8
「ハイラカ」
驚いたようにイシュタが続ける。
「しかし、我々の旅は急ぐものだ」
「でも、彼を放ってはおけません。一日やそこら見ているぐらいの時間はあるでしょう、イシュト」
「う、む…」
「ねえ、アシャ、だめですか。僕とレスファートなら一層ユーノに気をつけてあげられると思うんですが」
なぜそれほど親しげにあいつの名前を呼べる。出会ったばかりなのになぜそれほどあいつの側に居たがる。煮え詰まった思考がアシャの頭を占拠する。
すぐに答えられなかったアシャを、ハイラカは不思議そうに見上げた。
「あなたも彼が大事でしょう?」
誠意と善意に満ちた青い瞳。
意外に真っ向からの真摯は強いのかもしれない。アシャはぐったりした。
「……では、二人に頼む」
「はい」「はいっ」
答えるや否や、レスファートは身を翻した。ハイラカが後に続こうとすると、ちょいと振り返って不愉快そうに顔をしかめ、きょとんとしたハイラカにふん、と露骨に鼻を鳴らして先に立つ。
(子どもはいい)
駆け去るレスファートを羨ましく見送る。
欲しいものをどこまでも追える。
「んじゃ、俺も用意してくるぞ」
落ち着かない気分を抱いたままぼんやり考えたアシャに声をかけ、イルファも部屋を出ていくのに瞬きした。
「ん、ああ」
全く俺は。
(どうしてユーノが絡むと身動き取れなくなる)
舌打ちしながら立ち上がったアシャにイシュトが近づいてきた。
「典型的な『銀の王族』だろう?」
「ああ、そうだな、誠実で、親切な少年らしい」
「甘ちゃんで困るよ、実際」
苦い顔になる相手に笑み返す。
「それこそ『銀の王族』たる所以だ」
あらゆる不安や危機感という圧迫因子を取り除いて、できるだけ変異を起こさせないようにして守ってきた、その成果だ。
「ラズーンにとって十二分に有用な素材に仕上がっているということだ、ぼやくな」
答えながらその非人道性に苦笑する。
「けれど、ユーノは違う」
「……ああ」
では気づいているのか、とアシャは目で問い返す。
「……違う存在の『銀の王族』、ということか?」
「……」
「その意味を私はたぶん本当には知らない」
続くことばをアシャは察して、窓の外を見やる。遠く高くに白く光る翼が翻るのが見えた気がする。地上にあっては恐怖と違和感を持って語られる太古生物のクフィラも、高空にあっては普通の鳥と変わらない。気づかなければ世界の変化は誰の目にも留まらない。
「あなたは知っているんだろう? 『氷のアシャ』」
静かに囁かれたイシュタの声はもっと低くなる。
『氷のアシャ』。
それは人の情熱を持たぬ冷ややかな男という意味ではあるけれど、閉ざされたラズーンの泉に生まれた者、秘められた真実を継ぐ者の響きも重ねていると知るのは、限られた役割のものだけだ。
「かの聖地の名をあなたが継ぐのはもうそう遠くではないのだろう?」
アシャは答えぬまま、イシュタの側を通り過ぎる。
「アシャ」
「……まだだ」
背中を向けて言い捨てる。
「まだ俺は選べない」
「そうして世界を見捨てるのか、滅びを見ているだけなのか」
「……ユーノに返してくるものがある」
「アシャ」
答えず、足を早めて部屋を出る。