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「待て…っ!」
一瞬茫然としたものの、すぐにユーノは死体が転がる中を駆け抜けていく『運命』を追った。
まずい。
まずい。
まだあれほど走れるなんて。
まだあれほど動けるなんて。
傷口の血が乾いて頬が引きつれる。
(ここで逃がすわけには)
また被害が増える。今は少なくとも多少の手傷は負わせた。けれど次に回復されたら、仕留める術がない。
(走れ)
震え出しそうな体、今にも砕けそうな脚を叱咤して追う。
(今逃がしたら、次は)
屠られるのはアシャ、イルファ、それとも。
(レス)
背中を走り上がった悪寒を堪え、短剣を懐に、長剣を引っさげて走る。
すぐ目の前を、黒づくめの後ろ姿は踊るように跳ねるように走っていく。速い。手負いとはとても思えない。追いつきそうになるたび、巧みに回廊の角を曲がり、一歩また一歩と距離が開いていく。
(畜生!)
ユーノは舌打ちした。脚の傷が一つ二つ口を開けたのか、ぬめるような感覚が絡み付いてきて速度を鈍らせる。
『運命』の姿が消えた角を曲がったとたん、ばん、と扉が開いたのが視界に飛び込む。
「そこか!」
「うおぁ!」
「邪魔だっ!」
待ち構えていたのか偶然か、襲いかかってきたカザド兵数人の間をすり抜け、なおも立ち塞がる輩を剣一閃二閃、倒れかかってくるのを背中に扉に突っ込む。
「?!」
大きな部屋だった。
右手に黒の玉座、中央にどす黒い水をたたえた水盤がある。
『運命』はユーノを振り返ることもなく、一直線に水盤に走り寄る。と、もったりと盛り上がった水の中から、全身鱗に覆われた異形の姿が立ち上がり、金色の眼でこちらを見据えた。緩やかに差し伸べた枯れ枝を思わせる手が『運命』が飛び乗るままに受け止める。
「待てっ!」
「それ以上近寄りなさるな!」
追いすがろうとしたユーノと怪物の間に、唐突に白い衣の巫女達が立ち塞がる。虚ろな眼、生気のない無表情な顔、先頭にいる巫女達の長らしい白いマントの女が叫びを上げる。
「聖なる湖の神なるぞ!」
「何が聖なる、っ」
吐き捨てかけたユーノは女が笑みを浮かべて指し示した玉座を見た。
「ナスト!」
「すみません、ユーノ!」
玉座には後ろ手に縛られたナストが、別の巫女達に引っ立てられている。その側にマノーダはいない。
「マノーダは?!」
「僕が囮になったんですが…」
呻くナストのことばは、入り口から躍り込んできた一群に遮られた。
「こっちだ、マノーダ……ユーノ!」
振り向くと、マノーダを腕に抱えたアシャが、わらわらと襲いかかるカザド兵を切り捨てながら走ってくる。
「よし、いいぞ、アシャ!」
一瞬そちらに集まった注意、前後して玉座横の垂れ幕の片方から、イルファがどら声を張り上げつつ走り出し、巫女達を倒してナストの縛めを解く。その傍らにはアレノとレスファートの姿、巫女達の動揺が広がる中、ユーノはほっと一息をついた、そのとたん。
刺すような視線。
はっとして振り返った視界で、水盤の暗い水の中へ沈んでいく怪物の姿、そしてその掌に身を伏せながらにんまりと、勝利の確信に唇を釣り上げる『運命』の邪悪な笑みがまっすぐユーノの顔を射た。
(逃がさない!)
「ユーノ!」
「だめ、ユーノぉっ!」
アシャの制止、レスファートの悲鳴、目に映ったのは、マノーダを抱えたアシャの姿。
それはまた、遠い彼方に訪れる、傷みに満ちた光景をも思わせて。
(私が、いなくても)
きっとセレドは安泰だ。
(でも、今こいつを逃がしたら)
きっと多くの人が傷つく。
「ユーノ!」
レスファートの懇願を耳に、身を翻し襲いかかる巫女達を打ち倒し、水盤めがけてユーノは走る。怪物の姿は『運命』もろとも今やほとんど水に没している、そこへ。
「馬鹿! ユーノ!!」
アシャの叫びを振り切るように、ユーノは水盤に身を躍らせた。




