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「俺は行くと言ったら行く」
イルファは断固として繰り返した。むっつりとしたアシャ、不安そうなレスファート、ナスト、マノーダと一通り見回し、ぐっと唇を曲げる。丸い木のテーブルについている顔触れには、事の成り行きを見守っているイシュタとハイラカの姿もある。
「で…でも」
おどおどとナストが口を挟んだ。
「湖の底の宝は全て湖の神のものですし、言い伝えによれば、恐ろしい魔物がいるとのことですよ」
現にユーノは手酷い傷を負って、湖から救い出された。
「そうだわ。湖は底がないと言われてるほど深いし……いくらアレノ姉さまが頼んだと言っても……もう、どうして、姉さまはそんなことを頼んだのかしら」
マノーダも困惑し不審がる。
「アレノは悪くない」
イルファはきっぱりと言い放って、少し赤くなった。
「ヒュークに振られたと思い込んで、贈られた首飾りを湖に投げたのも無理はない。そのせいであの騒ぎに巻き込まれたのも、アレノのせいじゃない。今度ヒュークと結婚するのに、それがないと結婚しにくいと言うのもわかるし、何よりも俺は、それを拾ってくる役目を俺に託してくれたことが嬉しいのだ」
わはは、と笑ったイルファは自信に満ちて続けた。
「第一、魔物はユーノが倒したんだろう?」
アシャは大きく溜め息をついた。
「何だ」
「いや、かなりおめでたい奴だと」
「最初に俺を振ったのは誰だ」
「…何の関係がある」
「とにかく!」
憮然としたアシャに、イルファは声を張り上げた。
「今の俺には、アレノ以上の相手が見つかるとは思えんのだ。報われずともいい、俺はこの愛に生きる!」
「………」
固まってしまった周囲をよそに、生き生きと瞳を輝かせているイルファに、アシャは溜め息を重ねる。
(梃子でも動きそうにないな)
イシュタへ視線を投げれば、相手は微妙な面持ちでこちらを見返している。
ぐずぐずしてはいられない、だが、ユーノの状態を考えれば、おいそれと旅立つわけにいかない。
(ユーノ)
力なく横たわっていた華奢な体を思い出す。ひそめた眉、青ざめた瞼、額から流れる汗、開いた唇が紡いでいた荒くて熱っぽい吐息。細い手首がだらりと垂れる、何も拒めず、何も防げない無力な存在になっているユーノ。
一人で戦う夜を耐え抜く強い魂をあそこまで貶めてしまった魔物と『運命』の残党が、おそらくはまだ、残っている。
(そうだ、まだあそこに残っているかもしれない、ユーノを傷つけた奴らが)
無意識に噛んだ下唇が緩むのを感じる。冷え冷えとした胸に広がる残忍な喜び。
『運命』討伐は視察官の役目ではないが、これほど勢力を伸ばしてきている動きを見過ごすこともあるまい? しかもアシャには屠るだけの十分な能力があり………今や十分すぎる理由がある。いきなり攻撃をしかけては諸候の目を惹き、無用な挑発ともなろうが、イルファの宝探しというのは絶好の隠れ蓑にならないか?
(なるほど)
良い理由だ。
にやりと凄んだ笑みを浮かべる。
(忘却の湖ならば、そう易々と崩壊することもあるまい)
自分の中に横溢する不愉快で昏い熱の発散場所としては格好の広さと深さがあるのではないか?
「イルファ」
「何だ? 止めても無駄だぞ」
「わかってるよ。俺も一緒に行こう」
「へっ…」
「あの神殿にまだカザド達がいると、後々面倒だからな」
「後々面倒って……ここで一気に始末をつけるつもりなのか?」
それはさすがにお前でも無理だろう、魔物とやつらの両方を、というのは。
「ああ、もちろん無理だとも」
にっこりと微笑を返したとたん、イシュタが顔色をなくしてひやりとした顔になったのを目線で戒める。
「俺一人で、なんてな。偵察だけだ、やるときはお前の力を借りねば」
「ああ、わかった! そのときは力を貸してやるぞ、声をかけろ!」
嬉しそうに頷くイルファと対照的にイシュタが寒々とした顔で目を逸らせる。アシャという視察官が本気を出して何をやったのか、彼は重々承知している。ついくすくす笑ってしまうと、相手はますます白い顔で表情を消した。ぼそぼそと小さく、支配下だとわかっているんだろうな、と呟く声が聞こえたが無視する。
「よし、そうと決まったら、腹ごしらえをして湖行きだ!」
イルファは微妙な気配に気づいた様子もなく、威勢良く叫んで立ち上がる。
「あ。はい、すぐにご用意いたします!」
はっとしたようにマノーダが立ち上がり、次の間への戸を開けた。振り返りながら、
「ナスト、手伝って!」
「はい!」
慌てていそいそとマノーダに付き従うナストに、
「あれは尻に敷かれるなあ」
イルファがのんびりと感想を漏らす。それを小耳に、アシャは、
「俺とイルファが出ている間、ユーノの事を頼みたいんだが……大丈夫か?」
レスファートに声をかけると、少年はぱっと顔を輝かせた。
「うん! ぼく、ちゃんとユーノを見られるよ! 絶対側から離れたりしない!」
「あの」
ふいにじっと話を聞いていたハイラカが口を挟んで振り向く。
「僕も側についていましょう。ユーノって彼でしょう? 怪我をして休んでいる?」




