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「カザド、か」
アシャはユーノの寝顔を見下ろした。
「カザドだけでもない」
イシュタは物憂げに、窓の外に視線を逸らせた。
「最新情報では、『運命』の勢いがラズーンと『銀の王族』存亡に及ぶようなら、『泉の狩人』を繰り出すのも辞さないという強行論まで出ている」
アシャは思わずイシュタの横顔を睨んだ。
「『泉の狩人』を、だと?」
脳裏を過るミネルバの面影、連なる禍々しい過去に視線を強める。
「誰が指揮を執る」
ゆるやかに首を巡らせ、眩そうにアシャを見返したイシュタが静かに応えた。
「おそらくはミネルバか……あなただ」
沈黙が満ちた。
空気さえも固まってしまったような緊張、息を詰めるように睨み合っていた二人の耳に、波のように穏やかなユーノの寝息が響く。それをおそらくは同時に聞き取り、二人は緊張を解いた。
「『泉の狩人』を出す、だと?」
アシャが苦い顔で首を振る。
「…馬鹿な」
「わかっておられるだろうが…」
打ってかわって遠慮がちな口調でイシュタが切り出す。
「ラズーンの崩壊は世界の秩序の崩壊だ。それを防ぐ為には最後の手段になろうとも『泉の狩人』を使うのも仕方がない………多少の被害は出るにしても」
「……『泉の狩人』がこちらに味方するとは限らないというのもわかっているんだろうな」
アシャは冷ややかに切り返した。
「私も……ミネルバも指揮を執る気はないだろう。彼女らを御せるのはラフィンニ…いや『太皇』だけだ」
相手は暗い瞳で見返す。
「……無理で押すことがないように祈るだけだ」
沈んだ声で話を打ち切るのに、アシャも相手同様、窓の外へ視線を向けた。
(二百年祭)
覚悟していたとはいえ、ラズーンへ近づくにつれ、切り捨てたはずのものが否応なく絡みついてくる。それもアシャが認めたくない方向、望まない方向に向かって、速度を上げて逆巻く奔流のように。
(ユーノと出会ってから)
応えは天啓のように閃いてアシャを竦ませた。
(出会ったことが既に運命だったのか?)
アシャを悪夢へと引き戻す運命、玉座に達する唯一の道が、実は望まないと拒んで離れることだったとでも言うのだろうか。
(ギヌア)
思い出す、白髪の下の真紅の瞳。再び相見えて戦うしかないのだろうか。
(ここでユーノから離れれば)
ユーノをたとえばイシュタに託し、アシャがユーノの願う通りにセレドに戻ってレアナと結ばれれば、アシャは運命から逃れることができるのだろうか。
(その方が幸せ、か?)
アシャにとってもユーノにとっても……世界にとっても。
顔が歪むのを感じた。
暗闇の草原、ただ一人見上げた空。
星はあったか、それとも幻だったのか。
「ん?」
ふと、視界に入ってきた二人連れに気づいた。
アレノとイルファだ。仲良く肩を並べて話し続けていたかと思うと、イルファが重々しく頷き、アレノが立ち止まった。繰り返し何かを確認するようにイルファを見上げたアレノは、もう一度強く頷いたイルファにぱっと顔を輝かせて走り去る。残されたイルファは確信するように何度もうんうんと頷いている。
(何だ?)
殉教者めいた満足げなイルファの顔に不安を感じた矢先、駆け寄ってきたレスファートがイルファに二言三言話しかけ、呆気にとられた顔になって立ち竦んだ。にこにこしているイルファと対照的にうろたえ、身を翻して、歩き出したイルファに先だって家に駆け戻ってくる。
それほど待つまでもなく、レスファートが部屋に飛び込んできた。
「アシャ!」
興奮して頬を真っ赤にしている。
「イルファを止めてよ!」
続いたことばにアシャも呆気に取られた。
「これから湖にもぐるっていってる!」




