、浮かぶ酷薄な微笑、命の消滅を願う邪悪な意思をアシャは十分理解している、が、今は制御する気など全くない。
(キエロ)
俺の前から。俺の運命から。未来を傷つける闇の世界よ。
「ーーーーー!!」「!! !!」
ことばにならない絶叫が『運命』から上がった。
広間が突然、百個の太陽を詰め込んだような光に満たされる。眩いという表現さえくすむ、目の奥を焼き、喉を干上がらせる光球がアシャの剣に宿っている。
びしびしと不気味な音とともに、天井や床の細工石が剥がれて砕け落ち始めた。支柱にひびが入り、回廊がきしみ、神殿全部が巨大な嵐に巻き込まれた小舟のように揺れ動く。水盤から水が沸騰して吹き上がるや否や蒸発し、灼熱の気体となって広間を満たした。
「ぎゃああああああ!!!」
顔中を口にした『運命』が喚き叫び倒れ伏しのたうち壁に縋り、みるみる黒く焦げていく。ガジェスもまだ息があったものが、生きながら焼かれて激痛に咆哮する。広間が絶叫と破壊音で轟々と唸り、煙り、霞み、何もかもが蒸気の渦に呑み込まれていく。
やがて。
やがて。
それらの声が聞こえなくなり、揺れがおさまり、視界が晴れてきた。
残ったのは輝ける光の空間、しかし、そこには動くもの、命あるものは何もなくなってしまった奇妙な静けさが広がっている。沈黙と静謐、それは虚ろで白い。その光もゆっくりと穏やかに静かに弱まって、少しずつ世界が自らの色を取り戻していく。
後に残っているのは、塵芥としか見えないぐずぐずに崩れた吹きだまり、そして、その中にアシャ一人。
片頬に名残の光を受け、その光が自らの短剣に収束し、吸収されていくのを見守ってから、アシャは短剣をおさめた。
「視察官の任として、この地をとどめる、アシャの名のもとに」
淡々と告げ、周囲を見回す。
沈黙の光景は、遠い日の遺跡の夜を思わせる。
「これが、未来か」
自分が引き寄せる世界の終末は、やはり破滅と崩壊でしかないのだろう。
笑みを消して目を細め、崩れ落ちた広間の入り口から、アシャは静かに去って行った。




