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ラズーン 2  作者: segakiyui
3.死闘

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32/132

7

 夜半。

「どうした、レス?」

 天幕カサンの外でじっと湖を見つめているレスファートに、イルファが声をかけてきた。側で揺れる火、今夜はイルファが火の番、レスファートはそれに付き合うとくっついている。

「ユーノが心配なのか? アシャがついてりゃ、大丈夫だぞ」

「ううん」

 覗き込む無骨な男の顔に笑み返す。

「そうじゃなくて」

 首を振って、頬にかかったプラチナブロンドをそっと指で摘む。

「ユーノ……アシャ見て、笑った」

「あん?」

「ぼくらには、平気だっていって……あんなに苦しそうだったのに、大丈夫だっていって」

 今にも倒れそうだ、そうわかるのに、ユーノはなおも平気だと繰り返そうとして。

「鈍感なのかね」

「ちがう、苦しかった、うんと、痛くて」

 体を起こしているのも、きついほど、なのに。

 レスファートを気遣って。そのいたわりがレスファートにまっすぐ届いてしまうのさえ、気づかないほど弱っていたのに。

「アシャ見て」

 笑った。

「すごく、きれいだった」

 今まで見たより、うんときれいな顔で。

「そうだったか?」

「うん」

 湖は静まり返っている。そこでどんな死闘が繰り広げられたのか、レスファートには想像するしか術がない、けれど。

 ユーノがあれほどぼろぼろになるほどの出来事だったはずなのだ。

 それも幻のように呑み込む湖の深さに、レスファートはかすかに震えてイルファに身を寄せる。

「それがどうした?」

「わかんない……でも」

 イルファががしりと頭を掴んで撫でてくれる。

「むねが、くるしい」

「食い過ぎか?」

「ユーノが笑って、うれしい、のに」

「うん」

 ごしごしと頭を撫でる大きな手に甘えて、レスファートは眉を寄せて目を閉じる。

「くるしくて」

 かなしい。

 胸の中に響いた小さな声はこう続ける。

 ぼくじゃ、やっぱり、だめなんだ。


「よし」

 アシャはようやく溜め息まじりに体を起こした。

 さっきまでひそひそと聴こえていたレスファートとイルファの話し声も聞こえなくなった。暖を取りながら火の番をしてくれるというイルファに甘えたのは、容態が急変した時に清潔な水がいると考えたからだ。

 ユーノは今、全身布と包帯に包まれるような状態で、呼吸を荒げながらぐったりと横になっている。深い傷は薬剤つきのフィルムを使った。熱はあったが、傷からすれば不思議なほどの安定した回復力、いや、それだけではなく。

 ふ、と天幕カサンの外に気配が動いた。瞬きし、目を伏せて問う。

「やはり、あなたか」

『そなたの想い人と思うて助けたのではないがな』

 イルファ達と反対の方向から、暗い響きのミネルバの声が戻ってきた。

『まこと、たいした娘よのう。ガジェスの爪に挟まれて息絶えたかと思うておったが、いつの間にやら水面まで浮き上がっておったわ。私がしたのは、そこから岸へ運んだまで、礼には及ぶまいよ』

「いや」

 アシャは静かに首を振った。

「私にとっては百万の礼に値する」

『ほ…ほほ』

 天幕カサンの外の気配は、陰鬱な笑い声で応じた。

『まさかのう、「アシャ」から、そのようなことばを聞けるとは思わなんだ。それほど娘が愛しいか』

「……愛しい」

 ふいに、思いが胸に強く激しく広がって、アシャは痛みに眉を潜めた。

『これは又、素直な』

 ミネルバがからかう。苦笑して応じる。

「我ながら不思議に思っている」

『違いない』

 ミネルバはしばらくくつくつと嗤っていたが、唐突に口調を改めた。

『ラズーンの二百年祭は近い。「運命リマイン」も本格的に繰り出してこよう。狩りにはよいが、そなた達には辛いな』

視察官オペの名にかけて、ユーノは無事ラズーンへ送り届けてみせるさ」

『ほう』

 間髪を入れずに答えたアシャにミネルバが冷たく嗤う。

『アシャの名にかければ、その後のことも誓えるだろう。さすればその娘の体も心も思うがままだぞ』

「ミネルバ」

 それをあなたが言うのか、と苦ると、用心深い男だなと返された。

 そのまま気配が消え、辺りは再び静かな夜に戻る。

(体も心も思うがまま)

 ミネルバのことばを頭の中で繰り返しながら、床のユーノを見やる。

「体は、まあ」

 呟いた自分の声の妖しさに居心地悪くなったが、心はどうだろう、とごちてみる。

「無理…かもしれない、だろ」

 我ながら気弱な台詞だ、と溜め息をついたとたん、ユーノが身動きした。

「み…ず…」

「ちょっと待て」

 アシャは壷から水を掬い出し、口に含んだ。熱で意識が朦朧としているユーノの唇に、そっと口づけて水を送る。

 ユーノは何をされているのかわからないらしく、薄く開いた黒い瞳をぼんやり開いて、アシャを見つめ返す。瞳の潤んだ優しさに胸が高く打つ。

「ん…」

 強く口を押し付けて相手の唇を開く。僅かに抵抗しようとしたユーノは、口の中に流れ込んできた水にようやく気づいたのだろう、目を閉じてこくん、と飲み下した。そのまま喉へ流れた潤いを求めて、貪るようにアシャの唇に吸い付いてくる。

(ユーノ)

 これは手当て、気持ちも感情も伴わない緊急措置のようなもの、そう言い聞かせつつ、重ねた柔らかさにアシャもまた目を閉じて夢中になっていく。

(ユーノ)

 いつか互いを求めあい、こんな風に唇を重ねることなどあるのだろうか。その時、ユーノは確かにアシャだと、感じつつ唇を与えてくれるのだろうか、今の自分が口づけているように。

 薄く目を開け、ユーノを眺める。一番近しいものだけが見つめられる距離だ。動悸が高まる。

 アシャの口から受け取れるだけの水を受け取って、ユーノは静かに口を離した。熱っぽい体をアシャの腕の中に委ねてくる。

「もういいか?」

 問いに微かに首を縦に振る。そのまま、重く息を吐きながら、甦った痛みを堪えるように体を竦めるユーノを、そっと抱えて包み込む。熱を立ち上らせるユーノの体の香りが、腕の中で豊かに熟していくような気がして、とても手放せない。

(もっと欲しがってくれ)

 俺を。俺の全てを。

 口に出せない、状況に不似合いな渇望を胸に押し込めようと目を閉じると、脳裏に蒼白な顔で笑ったユーノの顔が過った。

(すがるような目)

 今にも崩れ落ちそうな、セレド皇宮でほんの一瞬わずか数回、感情を自制し損ねた時のみ揺れた、深くて脆い眼差し。手を差し伸べずにはいられない、その目をユーノはめったに見せようとしない。

(だがもし)

 それを見た者なら、その目に見つめられたなら、魅かれるに違いない、この相手を支えられるのは自分しかいない、そういう自負に煽られて。

(それでも)

 ユーノを支えるのは並大抵の覚悟でも努力でも無理だ、アシャにもわかりつつあった。この気丈な魂は、容易には人の手を受け入れない、想いを、願いを受け止めようとしない。

「あんまり、無茶をしないでくれ」

 無駄だとわかっているが口にした。

「俺の方がどうにかなりそうだ」

 危うい境界を、自覚のないまま越えそうになる。

 胸に頬を預けて、静かな寝息を紡ぎ出した相手を、力の限り抱き締めたくて、必死にこらえながら床に降ろした。

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