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「……」
アシャは静かに顔を上げた。
遠い水面が明るく光を帯びている。
短剣を持ち上げ、鞘に納める。
自分の心が固まり、凍りつき、動かなくなったのを感じる。
残ったのは強烈な殺意。
(殲滅してやる)
薄く笑う自分に制御が外れていくのがわかる。
(『運命』全て)
その前に。
「……」
砕けた岩がなおも転がり落ちる水底をそっと見下ろす。
(もう一度潜る)
酸素発生剤を取ってきて、ユーノを探し出して、全部拾い集めて。
(それを手に)
ラズーンへ戻る、全ての覇者として進むために、あそこに納められた力を取り出し破壊に向けて放つために。
岩を蹴り、まっすぐ水面を目指して浮き上がっていく。
(ユーノ)
どうして俺は。
(ユーノ)
お前の側を離れたりしたんだろう。
「っ、ぷはっ」
水から跳ね飛ぶように顔を出し、さすがに整わない呼吸を繰り返しながら泳ぎ出す。思った通り、夜明けを迎えた空は白々として、斜め左にイルファ達がいる天幕の周囲にも人影が見える。今しがた、アシャが湖の中で発した気に気づいた者も居るのだろう、そう思ったとたん、視界の端にちらりと白いものが翻った。
「?」
岸へ泳ぎながら頭を巡らし、樹間の中へ紛れ込む白馬を見つける。軽く振り向いた顔にある目はたった一つ、その異形を隠すようにすぐに姿を消していく。
(ミネルバ?)
妙な予感がした。
もう一度天幕の方向を見やると、確かに人影が集まっている、けれどそれは湖のアシャを見ているのではなく、今水から引き上げられたような誰かを取り囲んでいるとわかる。
(まさ、か!)
胸が躍り上がる。慌てて水を掻き,最後は倒れ込みそうなほど体を急かして駆け寄っていくアシャに、レスファートが振り返った。
「アシャ! ユーノが!」
言われるまでもなかった。
イルファ、レスファート、ナスト達の前に崩れ込むように座っている姿、血と水に濡れそぼった体をのろのろと振り返らせた相手が、アシャを見つける。
「ユーノ!」
「あ…しゃ…」
「っっ!」
微かに笑ったその顔、差し伸べた腕に崩れ込んできた体に、アシャの血が滾った。
「ユーノっ!」
「レス、寝床の用意を! イルファ、俺の袋を!」
悲鳴じみた声を上げて取りすがろうとするレスファートを押しのけ叫ぶ。幾筋もの刀傷、脇腹を胸を引き裂く爪痕、ぼろぼろになっている衣服は血に塗れ、今もますます赤みを濃くしていく。
「あの、私達は」
「布と火を!」
うろたえるナスト達にも指示を下す。
呼吸が弱い。体温がない。血が止まらない。
またこんな姿になっている。またこんなことをしている。
だが、それでも、生きている。
「く、ぅっ!」
腹立たしさと、けれど見て取った傷がアシャの対応出来る範囲だと知って湧き上がった喜びとで叫びたくなるのを、必死に堪えてぐったりとしたユーノを抱き上げ、火が準備できるまで抱き包む。
「ユーノ…ユーノ」
囁く声に相手はわずかに反応した。薄く目を開ける、それだけで甘く広がる興奮にくらくらする。
「ユーノ、もう、置いていくな」
懇願は届こうと届くまいと構わない。
「俺を、置いていくな」
お前を失いたくない。
「1人で、行くな」
俺を連れていけ。
「どこでも、いつでも」
俺を側に。
「頼むから」
そうすれば、もうこんな思いはしなくて済む、二度とあれほどの孤独と怒りを味合わなくて済む。
「アシャ、ねどこ、できた!」
「火、起こせました!」
「よし!」
動くぞ、ちょっと痛むが、すぐに楽にしてやるから。
「ん…」
小さく頷く顎、せわしく繰り返す呼吸、額に髪が張り付いていて、激痛を堪えているのだろう、眉を潜めた表情が愛おしく切なく、胸苦しくて、閉じられた瞼に唇を当て、アシャはユーノを抱き上げて天幕へ入った。