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「ユーノ!」
扉を開けたとたん、視界に飛び込んできた光景にアシャは声を上げた。
「何をやってる」
「着替えてる」
むっつりした顔で答えて、ユーノはチュニックを被った。腕を伸ばす際に包帯の下の傷口に痛みが走ったのか、軽く眉をしかめる。
「ばか、まだ無理だ」
アシャは慌てて手にしていた盆を近くの机に置いた。朝食にと準備されたスープとパンだ。
「、だって…!」
一瞬声を飲み、じれったそうにことばを続けるユーノに近づき、アシャは厳しく言った。
「どれほどひどい傷だったのか、わかってるのか。……生きてた方が不思議なんだぞ」
(ほんとうに、無茶ばかりする)
眉をしかめてユーノを見ると、ちらりと一瞬視線を上げたユーノが苦しそうに顔を背け、唇を噛んだ。俯いてしばしの沈黙、やがて、
「サルトみたいになるのはごめんだ」
ぽつりと低く呟く。
「サルト?」
アシャにとっては聞き捨てならない名前の一つ、確かユーノの前の付き人だったはず、と思い返した。
「突然家に戻ったとかいう」
「戻っていない」
アシャの顔を見返さないまま、ユーノはベッドから離れて窓辺に近づく。差し込む日差しで顔を洗おうとでもするように身を乗り出しながら、
「ボクの身代わりになった」
「…」
「その時、やっぱり怪我をしてて、十分に治りきっていなかった……ううん、完全に回復させようと珍しくゆっくり時間をかけて休んでいた」
なまっちゃったんだよね、きっと。
小さく笑う声は冷たい。
「カザドが狙ってたのを忘れていなかったのに………ちゃんと休めるまで待つはずもなかったのに」
襲われた時、自分の身も守れなかった。間抜けたことに剣もベッドに備えてなかった。
「転がって逃げて、逃げて、でも逃げ切れなくて」
もうこれまでかと身を竦めた矢先、サルトが飛び込んでカザドの剣を受け止めた。
「ボクなんかのために、盾になって」
本望なんだってさ。
「本望ですって。付き人の本分です、って」
窓になお強く乗り出したユーノが目を細める。その頬に涙は伝わっていない。だが微かに震える指先が、怒りを堪えて窓枠を握り締めている。
「…くそくらえっ…」
激しい語調で吐き出されたことばは苦くきつかった。
「ボクのために死ぬのが本望なはず、ないだろ。ボクのために死ぬのが、付き人なはず、ない」
なのに。
なのに。
「……ボクのためなら、死なないで、ずっと生きて、側、に」
(くそくらえ)
ユーノの切ないことばにアシャはぶすりと唸る自分の内側の声を聞く。
だからユーノは付き人を拒むのだ。だからユーノはいざとなったら、アシャが自分を捨てて生きのびてくれなどと願うのだ。
(本望じゃないか)
おそらく、そのサルトという男は心底ユーノに仕えたのだろう。唯一の主として認めていたのだろう。
(そんな相手のために、命を懸けることができたら)
日差しの中、しばらく寝込んでいたせいでなお華奢になってしまったように見えるユーノの後ろ姿に、苛立たしさと悔しさを感じる。
(これほどの想いを向けられるなら)
アシャだってすぐにユーノの盾になってみせる、機会さえ与えてくれたなら。
だがユーノはそんなアシャの気持ちを全く気づいていない顔で続けた。
「ボクは、ボクを大事にしてくれる人が苦しむのは嫌だ」
ましてや、ボクのためなんかに死ぬのはまっぴらだ。
「……俺やイルファの腕があてにならないのか?」
僅かに振り返った視線に、ようやく自分の番を感じてアシャは溜め息をつく。
(なのに、これだ)
アシャをサルトほどの距離に近づける気さえないらしい。
「…そんなことはないよ」
ユーノはうっすらと赤くなった。
「ただ、カザドが『運命』と組んでる……多勢に無勢なら、のんびり休んでられる場合じゃないってこと」
淡々と応じて、再び何かを探すように遠くの空を見上げる。
そうして普通に振る舞っているのもかなり苦しいはずだ。3日大人しくしてはいたが、傷は治りきっていない。化膿していないだけ幸いだった、それだけだ。熱はまだ下がっていないし、回復していないのは食欲の戻りが悪いのでもわかる。レスファートの懇願に渋々じっとしていたが、どうにも耐え切れなくなったというところだろう。
(仕方ない)
アシャは吐息をついた。言い聞かせて頷く相手でもない。
さりげなくスープに白い粉を落とし入れる。すぐに溶けて粉が見えなくなったスープを軽くかき混ぜ、
「わかったから、こっちへ来て座れ。ちゃんと食べる、そう約束したはずだな?」