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「ユーノ!」
ようやくできた隙を狙って、レスファートがナストの後から走り出してしがみついてきた。
「お…まえ…」
吹っ飛んだ男が低く呻いて半身を起こした。レスファートを押しのけ右手に無造作に剣を下げて近づくユーノを見上げ、それでも反撃はできないと見てとったのだろう、再びぐずぐずと体を沈めながら、濁った眼で問いかけてくる。
「その…戦い方は……なんだ…?」
「戦い方?」
ユーノは眉を寄せた。見かけの華奢さを裏切るユーノの剣に屠られたくはないと思ったのだろう、奥へ向かうイルファを制する方がいいと格好の理由をつけて、あっという間に周囲から姿を消した兵達を、用心深く見送りながら、転がったカザド兵を見下ろす。
「その……戦い方は……っ」
ごぶり、と突然相手が真っ黒な液体を吐いてぎょっとした。
元は血、だったのではないだろうか。
ところどころに紅の色は残っているが、焦げ腐ったような臭いをたてながらカザド兵の口から溢れ落ちる液体は、見るとぐしゃぐしゃになった髪を濡らして耳からも滴っているばかりか、瞳の中にもひたひたと薄赤く続いて見る見る黒く滲み出していく。
「ひ…」
レスファートが小さく息を引いたのも道理、ユーノの剣が裂いていないはずの男の体の下からもどろどろとした液体が広がり始めている。
「お…ぺの……もの…」
「オペ?」
ユーノははっとした。
「オペの戦い方だというのか!」
思わず覗き込み、腐臭に一瞬吐きそうになりながら、ことばを押し出した。
「オペとは、視察官、のことだな? お前は何か知ってるのか!」
視察官がラズーンへの忠誠を見定めるものとは想像がつく、だがその視察官たる存在は国々で王族を集めて回っている。
「なぜ……お前が……金のオーラも持っていない………『銀の王族』の……お前がなぜ…」
「金のオーラ?」
「『銀の王族』…?」
ユーノのことばを追うように、レスファートが繰り返す。
「『視察官』は金のオーラ、を持っているのか?」
ユーノは重ねて尋ねた。
確かに、アシャは黄金の髪を持っている、黄金の気配を持っている、黄金の容姿を持っている。
だがしかし、金色のオーラなどは見たことがない。
賢者が深遠なる知恵をこらすとき、その姿の周囲を淡く輝く銀色の靄のようなものが取り囲む、手には触れないが精神が生み出す力の場、それがオーラだと聞いたことはあるが。
「賢者を包むようなものか?」
賢者が真理を見えない世界から持ち帰るために、あのオーラを出す、ならば金のオーラとは一体何を起こすのか?
「教えろ、視察官とは、本当は何をしているんだ?」
尋ねて気づく、自分がそれにずっと引っ掛かっていたことを。
「視察官は何をしてるんだ? いや」
ラズーンは今、何をしようとしている?
(ああ、そうだ)
セレドを出たときは単なる忠誠の遣いだと思っていた。世界の動乱も感じていなかったわけではない、使者の言い分はもっともだと思っていた。
だが、旅を続けるに従って、次々現れる太古生物、急に寂れた街や魔物が跳梁する場所など、異変の徴候がそこかしこに見受けられ、ユーノが考えていたよりもずっと危うく世界は変化しているのがわかってきた。
その最中に、招集と呼ぶに近い、あちらこちらから集められていく人々がいる。これは一体何なのだ? どういう意味があるのだ? 一体ユーノは、ラズーンで何をすることになるのだ?
(きっとアシャは知ってる)
『何か』を詳しく知っている。
だからこそ、時折深く考え込み、旅を早くに急がせようともするのだ、人々をラズーンへ導く視察官として。
「ラズーン……ラズーンか…」
だが、男の耳にはもうユーノのことばは届いていないようだった。薄赤く染まった眼球を虚ろに空中に彷徨わせ、悪夢にうなされているように、切れ切れの呟きを漏らし続ける。
「ラズーン……ラズーンよ……二百年の平和は終わるぞ……これを逃し……我らに勝機はない……みていろ……見ているがいい………我らは……我らは………必ずやこの世界を………愚かな平和に……眠る世界を………握り潰し……」
にやりと男の顔が大きく歪んだ。剥き出された歯がずるりと歯茎から抜け落ちるのに、レスファートが悲鳴を上げる。
「我ら……『運命』…が……全てを………掌中に………ぃ…お…さ…げぇ………」
男がのろのろ動かした手首から肉が融け落ちた。ぼたぼたと黒く粘りつく液体になって、脚に滴り、その脚も衣服の内側で形を無くしていくのだろう、どろどろと足首あたりから融解していく。
「い、やぁああっ!」
「見るな、レスっ!」
飛びついてきたレスファートを庇うユーノも震えていた。目の前で溶け落ちていく男はまるで一気に風化していく死体のようだ。皮が崩れ肉が流れ、白く残るはずの骨も黒くて鈍く光る棒杭が組み合わさったような姿を一瞬見せただけで、ぐしゃりぐしゃりと壊れ流れ落ちていく。